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第14話:蛇目の選択と置き土産

第14話:蛇目の選択と置き土産

 蛇目は、部屋の隅の暗がりで、腕を組みながら、その光景をただ黙って見ていた。

 傷の手当てをする華と、それをされるがままになっているジン。

 月明かりの下、時が止まったかのような、静かな時間。そこには、蛇目が入り込む隙間など、針の先ほども存在しなかった。

 彼女は、鼻でふっと息を漏らした。

 やれやれ、と心の中で呟く。

 荒野の狼も、どうやら、ようやく自分のねぐらを見つけちまったらしい。

 蛇目は、ジンの相棒だった。誰よりも長く、彼の隣で戦ってきた自負がある。彼の強さも、弱さも、夜ごと悪夢にうなされる姿も、全て知っていた。彼の背中を預けられるのは、自分だけだと思っていた。

 だが、違った。

 自分は、彼の傷に薬を塗ることはできても、その心の奥底にある、十年ものの古い傷に触れることは、決してできなかった。

 それができるのは、あの、か弱いように見えて、妙に芯の強い、昔の女だけなのだ。

 嫉妬がなかったと言えば、嘘になる。

 初めて華を見た時、蛇目は侮っていた。こんな、土の匂いしかしない、世間知らずのお姫様に、ジンの何が分かるものか、と。だから、試した。挑発し、彼の生きる世界の厳しさを見せつけた。そうすれば、怯えて逃げ出すだろうと、高をくくっていた。

 だが、華は逃げなかった。それどころか、自分の無力さを噛みしめながら、自分にできる、ささやかな戦いを始めた。その姿は、蛇目の目には、ひどく滑稽で、そして、少しだけ眩しく映った。

 自分は、ジンと同じ荒野で、彼と同じように汚れていくことしかできなかった。

 だが、この女は、彼を、荒野から人の住む場所へと、引き戻そうとしている。

 どちらが、今のジンにとって、本当に必要な存在か。

 答えは、分かりきっていた。


 翌朝、蛇目は、夜が明ける前に、早々と旅支度を整えていた。

 その物音に気づいた華が、眠そうな目をこすりながら、部屋から出てくる。

「蛇目さん……? どこかへ、行かれるのですか?」

「ああ。こんなジメジメした村は、あたしの性に合わなくてね。一足先に、お暇させてもらうよ」

 蛇目は、荷物を黒馬の鞍にくくりつけながら、軽口を叩くように言った。

 その時、ジンも、むくりと体を起こした。

「……行くのか」

「当然さ。あんたみたいに、昔の女にうつつを抜かしてる、腑抜けた男の面倒を見てる暇はないんでね」

 憎まれ口を叩きながらも、その目は、どこか寂しそうだった。

 蛇目は、馬にまたがると、懐から一枚の、汚れた羊皮紙を取り出し、それをジンに向かって投げた。ジンは、それを危なげなく受け止める。

「置き土産だよ。せいぜい、役に立てな」

 ジンが羊皮紙を広げると、そこには、粗末な地図と、いくつかの紋章のようなものが描かれていた。

「例の人買いの蛇善だが、あいつ、どうも、ただのチンピラじゃなさそうだ。この辺り一帯を牛耳ってる、武装盗賊団『黒蠍団』の下っ端らしい。あんたがやったことは、蠍の尻尾を踏んづけたようなもんさ。いずれ、連中の本体が、あんたを嗅ぎつけてくるだろう」

 その言葉に、ジンと華の顔に緊張が走る。

「……余計なことを」

 ジンが、忌々しげに呟いた。

「余計なお世話さ。だが、相棒の寝首をかかれるのは、寝覚めが悪いんでね。まあ、せいぜい、お姫様と、仲良く生き延びることだね」

 蛇目は、そう言って、にやりと笑った。それは、彼女なりの、最後の強がりだった。

 ジンが、何かを言い返そうとした時、蛇目は、それを遮るように、静かに続けた。

 「……あんたが、そんな顔で笑うの、初めて見たよ」

 その声は、ひどく穏やかで、そして、どこか、諦めに似た響きを持っていた。才蔵は、自分が、華といる時に、無意識に、笑っていたことなど、気づいてもいなかった。

 蛇目は、ジンが言葉を失っている間に、馬の手綱を引くと、最後に、華の方を真っ直ぐに見た。

「おい、お姫様」

「……はい」

「あいつのこと、頼んだよ」

 その声は、真剣だった。

「あんたなら、あいつを、ただの人殺しの道具じゃなく、人間に戻せるかもしれない。……まあ、せいぜい、頑張ることだね」

 それだけを言うと、蛇目は、馬の腹を蹴った。

 黒馬は、高らかないななきと共に駆け出し、あっという間に、朝靄の中へと消えていった。まるで、嵐が過ぎ去ったかのように。


 後に残されたのは、ジンと華と、そして、一枚の羊皮紙が示す、新たな脅威の影だけだった。

 ジンは、蛇目が消えていった方角を、しばらくの間、ただ黙って見つめていた。その横顔に浮かんでいるのが、どんな感情なのか、華にはまだ、読み取ることはできなかった。

 ただ、彼の相棒が、彼らのために、未来の道標と、そして、とてつもなく厄介な置き土産を残していってくれたことだけは、確かだった。

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