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第四十三話 水の巫女

「まず始めに、ディランをお主の警護に向かわせた件についてじゃが、実はお主の父ウーサー王の依頼によるものじゃ。最初は妾の予知通り、水の国を無事出国するまで出来る限り様子を見てほしいと言われておった」

「指令では決して姿を見せるなとも言われていたが、お前が秒で財布をスられる程予想外に間抜けだったのと、想定外にしつこく待ち伏せていた事によって全てが狂ったとも言えるな……いやちょっと待て、最初はってどういう意味だ」

「……」

 こちらが何か口を挟む前に、ディランはすかさず巫女に向き直った。

 ううむと勿体ぶるように額を押さえる巫女に何かを察したのか、段々と隣からディランの殺気が伝わってくる。

「ディラン……お主には悪い知らせではあるが……」

「おい、まさか……」

 巫女が傍に置いていた黒漆の箱からすっと取り出したのは一枚の書類だ。二つの印と署名がされた、あれは……誓約書?

「先日のウーサー王との会合にてレオフリック王子が行う試練、その道中の身辺警護としてディランを貸し出す事を要請され、許可せざるを得なくなった。一応、こちらの都合もあってかなり抵抗はしたのじゃが……」

「……」

 恐らく彼にとっては相当不本意な事態に怒り狂ってしまうのではと身構えたが、どちらかというと燃え上がる炎が一瞬で水をかけられて沈下した様だった。口元を覆い、罵詈雑言を百篇ぐらい飲み込んでいそうな表情をしているディランは、本当に意気消沈しているように見える。

 当事者である以上何と言葉をかけていいかわからない私の隣で、アルジャーノンが小さく喜びの声を上げ拳を握っていた。

「本当に良かったです、暗殺依頼が出回っているというのにこのまま警護もなく旅を続けるなんて、言語道断でした」

「ああ。それは確かに良かった、良かったのだが……」

「なんだか、可哀そうになってきたな」

 憐れむようにロバート船長が言い、その隣でオディールが愉快そうに目を細めている。しばらく沈黙していたディランが、言葉を絞り出すように呟いた。

「もう嫌だこんな職場……マジで何回話を変えるんだよ……水の国に帰る……」

「帰ったところで連れ戻すし、そこはお主の故郷でもなんでもないじゃろ! よいか、この誓約書がある限り、何を犠牲にしてもレオフリックを守らねばならん。お主、この旅路で王子の身にもしもの事があればどうなるかわかるか? 我ら揃って任期を全うするどころか、最悪次世代の巫女に交代するまで封印されるやもしれん。それほどの要請なんじゃぞ」

「じゃあもう、そんなクソ案件諸共全部放り投げて二人で魔界に帰ろうぜ……」

「何馬鹿な事を言うとるんじゃ! 妾には代々司ってきた役目があると言うとるじゃろ! この誓いを破れば、妾の顔に泥を塗る事にもなるんじゃぞ……ディラン、我が使い魔として必ずや使命を果たせ。違える事は決して許さん」

 長い沈黙が流れた。はらはらと見守るこちらの視線を受けて、ディランは一度目を伏せる。

「……こういう事態になった時、王子に付くのは俺じゃなくて本来エバーハルトの仕事だろ。なのに俺宛で要請が来るって事は、あいつを派遣できない程の事件が城であったのか」

「うむ。察しがいいのう。そういう事じゃ」

 そう言いながら書類を箱に戻した巫女が、次に手招くようにして水鏡に近づけたのは、宙に浮かぶ水泡の中で無惨に四分割されたあの百足だった。

「レオフリック王子よ。お主を予定先に転送するはずじゃった魔法陣の座標記述の違い、その原因についてじゃが……該当部分の魔法陣を作成した僧兵の死体から、これと同じ蟲が出てきた」

 その言葉に驚いて、アルジャーノンと共に顔を見合わせる。

「その僧兵は疑いのある者として投獄された後、牢の中で次第に意味不明の言動を繰り返すようになり、翌朝には変死しておったそうじゃ。それを報告もなしに、城の臣下共が片付けようとしておったので死体を社で回収し調べたところ、脳にこの蟲が巣くっており中身を食い荒らされておった。更に後日、城内のとある倉庫で一人の臣下が不審死しておったのじゃが、それにもこの百足がいた」

「……まさか、この蟲は社から発生したのか⁉ なら俺の隊は……」

 ディランが目を見開いた。問いを受けて、巫女は静かに首を横に振る。

「まだ詳細はわからぬ。ちなみに、犠牲になった僧兵の所属は鬼熊隊であって、お主の八咫烏隊ではない。それも、ウーサー王が魔法陣を記述した者の作業開始からの動向を調べようとした矢先の出来事」

「つまり、消されたと?」

「なぜこの事件が起きたのか、誰が仕組んだのか、調べるためにエバーハルトと社警備主任のクマタカ双方で城内と社を探っておるのじゃ。国王からすれば今の危険な状況で王子の供に付けるなら、お主の方がより安全で都合が良かったのじゃろう」

 今にも歯ぎしりしそうだが、どうにかして感情を殺している様子のディランに知らん顔をしながら、巫女は更に言葉を続ける。

「一つ言えるのは、この蟲は見た目こそ昆虫に擬態しておるのじゃが、内部組織は大きく異なる。恐らくこの世の生き物ではない。我らと同じ類、つまり外界のものじゃ」

「……という事は、お前に送ったあのクラゲモドキも」

「別種ではあるものの、似たような内部組織じゃった。本来内臓や細胞組織が詰まっているはずが、どちらもまるで宇宙の霞のような、虚ろな内部組織をしておる」

「——えっ、ちょっと待ってくれ! 確かに奇妙だったが、あの名前の無い怪物がこの世の生き物ではないってどういう事なんだ⁉」

 ロバート船長が素っ頓狂な声を上げた。私とアルジャーノンが巫女とロバート船長へ交互に視線を向けている間に、ディランはテーブルの上に置いてあった例の木箱を無造作に取り上げる。

「その前に、一つ報告がある。これが博士の実験室があるらしい地下室の鍵だ。回収の前に警備員が来て、その場から撤退せざるを得なかった」

「うむ、ご苦労。屋敷についてじゃが、すでに調査と称して僧兵を向かわせておる。すぐに手配し、実験室を内包した魔道具を回収させよう。鍵を寄こせ」

 彼が木箱を水盆に向けて放り投げると、波紋と共に水面が揺らいで、木箱が巫女の手に渡った。それを傍らに置いては顔に掛かる髪を払い、先程から何か言いたそうにうずうずしているロバート船長に向かって巫女は言葉を続ける。

「初めに、妾は悪魔だと言ったじゃろう。悪魔とは即ちこの世のものではない、魔界の住人。神話の時代、この人間界とは違う世界に住む者達が、それぞれ呼び声に応えてこの世界に干渉を始めたように、恐らくこの蟲共も何かのきっかけで同じように来訪したという事じゃ」

「え、いやあの、悪いが、さっきから何を言ってるのか全然わかんねぇ。神話学は専門外だし、色々説明になってねぇよ」

「悪魔だのなんだの、お伽話の類ではないのか? それともそういった通称というだけの、実態は九尾狐と同じような異能を持つ異相の化け物なのか」

 ロバート船長は頭に疑問符を浮かべながらお手上げのポーズをして、オディールは腕組みをしたまま不審そうに問いかけた。私達も当然同じ心境だ。退屈そうにテーブルの上で頬杖をついていたディランと一度目を合わせると、巫女は溜息を吐く。

「まあ信じられぬのも無理はないの……ならば、まずは見せよう。妾の役目、その一つを」

「うわっ、なんだ⁉」

 巫女が徐に長い爪が生えた手を翳し、ぱちりと指を鳴らせば真っ白な霞が水盆から噴き出したかと思うと、先ほどまで全員で館のキッチンにいたはずなのに、見知らぬ部屋が眼前に広がっていた。

 地下室のような窓のない空間に、天井に広がる魔法で投影された星空。磨き上げられた大理石の床と巨大な幾本もの柱、壁には一面全体を使って絵画の様に彫刻された波間を割る巨大な竜やクラーケン、はたまた三又の槍を掲げたポセイドンなど、海に関連する様々な怪物等がずらりと並び、進む者の足を竦ませる。広い通路の端には彫刻の隙間から流れ続ける水が溜まり、ゆらゆらと壁に刻まれた彫刻へ光を反射している。見た目より水深は深そうだ。

 廊下の奥には巨大な台座が備え付けられており、上空には衛星軌道を描く天球儀が浮かんでいる。大小さまざまな時計の文字盤が四方、そして下段にもはめ込まれており、何やら複雑な機構が施された大人の身長程はありそうな巨大な時計のような物が見えた。

「ここは……」

「社の隠された宝物庫……を模した幻術じゃ。実際に転移したわけではないから安心せい」

 羽織った着物の長い裾を引きずりながら、巫女はこちらに向き直った。

「これは古代遺物の一つ、人類史の刑期を刻む万年時計じゃ。妾……いや、正確には水の巫女に発露した者の役目は、任期の間万年時計の観測を続け、然るべき時が来たら対応する事。しかし、今は部品を故意に外され動いておらぬ。百二十年以上前、番の回ってきた妾が当代巫女として勤めた時は確かに動いておったが……」

「然るべき時? 部品が外された? いや、まず、刑期とはいったい何の事なんだ」

 話についていけず混乱したまま私が問いかけると、巫女は苛立ったように唸りながら顎に手を当てた。

「そうじゃのう……では、この国の伝承を言えるか」

「女神が雨の国の繁栄を願い、役目を終えた後は天に帰ったと聞いている。水の精霊ウンディーネは、争いを続ける人を嘆いて帰ったと言ったが」

「ではまず歴史から隠された人の原罪を話そう」

 止まった文字盤の縁をなぞり、巫女は重々しく口を開いた。

「歪められた歴史の真実——それは、人間が豊穣を呼んだ女神を各国で取り合って戦争を続けた挙句殺害し、女神の魂が宙に還った後も、加護の力を残す遺体を取り合い三つに分けた事じゃ」

「い、遺体を分けた⁉」

 アルジャーノンがその言葉に驚いて、彼のしっぽがピンと伸びる。

「当然許される所業ではない。人の業を嘆く女神の魂に呼応し、三つの断面から我らの一族は召喚された。しかし……分割された肉体を依り代に呼ばれた我らは、不完全の存在と成った。いずれも何かが欠けたままこの世に召喚されたのじゃ。それが、首から生まれた不寛容な天使、上半身から生まれた諦観主義の悪魔、下半身から生まれた翼の無い竜。不完全故に我らが住む本来の世界では受け入れられず、袋小路になった外界の者は残りの女神の体を手に入れれば完全な存在になれるはずと信じ込み、人間と結託して争ってはこの地を支配しようとした。それが古代戦争の真実。まあ、共犯者とも言えるの」

 妾の先祖は実に愚かな選択をしたもんじゃ、と巫女は表情を変えずに続ける。

「元々女神の使い魔だった精霊達は怒り狂い、ついに断固たる拒絶の意を示した。森羅万象、この地を巡る莫大なエネルギーそのものである精霊を、我らが使役できるのは人より僅かに多くてもほんの表層の一意識。僅かな部分を抑えたところで精霊の怒れる無意識全体は地を伝う魔力となり、それぞれの属性を宿した世界七天災となって各国へ周期的に降り注ぐ。この万年時計は天災の起こる周期を示し、刑期……つまり精霊の怒りが静まるその時を計測するために発明された、古代の遺物なんじゃよ」

「なんてこった……正直信じられねぇ話だが、それが本当なら、これはとんでもねぇオーパーツって事だよな⁉」

 巫女の話の最中、顔色を変えて万年時計に近づいたロバート博士は、信じられないと何度も呟いてはリュックから文献を取り出しては繰り返し見比べている。

「これの時……計測が止まるという事は、各国に降りかかる天災の予測が出来ぬ。我らの天災を鎮める儀式が間に合わぬまま、ある日突然大津波や大地震が起きて人類は滅びる事になるのじゃ。それでは三すくみの拮抗勢力が崩れ、それを機にまた永遠に続く愚かな戦争を呼ぶ事になるじゃろう」

「そんな……」

 何と言っていいかわからず、途方に暮れる。

「閉鎖された世界で核を失い元の世界に拒絶された我らは、果てしない時を刻み続ける万年時計を守り、いずれ来る人類の穏やかな滅びを見届ける契約を交わした。代々役目を受け継ぎ、研究を続けた我らの一族はとうに、真祖の巫女……女神の肉体を集めたところで最早意味がない事に気づいておるが、天使と竜共の意見は違う。あ奴らは、真祖の巫女を取り戻しさえすればこの世は己が管理する方がよいと考えておる連中じゃ。一方は己の意見が正しいと思い込み、一方は諦めを知らん。意地の張り合いを続け歯止めが効かんくなったのじゃ。人外の力を恐れる人間と交わした契約があるため、巫女に憑いた者は各々の社から出られない。その代わりに妾の目となる使い魔を使役し、奴らの謀を監視しては防いでいるんじゃよ」

「つまり、俺が倒れようが構わずこき使われてる理由だな」

 巫女の側で、隣に座るバレットと共に控えていたディランが淡々と告げた。静かに火花を散らして睨み合う二人に、慌てて割入ろうと言葉をかける。

「この時計は修理できないのか」

「できぬ。製法が現存しておらぬからの。難解な絡繰り仕掛けのようになっておるせいで誰も組み立てられず、一から製作する事も出来ぬ。だからこそ部品が外されていたのは本当に驚いた。妾が発露後、この万年時計をどうにか直せぬかと必死に調べていたらこの手紙が出てきたんじゃ」

 万年時計に装飾された、秒針を刻む際に揺れる仕掛けになっている馬の像を何度か押し込むと、カチリと音がして土台の取っ手が跳ねる。開錠された小さな引き出しから古びた手紙を取り出し、こちらに向かって文面を見せた。


  ——その時が来るまで、七つの部品を各国に隠した。咎を背負うのは私の子孫になるのだろう。申し訳ないが、どうか許してほしい。 ——アーサー王


「なっ、なんですかこの手紙は……この印はどうしてっ……アーサー王とは、いったい誰なのですか⁉」

 混乱し、アルジャーノンが己の頭を抱える。私自身も家系図には見た覚えのない名前に驚き、困惑を覚えた。偽物か悪戯ではないのかと疑ってしまうのに、確かに歴代の王のみしか使用が許されない国印が手紙に押してある。

「存在しない王がいる、という事は城の歴史から抹消されているという事。百二十年天使の時代が続いた間、そして現代まで継続して勤めている天使がいるにも関わらず、奴らに空白の記憶があるのが証拠よ。こやつ……アーサー王は、一人で万年時計の新たな秘密を知り、恐らく当時の天使達と共謀して部品を隠したのじゃ」

 苛立たし気に親指の爪を噛み、余計な事をしおって……と巫女は地面を何度か蹴る。

「こいつは、何を知り、何を行った? なぜ世の均衡を保つため定められた任期と周期を守る我らを欺いて、百二十年天使の時代にする必要があった? そしてなぜその時の事を誰も覚えていない⁉ そこがわからぬのじゃ!」

 落ち着けよ、と言葉をかけるディランと耳を伏せるバレットに今にも八つ当たりしそうな勢いの巫女に、ふと思い出した事を問いかける。

「そうだ、貴方はなぜ、私にアーサー王と問いかけたのだ? この手紙と何か関係があるのか?」

 弾かれたように振り向くと、彼女は鋭い爪で文面を指し示し、震え上がるような恐ろしい声で言い放った。

「手紙にその時が来るまで、と書いてあるじゃろう。という事は、この思惑に期限が設定されているという事じゃ。何らかのトリガーが必要なのに、誰も知らぬ状態で、狙い通り仕掛けが機能すると思うか? 絶対にこやつは起動するための導線を残しておる。どんな技を使ったかは知らんが、肉体は滅びたとしてもこの世に魂の破片程度は残しておるじゃろう。例えば血縁に、例えば遺物に、例えば旅路のどこか思い出深き地に——! もし、もしもじゃ、道中でこの愚かな大罪人の魂の欠片を見つけ出すような事があれば、どんな形であれ必ず妾の元に連れて来い! よいな!」

 ぎろりと睨み上げては烈火のごとく燃え盛る怒りを映す青い瞳は、もしその言葉通りにすればその魂がきっとただでは済まない事が良く分かり、その気迫に思わず息を呑む。

「ディラン……お主もじゃぞ。わかっておるな」

「はいはい。まあ、こいつの血縁なんだから、意外とどっかその辺で呑気に浮いてるかもな。見つけたら獲って来るよ。虫網とかで捕まるだろ」

「そんな蝶々みたいなもんなのか? 魂って……」

 呆れたように呟きながらロバート船長がリュックに文献を仕舞い直している。

「必ず会話が可能な状態で捕らえよ。意思疎通が取れねば意味がないからの……」

 手紙を手荒に元の引き出しに仕舞うと、巫女は両手で受け皿を持つような仕草をした。その中心に淡い光が集まり、手のひらサイズの丸い形を成す。

「今話した通り、一刻も早く万年時計を元に戻す必要があるんじゃ。そこでこの時計の一部を解析し、残りの部品を探知する仕組みを急遽拵えてみた。この指針が示す場所に万年時計の部品があるはずじゃ。諸国を探して手に入れよ」

 それはまるで、先端の金具にペンデュラムが取り付けられた、羅針盤のような物だった。リングの先には短い鎖で固定された、先端が鋭い形状のオパールがぶら下がっている。

「これは責任をもってお主が探せ。どうせ試練で諸国を巡るんじゃ。必ず見つけ出してこい」

「……わかった」

 当然、ここで嫌な予感がするからと断れるような雰囲気ではない。手渡されたと同時に見た目より重い圧を、主に巫女の手のひらから感じていると、空いた手で巫女が再度指を鳴らす。

すると、先程まで広がっていた神秘的な宝物庫の光景が、瞬く間に元居た館のキッチンに変わった。戻ってきた日常の光景に、なんだか急に力が抜けて椅子に座り込む。ディランとオディール以外の皆は同じ様に疲労困憊していたが、彼は考え込むようにしてその場に立ったままだった。

「……しかし、蟲の件は結局どういう事なんだ? いったいお前達の他に、何からの侵略を受けている。試練を妨害した僧兵に突然襲い掛かってきた人狼……目的は本当にレオンなのか?」

「まだ何もわかってはおらぬ。お主が不在の間、社の警備強化についてはクマタカに任せるつもりじゃが」

「なら一度ソビに連絡させてくれ。俺が不在なのに社で何かあるなら、猶更あいつと連携する必要がある。防衛のみならまだしも、クマじゃ内政は不安だ」

「構わん。八咫烏隊宛の式神の経由に水鏡の使用を許そう」

 ディランが懐から何やら文字が書かれた紙を取り出すと、水鏡に向かって紙飛行機を飛ばすように投げた。

 人型の紙はふわりと宙を舞ったかと思うと、瞬く間に水鏡を通過し社の彼方へと消える。

「それと、これがこの王子様のお世話にかかった諸々の費用だから城に請求しといてくれ。今こいつの世話係を求募してるからその給料もな」

「あいわかった。採用したら書類を寄こすがいい」

 ドサドサと水盆に投げ込まれる領収書の束を社側で受け取った巫女が、ざっとページを流し見るように金額を確認しながらああそれと、と何でもない事の様に呟いた。

「更にもう一つ、火の国から巫女の側近派遣要請が来た」

「……は?」

「何やら水難の類で手が付けられんと来た。火の国の巫女や側近ではどうにもできんそうじゃ。水鏡越しに泣きついてきてのう。社からは動けん妾の代理として、お主を派遣する事になった」

「俺に火の国の水難を解決して来いと? あいつらの国の事情なのに?」

「話によると、巫女の側近が現在うまく機能していないそうじゃ。それで妾を頼ってきたのじゃろう。後ほど書簡と使いの服を送る。火の国の巫女に憑いておるのは妾と縁のある家系の侯爵じゃ。放ってはおけん。必ずや役目を果たせ」

 崩れ落ちるように着席し、バレットから心配されているディランにかける言葉が見つからないでいると、アルジャーノンが気づいたように声を上げる。

「という事は、火の国の巫女も悪魔だという事ですか」

「いかにも」

 腕の間に潜り込んだバレットの鼻先を避けていたディランが、力なくロバート船長を指さした。

「後そいつが所有している飛行船について、困り事があるらしい」

「あっ、いいのか? じゃあ恐縮ですが、もしよかったら浮遊石か、無ければもしくは召雷石とかお一つ手配できませんか? 動力の修理に必要で……はは、いや、やっぱ無理だよな——」

「うむ。よいぞ。そんな物でいいのか?」

「ええっ⁉」

 目を剥いて驚愕するロバート船長を置いて、彼女は水面越しにこちらに手を翳すと、水盆から何やら宝石の様に光る大きな石がみるみるせり上がり、溢れ出した。

「うわーっ! うわーっ⁉ マジかよ、貴重な石がこんなにホイホイ⁉」

「魔石とは即ち長い年月をかけ石に大地の魔力が宿った物。しかし妾の魔力量であればいくらでも即座に生み出せる。のう、これぐらいで足りるか?」

「あっ、ありがとうございます充分過ぎるくらいです!」

 慌てて回収しようと彼は近くに合った桶を使って水盆から石を引き上げるが、それでももりもりと底から沸き上がってくるので狂喜乱舞しては悲鳴を上げるという最早情緒不安定になっている。

「すっ、すげーよなんてこった……これ最早資産申告とか必要なんじゃないかな……」

「それはそれで納税で破産しそうな量ですよ」

「じゃあ黙っとくか……」

「そんなに高価な物なのか」

 アルジャーノンにジト目を向けられているロバート船長へ私が尋ねると、彼は驚きぱっと口元を覆った。

「えっ、じゃあ城にはいったいどれだけ魔石があるんだ⁉」

「……王子、大まかな目安でいいますと、このくらいの大きさの魔石一つで要人護送馬車三台分と同等の値段がします」

「そ、そんなに」

 呆れたような眼差しをこちらに向けるオディールが視界に入り、更に城に設置されていた数々の魔石を思い浮かべ、私はこれ以上口を開かない方がいいかとなんとなく察した。

 一方で、無の状態でバレットの額を撫でていたディランが、巫女にもうよいか、と確認を受けている。

「ああ……こっちからの報告は以上だな」

「うむ。そろそろ時間じゃ。何も今すぐに旅立てとは言っておらん。準備が必要じゃろう。また何か判明すれば追って連絡する。では、お主は一刻も早く魔力を補充せよ。妾の鏡を貸してやるから、レーテの所へ行け」

「え、いやちょっと待て、せめてやる事を終わらせてから——っ⁉」

「ならぬ。最早倒れる寸前じゃろう、その髪色では機能維持も限界のはずじゃ。一刻を争う」

 水鏡から、人の上半身くらいは映せそうな青銅の鏡が浮かび上がり、重々しくディランの前に鎮座したかと思うと——彼はすでに言葉の途中で脱兎の如く駆け出していたのだが——、その瞬間鏡面から爆発したかのように蛸の脚が大量に飛び出した。

「うわやめっ——なんだよこれ気色悪い放せ! せめて自分の足で向かわせろよ!」

「いちいちやかましいのう。魔界にて健気に待機する妾の召使にこれとはなんじゃ。文句を言うな」

 主人が必死に暴れる様子を見て、バレットが勇ましく蛸足に飛びつき噛みつこうとしたものの、一瞬で放り投げられ情けない悲鳴を上げていた。手足や体に容赦なく絡みつく紫や緑色の悍ましい巨大な蛸の触手に、今まで聞いた事がない悲鳴を上げるディランを助けようと近くにいた私が咄嗟に手を伸ばしたとたん——

「あっ」

 ぴたり、と足の吸盤が私の服の袖に吸い付き、そのままぐんと凄まじい力で体を引かれて足が浮いた。

「うっ、うわぁー⁉」

「レオン王子⁉」

 叫びながらふと見上げた触手が伸びる鏡の奥には真っ暗な闇が広がっており、絡めとられて抵抗もできぬまま鏡の向こうへ姿を消した彼の後に続いて、私も引きずり込まれてしまった。

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