あるプロジェクトにて
「蒔田さん、これ、仕上げておいてくれない?」
「はい。いつまでですか?」
「ん~、明日の21時までに出来ていると助かるんだけど」
「分かりました。その代わり今やっているレポートの締め切りは伸ばしてくださいね」
「え~マジかよ……」
只今とあるプロジェクトが進行中。メンバーはわたしを含め5人で確実に1人分は手が足りていない。
一応チームリーダーが上長に掛け合ってくれていて近々追加のヘルプメンバーが加わる予定。ただし、予定は未定っていうのでなんともいえない。
3日後、上長が一人他PJから人を引っ張ってきてくれた。
わたしより2つ下だという男の子。
彼はすぐに今プロジェクトチームに馴染んだが、馴染みすぎていて緊張感ってやつが一つもないのよね。
「ねえ、村崎くん。今日も遅刻よね? 今週何回目なの?」
「えっと。3回目ですかね」
「そういうことじゃないでしょ? 毎回連絡しているわたしの身にもなってよね」
「いつもあざっす」
フレックスなので会社的には遅刻扱いにはならないけれど、PJとしては進行が彼のために止まるので遅刻を容認するわけにはいかない。
故に一番下っ端扱いのわたしが彼の目覚ましとなって毎度モーニングコールをしているってわけ。
「お詫びに今日の昼飯奢りますよ。何がいいですか?」
「そうね。ヴィーチェのトリッパがいいかしら」
「なんすか、それ。焼き鳥かなんかですか?」
「……違うわよ」
彼は仕事ができるのだけど、とにかく手のかかる弟のような存在だった。実際にはわたしに弟がいないので想像でしかないけど。
すぐに調子乗るけど、調子に乗っただけの成果を出すので文句の一つも言えなかった。だってわたしよりも断然スキルが高いんだもの。
わたしのタスクが思い通りに進まないと彼は特に何も言わないでわたしのことを手伝ってくれたりもする。
ある日なんか、致命欠陥を見落としてしまい深夜まで掛かって一からやり直したとき一緒に残業までしてくれた。
「さすがに腹減ったっすね。なんか買いに行ってきますけど、蒔田さんも何か食べます?」
「じゃぁ、カレー食べたいな」
「ああ、カレーいいっすね。俺もカレーにしよっ」
深夜23時過ぎ。私たちがいる島以外は真っ暗なオフィスで二人だけでカレーを食べる。
「深夜にカレーなんてなんか身体に悪そうっすね」
「たまにだから、大丈夫でしょ? 村崎くんはご飯をちゃんと食べているの?」
「食べてますよ? 今週は牛丼4ハイ食いましたし」
「それ食べているって範疇に入ってないから。ちゃんと栄養のバランス考えないと良くないわよ」
村崎くんは一人暮らし。自炊はしていないってこと。キッチンが綺麗なままだって偉そうにしていたけど、それ自慢のポイントじゃないからね。
なんかとても心配になってくる。朝も相変わらずちゃんと起きられないみたいだし、ご飯もしっかり食べられていない。
「ねえ、今度お弁当作ってきてあげるよ」
ふとそんなことを口にしてしまう。
「マジっすか? うわぁ、蒔田さんの手作り弁当、楽しみです!」
「え、あ、うん。大したものは作らないから期待はしないでね」
大したものは作らないといいながら、何を作ろうかもうかれこれ1時間以上悩んでいる。もしかしたら仕事よりも熱心かもしれない。
「どうしてこんなに真剣になっているのだろう……」
彼のことを思い浮かべると、脈が早くなるし口元もなんとなくニヤけてしまう。
「まさかとは思うけどあいつのこと好きに、なった……」
とたんに顔が熱くなる。自ら好きの言葉を口にしてやっと自覚した。いつの間にやらわたしは村崎くんのことが好きになっていたのだ。
どうしよう。職場の、しかも年下の男の子のことを好きになってしまうなんて。
お弁当は好評だった。1時間早く起きて頑張った甲斐があってホッとした。
「今度は冷めたやつじゃなくて温かいのも食べたいですね」
「え、う、うん。機会があったらね」
うちへおいでよ、の言葉が喉から出かかったけどなんとか抑えられた。
まだプロジェクトは続くというのに、こんなになってどうすればいいんだ?
ヤバい、ヤバい。何もかもが彼を中心に回っている気分になってしまう。
寝坊してモーニングコールをするのもなんとなく彼女になって彼を起こしている気になってしまうので、危なくて仕方ない。
ただの仕事の連絡をするだけなのに妙に意識して恥ずかしくなってしまうのもなんとかしないといけないんだろう。
「これは仕事上の連絡。私事じゃない。あくまでもビジネスライクに……」
なのに思わずハートの絵文字に指が伸びる。ほんと危ないったらありゃしない。
PJもわたし自身もいっぱいいっぱいになりながらも製品は完成した。テスト環境でも問題なく稼働している。
「お疲れ。これであとは納品すればおしまいだ。運用の説明などは既に営業担当者に伝達してあるのでうちはこれで完遂となる」
「お疲れ様でした!」
チーム自体は本番環境での不測の事態を想定して解散まであと少し続くことになるが、そう長くはこのチームは存続しない。
「あー、でも。最後に一つ仕事が残っていて、お客さんの機器に製品をインストールする作業があるんだよな。で、手が空いているのが蒔田さんしかいないんだけど……いいかな?」
「はぁ……いいですよ。リーダーの指名じゃ行かないわけいかないじゃないですか」
「ゴメンな。あと、村崎も一緒に行ってくれるか? インストールは大したことないんだけど稼働の確認はやってきてもらいたいんだ」
「うす。問題ないっす。えっと代休は貰えるんですよね?」
「そこかよっ」
インストールはお客さんに迷惑がかからないように休業日の土曜日に実施する。リモートでインストール出来ない環境らしく、実際に足を運ばないといけない(しかもやたらと遠い!)。
PJも最終盤になって、彼と一緒に仕事をするのも終りが近い。
最後に一緒に仕事ができるなんてラッキーかもしれないけど、さみしくて仕方ない。胸がキューってなる。
新幹線に乗って客先へ向かう。わたしは好きな人と一緒に出かけているってことともう終わりになるってことでかなり複雑な心境にあったが、ムカつくことに彼は平常通り。しょうがないんだけどほんと腹立つ。
客先に着いたが担当さんが遅れているらしく、インストールは午後からになった。急いで朝早く出てきたのに無駄になった。
「先に昼飯食います? 言ってもマックしかないですけど」
「しょうがないよ。田舎だし、駅前にマックがあるだけマシじゃない?」
天気もいいことから、テイクアウトでハンバーガーを買って近くの公園で食べることにした。
土曜日の昼間だけど、公園には誰もおらずわたしたちふたりきりだった。ハナミズキの花もきれいに咲いていてちょっと遅めの花見のような雰囲気もあった。
休日に好きな人と公園のベンチでちょっとしたピクニック気分で昼食なんて、なんだかデートしているみたいだな、なんて思い浮かべてしまったらもう大変。
顔は熱くなるし、変な汗はかいちゃうし、顔が赤いのを見られないか、汗の匂いは平気かなんて気になってハンバーガーの味なんか何もしなかった。
インストールと稼働試験は全工程2時間程度で終わった。担当さんに駅まで送ってもらって今日の仕事は完了。あとは帰るだけだけど、帰りの新幹線のチケットは時間が定かじゃなかったせいで取っていない。
「蒔田さん、今日、帰ります?」
「どういうこと?」
「切符買ってないじゃないですか」
「買ってないね。それがどうかした?」
珍しく村崎くんの口が重い。いつもならペラペラ調子よく喋るのに。
「もし、蒔田さんがよかったらなんですけど」
「うん」
「えっと、一泊して遊んでいきません?」
「え?」
思っても見なかったことに一瞬固まってしまったがもちろんわたしの答えは了解だった。
そこから彼は早かった。スマホで新幹線の駅があるような大きな街のビジネスホテルをすぐに予約する。ツインじゃなくシングル2部屋だったので少し残念に思ったことは内緒だ。
「明日は海まで行って、海鮮の美味いやつ食いましょうよ」
彼はレンタカーも予約していた。いつやったのか素早すぎて気づかなかった。
その日の夜はドキドキしたけれど、何もなかった。居酒屋で少し飲んだら別々の部屋に入って一人寝して終わり。電話さえかかってこなかった。期待していたわたしが馬鹿なの?
宿泊なんて想定していなかったので着替えは前日夜に呑んだ帰りのまま駅ビルのユニクロで簡単な服を買っていた。なんとなく二人でお揃いっぽくなってしまったのが気恥ずかしい。
「土砂降りですね」
「土砂降りだね。午後には止むみたいだけど」
前日の晴天が嘘のように暗く低い雲からひっきりなしに雨粒が落ちてくる。時折遠くの方から光が見えているのは雷なのだろうか。
「ま、いっすよね。逆に空いていていいかもしれないですし」
「そうだよね。こんな日に好き好んで海に行く人は少なさそうだもん」
本当は二人で手をつなぎながら浜辺を歩くことを夢想していたなんて口が裂けても言えない。なんか柄でもないし。
海までは車で1時間もかからないらしい。ここらへんの地理にはまったく明るくないのでどっちに海があるのかさえわからないけど。
「音楽、かけてもいいっすか?」
「いいよ。スマホでやるの? 村崎くんってどんなやつが好きなの」
彼はブルートゥースでカーステレオに自分のスマホを接続すると音楽を流し始める。流れてきた曲はハードロックからクラシック調のものまで統一性がまったくない。
「いいなって思うやつはなんでも聞くんで決まったジャンルってないんですよね」
「ふーん。でも悪くない趣味よね」
ワイパーがフロントガラスに降りかかる雨を拭っていく。何か彼とは会話したような気もするがはっきりとは覚えていない。
実は車という密室に二人きりという状況にテンパっていたというのが本音だったりする。それなのに彼はなんともないように安全運転を続けている。少しは動揺とかしないのかな。
「ねぇ、なんで泊まろうなんて誘ってくれたの?」
聞くかどうか悩んでいたけど、聞かないと彼の真意がわからないと思って何気ない風を装って聞いてみた。
「ここ、牡蠣小屋っていうのが有名なんですよ。俺、牡蠣が大好物なんです」
違う。私が聞きたい答えはそういうんじゃない。牡蠣が食べたいなら、別に泊まらなくても昨日の居酒屋にもメニューであったじゃない。
「そういうんじゃなくて、なんでわたしを誘ったのって聞いたつもりなんだけど」
「ああ。俺一人残るのも申し訳ない気がするし、蒔田さんにも旨い牡蠣を食ってほしかったから」
「……ああ、そっ」
なんだかわたしだけが空回りしているような気がする。こいつ、本当に何も考えていないのだろうか。それとも考えてないふりをしているだけ? ああ、どーすればいいのよっ!
夕刻前には地元に帰ってきた。普通に昼ご飯を牡蠣小屋で食べて、その後普通に新幹線に乗って帰ってきただけ。なぜか普通の出張よりもずっと疲れたような気がする。
翌週、上長がプロジェクトメンバー全員を集めチームの解散を宣言した。
チームの解散なんて今まで何度も経験しているし、お疲れ様でした、以上の感情なんて持ったことは一度もなかったのに今回はそう簡単に受け入れられない。
チームの解散イコール村崎くんとの接点も消えるってことなんだ。
もう寝坊している彼にモーニングコールすることもないし、深夜まで一緒に残業することもない。出張を共にすることはないし、一つの目標に向かって進むようなこともない。
全部終わりになる。
わたしが彼よりも若くて、素直で可愛い女の子だったらすぐにでも告白ができるかもしれないけれど、残念なことにわたしは彼よりも年上で、可愛げなんか一つもない姉御肌の女。彼の趣味にはあっていないのは明らかだと思う。
その日わたしはコアタイムが終わった15時には退社して自宅にまっすぐ帰った。着替えも、何もやることが出来ず、ただベッドに飛び込んで疲れて眠るまで泣き続けた。
翌日は腫れぼったくなった目を誤魔化すためにメガネを掛けて出社した。もう、彼はいないので出社しても彼には会えない。おはようの一言だって伝えることが出来ない。
新しいプロジェクトが発足し、そこにわたしも加わる。でも、彼は、村崎くんはそこにいない。
それなりに大きい会社ので、フロアでばったりなんてこともないわけではないが、そうそう起きるわけもない。スマホには彼の連絡先は残っているが意味もなく連絡する理由がわたしには思い浮かばなかった。
わたしは今始まったプロジェクトが完遂したら彼に告白しようと思う。それまで、もし彼のことを思い続けているようであれば。
当たって砕けて散って消えても誰も気にやしないだろうから思い切るのもいいと思う。
全体会議のとき彼を見かけた。
彼の隣には可愛らしいわたしよりも年下の女の子が寄り添うようにいて、二人は誰が見ても楽しそうに一つのタブレットを見ながら会話していた。
「ああ、そういえばああいう雰囲気の子がタイプだって言っていたような気がするな……」
わたしは誰よりも彼のことを見てきた自負がある。あれは絶対にあの子のことが好きなんだと思う。
笑顔が違うし、彼女を見る視線が優しい。話し声は聞こえないが絶対にカレーが美味いとか牡蠣が美味いとかの話はしていない。
彼女の方も悪い気はしていないってわかる。あんなにも膝突き合わせるほどくっついているのに嫌がるどころか彼の肩に手を伸ばしたりしている。
わたしだって彼には一度も触れたことがないっていうのに……。
ああ、敵わないなって感じた。
彼はわたしのことを振り返ってはくれない。
告白しても彼のことだから酷い振り方は絶対にしないだろう。どこまでも優しく、諭すようにやんわりと断られるのだろう。そんなことまですっかり分かってしまう。
あのプロジェクトがいつまでも終わらなければよかったのに。
バグだらけでデスマーチだったほうが良かった。なのにあいつは山盛りのバグをあっという間に片付けてしまう。
余計なことしやがって。
ああ。
短い間の恋だった。
ああ。
終わっちゃったんだなぁ……。