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ほろ苦い思い出

作者: 絵里子

昭和五十七年、高校の合唱部で、大きな舞台に立つ機会が巡ってきた。K先生が脚本・演出を手がけるミュージカル・ファンタジー『鐘』の公演である。


思春期の私にとって、この舞台はただの発表の場ではなかった。先生を振り向かせるチャンスでもあったのだ。


K先生は、バリトンの美しい声の持ち主だった。黒曜石のように輝く瞳、的確な指揮と音楽指導。そのすべてに心惹かれた。先生に少しでも気に入られたくて、頼まれれば喉がかすれるまで歌い、ソプラノの援護にも精を出した。


そんな先生の演出は、独特だった。私のソロの場面では「決して振り向くな」という指示が出された。背後には妖精役の演者たちがいる。しかし、先生の言葉に忠実でありたい私は、どんなことがあっても後ろを振り返らなかった。


ちょうどその頃、「ふりむかないで」というシャンプーのCMが流行っていた。長い髪をさらりとなびかせる美しい女性。私もそんな女性になったつもりで、香りつきシャンプーを選ぶようになったのだった。


そして迎えた本番の日。体育館の赤く埃っぽい緞帳が目にしみる。胸の鼓動は早鐘のように鳴り響き、私は心の中で願った。


——先生、どうか見ていてください。


観客の視線を感じながら歌い始めた瞬間、緊張のあまり声が裏返った。運命のいたずら、と言えば聞こえはいいけれど、現実はただの失敗だった。動揺した私は、その場に立ち尽くしてしまった。


その様子は、映画研究部の8ミリビデオにしっかりと記録されていた。けれど、ショックはそれだけでは終わらなかった。


ビデオには、私の背後で妖精役のふたりが、私のミスを嘲るような表情を浮かべる姿が映っていた。K先生の演出だったとわかってはいたが、まるで私は「いつもドジを踏む人間」として仕立てられたかのようだった。


私の役は、端役の妖精その3。ただの背景の一部でしかなかった。どれだけ努力しても、先生の目に映ることはなかったのだ。


ビデオが終わると、クラスメイトたちが口々に言った。

「とちったね」

「そんなの、わざとでしょ?」


先生への淡い想いは、音を立てて崩れ去った。誰にも気づかれぬようにトイレへ駆け込み、そっと涙を拭った。


あの頃は、自分が先生に何か悪いことをしたのだろうか、なぜこんな目に遭うのだろうかと、真剣に悩んだものだ。けれど、今になって思う。


先生は、素人の舞台にちょっとしたスパイスを加えたかっただけなのだろう。そして、それが昭和のギャグとして許される時代だったのだろう。


私にとって昭和の学校時代とは、甘さよりもほろ苦さが利いた時代であった。









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