第九話 城の使い
Tips 彼は少年です
——一方、離れの馬小屋。
「……城の使いだろう。なんでこっちにいるんだ? あいつを見張ってなくていいのかよ」
バレットがじゃれて足元に纏わりつくのを何度か引きはがしながら、借りた馬のための干し草を餌箱に敷き詰め、飲み水を入れ替えたり寝床を整えたり等の作業を終えた後、ずっと感じていた背後からの視線にうんざりして告げた。逡巡するような間を空けてからほどなくして、幼い声が響く。
「あの吸血鬼が心配しなくてよいと進言してきました。……私も、貴方に聞きたい事があります」
「俺よりブラムの方を信用するのか? 心外だな」
「急を要しますので」
冷たい返事だけが飛んでくる。何が急だ。場合によっては殺す気でいただろ。相手が姿を見せないので、刺激しないように緩慢な動作で振り返った。
「なぁ、これはあんたの管轄じゃないのか。俺に丸投げされても正直困る。こんな事になったんだ。しきたりなんざ放っておいて従者として姿を現し、そのまま旅の供をすればいいだろう」
「貴方の方こそ、城の者とは存じ上げませんでした。巫女様の側近が、なぜこんな辺鄙な場所にいるんです」
背後に片腕を回したままようやく姿を見せた声の主は、目線よりはるかに小さな影、白髪の髪に、丸い耳。針金のように細いしっぽ。獣人族だ。恐らくハツカネズミの。
「気配の消し方から獣人の検討はついてたが、まさかネズミか。道理で耳がいいわけだ」
「ええ、ウンディーネ様と会話していたところも聞きました」
「話が早くて助かるよ」
お前も気づいてるんならせめて唸るか吠えるなりしたらどうだとバレットを見たが、息を荒く吐くだけで不思議そうにこちらを見つめ返してきた後、追いかける尾もないのにその場を回りだした。座ってろと手で示せば、慌てて藁の上にぺたりと伏せて鼻を鳴らす。
「貴方々が巫女様の関係者だという事は疑いの余地もありません。しかし、ディランなどという名は聞いたこともないのです。あなたはいつから巫女様の側近になったのですか?」
「……今代の巫女が『発露』してからだ」
「なんですって」
しっぽがピンと跳ねる。緊張の色を帯びる赤い瞳に、俺はどうしたもんかと天を仰ぎそうになった。
目の前の、恐らく現国王の勅命を受けた従者の立場からすれば任務の想定外である俺に対し、根掘り葉掘り聞きたい事がたくさんあるだろう。そして、それらに素直に答えたとしても、提示できる情報はこの従者にとってにわかには信じがたい事実しかない。面倒な事になりそうだった。
「表沙汰にはなってないが、俺は罪人扱いとなっている。だから、恐らくその後に生まれたお前は俺の名を聞いたことがないのだろう」
「まさか……では貴方が、当代の巫女が発露した原因なのですか⁉」
何てこと、と口元を抑える従者に間違っても切り伏せられるわけにはいかないので、即座に口を挟んだ。
「エバーハルトは息災か?」
「……え、ええ」
「あいつは俺の旧友だ。信頼していい。俺のせいでさぞかし苦悩している事だろう。気にかけてやってくれ」
そこまで聞いて、彼はようやく話を信じたようだった。
わなわなと震えた手を握りしめ、ネズミの獣人は何度か口を開いたり閉じたりしていたが、勇気を振り絞るように問いかけてくる。
「原因である、と言うのなら……貴方にずっと聞きたかったのです。巫女様はやはり、噂の通りなどではなく」
「彼女自身の意志だ。それが今の結果で、俺はすでに代償を支払った」
「なんて事、伝えられていた話と違います。そうだったのですか……」
項垂れるようにだらんと垂れた尾の先が、干し草を擦った。沈黙の中、バレットの呼吸音だけが響いている。
「では明日、私はレオフリック王子と顔合わせをします。しきたりとは違える事になりますが……此度の儀式、何やら不穏な影が見えるのです。城の言いなりになるのは危険かもしれません」
「城内は元々そうだったろ。結果的にお前の仕事を俺が食うわけにもいかん。あの世間知らずなお坊ちゃんにお前の口からちゃんと説明してやれ」
「なっ、無礼ですよ!」
「全財産スられたのを見過ごすお前とどっちが無礼なんだ?」
「違います! あれには訳があって——」
「俺はウンディーネから連絡が入り次第、魔物退治に行かなきゃならん。そっちの事情に構ってられないんだよ」
ほらどいたどいた、と入口に向かって歩を進めると、ネズミ獣人は警戒するように後さずる。
「それにあんた、今夜どこで寝るつもりなんだ? まさかこの馬小屋で寝るのか?」
「ご心配なく、我ら一族は幼少の砌から厳しい訓練を受けておりますので——」
「やめとけ。この山、夜はとんでもなく冷えるから間違いなく風邪をひく。客室は余ってんだ。ブラムに話してお前も泊めてやるからさっさと風呂に入れ。それにそのままで王子様に会うのか? 臭うぞ」
「なんですって⁉」
怒りと興奮の余りジジッと漏れ出す警告声を聞き流し、館に向かう。今日は実に無駄な労働が多かった。とにかく風呂に入りたい。