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第三十話 名前のない怪物

 咄嗟に私を庇う様にして、ディランが前に立ち塞がった。アルジャーノンは不覚ですなぜ足音が聞き取れなかったのでしょうと頭を抱えている。

 一触即発な雰囲気に、困った様子で一人表通りにいたロジェが口を開いた。

「な、なんかごめんな、ホームズに不審人物が路地裏にいたら報告しろって言われて、でも指示された容姿が明らかにレオン兄ちゃん達に似てたし……ってかその女の人、誰? ホームズから用があるなら、まさか指名手配犯とか?」

「用は済んだから君は帰りなさい。……それと、そんなに警戒するな。話があると言っただろう。私からも多少は言いたい事があるが、主に依頼人からだ」

 もごもご弁解しているロジェに札を渡して軽く手で追い払うと、探偵は道を譲るように身を引いた。

 その背後から、ご苦労さんと探偵の肩に手を置いて悠々と登場したのは見知らぬ男性。

「——やっと見つけた! 探したよ、君の事だろう城の暗部ってのは! この奇妙奇天烈な話をちらつかせたら絶対そっちから接触して来ると思ったんだ!」

 何やら目を輝かせて話しかけてくるのは、ゴーグルを額に押し上げて無造作に跳ねる茶髪を留めた、所々に黒い油の擦れた整備士のようなつなぎを着て登山家のような大きなリュックを背負う無精髭の男性だ。興奮した様子でこちらに向かって捲し立ててくる男性の背後では、探偵と助手が冷静に会話している。

「前々から勝手に事件が解決していたり、見つけた証拠と明らかに違う内容で真相が流布されていたり、我々としても何かあるとは思っていたが……」

「僕達の商売敵の正体が、こんな美人の女性とはね」

「いやぁ、実はこちらからこの事件に関してお願いがあってね? ぜひ深いお話をさせてほしい。悪い事は言わないよ、でもここじゃなんだから麗しい黒薔薇の様な君、どこかコーヒーの美味しい店でもご一緒に——」

 余りの出来事にこちらが硬直しているのをいいことに、鮮やかに間合いを詰めて幻覚の姿のままだったディランの腰に手を当て引き寄せようとした男が、突如一回転した。

 いや、何を言っているんだと思われるかもしれないが、正確にはディランが男に足払いをかけてから目にも留まらぬ速さで背負い投げをしたのだが、あまりの早業に男がその場で一回転したようにしか見えなかったのだ。

 流星の様な速度でものすごい音を立てて地面に叩きつけられ、クレーターの中心で情けない悲鳴を上げる軽薄な男は銀色の靄が周囲を覆う中、地を這うような声を聞いた。

「……ご一緒に、なんだって?」

「スミマセン、ナンデモナイデス」

 元の姿に戻った、というか幻覚を解いたディランの姿を見て、探偵達が驚いたように顔を見合わせる。

「えっ、信じられない。今度は男性になったよ。ホームズ、君の変装術とどっちが凄いんだろう」

「あれは僕のするような変装じゃなく、奇術の類だろう。信じがたい話だが」

「そんな……事件の影に潜む謎に包まれた城の暗部の正体が麗しいお姉さんじゃなかったなんて……もうお終いだ……」

「お前の人生がな」

 両手で顔を覆い、さめざめと泣いている男に向かって、据わった目で左手を翳そうとしたディランの腕を慌てて掴んで止める。

「待て! 何をする気だ」

「なんだよ邪魔するな。まずはこいつを山に埋める」

「一旦落ち着くんだ。まず都合の悪い場面を見られたからと言って、人を山に埋めてはいけない」

「貴方お皿割った時に、報告せず庭に埋めたタイプでしょう」

「なんでわかるんだ」

 アルジャーノンの一言に目を丸くさせるディランをなんとか押さえていると、まあ待てと探偵が口を開いた。

「そもそも君たちの正体も大方察しがついている。私から日記をスった彼が城の暗部に所属しているというなら、共に行動するやけに旅慣れていない様子の君こそが恐らく、今この国の裏で出回っている暗殺依頼の対象第二王子レオフリック。そして獣人の君がその従者だろう」

「なっ」

「だから、身分を隠そうとしても今更無駄だという事だ」

「達者なその口が利けなくなれば問題ないだろう」

「物騒な奴だな。自分で言うのもなんだが、私が消える方が少なからずこの街に影響が出るがね」

 憮然として物申す探偵の隣で助手が、彼に手を出したら僕だって黙っていないぞと拳を振り上げて憤慨する。

「一度私の事務所に向かおう。ゆっくり話をしようじゃないか。商売敵とはいえ歓迎はするよ、紅茶で良ければね」

「ああ……失態だ。焦りすぎた。あいつになんて報告しよう、まさか正体が特定されるとは……」

 珍しく憔悴しているディランにせめて何か声をかけようと口を開きかけ、いやでもそもそもお前らのせいだよなと秒で結論付けられたのでそのまま閉口した。

 ところでそろそろ解放してもらってもよろしいでしょうか、と足元の男が弱弱しく挙手をしている。


 中央通りから、商業施設の建ち並ぶベイカー・ストリートへ徒歩で移動し、案内された狭い下宿の階段を囚人のような面持ちでぞろぞろと上がった。階下では夫人がいったいどなた、と目を丸くしている。最後尾でドアを閉め、ホームズは私達にソファを手で示してから助手とキッチンへと向かった。

 ごちゃごちゃと乱雑に物が置かれた情報量が多い探偵事務所だ。居心地悪く三人で座り、正面に座る依頼人の話を聞いた所——

「貴方、ご遺族じゃないんですか⁉」

「そう、俺はヴィクター博士の友人、ロバート・ウォルトンだ。個人で所有してる環境調査飛行船の船長でもある。日記に俺についての記述があっただろう? それで、困っている事というのは要するに丸っきり部外者だから、調べたくても館に侵入できないって事でな」

 ソファで私を中心にしてディランとアルジャーノン、ディランの隣でバレットが欠伸をしながら床に伏せるという配置で、対面では依頼人が大きなリュックからいくつか本を取り出す。

 探偵と助手はというと、奥のキッチンで何やら話をしながら人数分のお茶を用意していた。カップが足りないだとかなんとか、あちこちの戸棚を開けてはもめている。

 長机に次々と並べられる博士との手紙やら著書やらを一瞥し、じゃああのミズマンジュウだかトゲアリトゲナシだかふざけた事を言ってたのはお前か、とディランが呆れたように言った。

「そう。俺の事だよ。そのヒラメノマクラの事なんだが」

「命名権は生物の場合論文の発表者が持つ権利ですよ」

「なんだよ。俺だって多少は協力したんだぜ? 他にもウミウシノボウシとか候補はたくさんあるのに……ならば『名前のない怪物』と仮称しよう。あれは危険な生物なんだ。とんでもない特性を持っている。あれを研究し始めてから、恐らく実験による事故でヴィクターの様子はおかしくなった」

 試しに机の上に置かれる数々の日記や手紙を手に取って眺めるが、最新の日付に近づくにせよ筆致が乱れ、文章どころか文字の判読すらできなくなっている。かろうじて読み取れる言語のひとつに、なんだ? 沼男?

「この日記はどうしてお前が持っているんだ?」

「手紙は依頼人が所持していたものだが、日記の方は調査を依頼された私が故人の館で入手したものだ。途中で警備に見つかって追い出されたがね」

 角砂糖の入ったポットと掌サイズのミルクピッチャーを持って、キッチンからこちらに向かって歩いてくる探偵が言った。助手が誤魔化すような愛想笑いで、盆に載せた大きさがバラバラなティーカップやマグカップを全員の前に置いていく。淹れたての紅茶のいい香りがした。

「腹が立ったから、懇意にしているレストレード警部に残りの私物の持ち出しを依頼しようかと思ったくらいだったが、遺族は故人が研究をしていたのだからどこかに遺産があると思い込んでおり異常なほど神経質だ。だが、実際には精神を患った晩年の博士の生活は困窮を極めておりとてもじゃないが財産など残っていない。それでもこうした記述はあるものだから、諦めきれないのか調査には非協力的でね」

「実験室っていうのは、間違いなく実在する。俺の予想だが、何らかの魔道具なんじゃないかと思っているんだ。そして俺が最も恐れてるのは、この危険生物を彼が繁殖させていないかということでね」

「要領を得ないな。どう危険なんだ」

 しびれを切らしたディランが問うと、驚かないでくれよと船長は言った。

「特定の生物に寄生し、最終的には精神を乗っ取って中身を吸収、外見だけ擬態するんだ」

「……は?」

「それって、とんでもなく危険じゃないですか!」

「そう。どうにかして公にならないよう実験室ごと始末したいけど、調査は難航しているし人間の手には負えない。だから、こういう事件をもみ消すため動きだすであろう城の暗部を探してたんだ」

「ちなみに墓を暴いたのも私達だ。我々が実際に行った犯行なのに、警察以外の人物が調査に入っていたらクロ。と言うわけで墓場の張り込みを続け、あの時墓守主任と明らかに親しそうにしていた怪しい君達を発見し、即座に一芝居打たせてもらった」

「ち、ちょっと待て、それなら水の国が……いや、まず黒犬はどうしたんだ」

「周波数が特殊な風の国名産品魔法道具オルハープってのがあってね。聴覚の鋭いワンちゃん達だけぐっすり眠ってくれるのさ」

 こっちがただでさえ混乱しているというのに、衝撃の事実がどんどんと飛び出してくる。

つまり、最初から完全にターゲットとして網を張られていたという事に気づき、思わず片手で口元を押さえるディランに至っては、元々白い肌が更に血の気を失くしていた。

「俺は空路が封鎖される前、調査と採取の旅から帰って来る最中に博士の訃報を知った。文通で研究の経過は知っていたから、この生物が博士に擬態していないかを真っ先に疑って、ホームズと一緒に墓を暴いてみた。その結果が——」

「棺の中が空だったというわけだ」

 対面から上体を乗り出して、青ざめた顔で完全に固まっているディランの腕を逃がさんぞと言わんばかりにがっちりと掴み、船長はにこりと笑う。

「頼む、もう俺達の手に負えないんだ。日に日に様子がおかしくなっていく友人を、止める事ができなかった俺には責任がある。出来る限りの情報提供はするから、名前のない怪物の根絶に協力してほしい」

 さもないと、君の正体が世間に言いふらされちゃうかも、などと最後の方はウインクしながらお道化て告げた。

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