第二十話 聖獣ベルーガ
「それなら、ここで刺客を捕らえるのを待つのか?」
「いえ、消しますが? 彼も同じ考えでしょう」
アルジャーノンが笑顔でそう言い放ち、しばらく沈黙が流れた後、私は裏門の鍵を開けた。
「えっ⁉ 何をするつもりですかお待ちください王子!」
「いいや待たない。お前たちはいつも私に何も言わずに話を進める。刺客なら一度捕らえて情報を聞き出すべきだ」
「危険です! 何より、王子が気に掛ける事ではありません!」
「気に掛けるだろう私自身の事だぞ。それに、無暗に命を奪うものではない」
必死に止めようとして縋りついてくるのを放せと窘めていると、遠くから犬の鳴き声が聞こえた。
「あれは……」
森の茂みから元気よく飛び出したバレットが、こちらを見ながらついてこいと言わんばかりに吠えて、その場で飛び跳ねている。
「——クソ、しくじった」
やはり、こんな案件は受けるべきではなかった。どこもかしこも同じ標的の暗殺依頼で埋まっているなんて、発注先がきな臭くてどんな奴でも関わろうとは思わない。のらりくらりと上からの指示を避けてきたが、皆同じ考えだったのかついにこちらまでお鉢が回ってきた。その上失敗したと報告などしようものなら、この身がいったいどうなるか。
潮時かもしれなかった。流れ者を拾い、受け入れてくれた事に恩はあれど、組織である彼らが私を最後まで守りきる義理はない。間違いなく見捨てられるだろう。適当に依頼に取り組んだフリをして、失敗したらこの国を去るべきだ。
知らぬ森を駆けるのは苦労する。この森は妙に木々が生い茂り、土も幹もじめじめと苔生して足場が悪い。早朝は霧が深く視界が悪いし、あの二人は妙に標的に張り付いているしでどうもやりにくく、焦ったのがいけなかった。
「まあいい、一度姿を隠して——っ⁉」
枝から跳躍しようとした身体が、頭上からの衝撃に傾いだ。局地的な雨が降ったかのように、振り向く頬に大量の水滴がかかる。首を掴まれ、一瞬で地に叩きつけられた。息が詰まる。嫌な音と共に胸部から脈打つような痛みが痺れるように広がって、骨が折れたと気づいた。
「暗殺者の割には短気な奴だな。どこの組織の末端だ? 他に何人いる?」
「なっ⁉ 貴様っ、どこから……ぐっ」
「答えろ」
首を掴み上げ、体を引き起こされた。いや、最早釣り上げられたといった方が近い。爪先が地から浮く。片腕なのに、まるで化け物のような力だ。標的の傍で警戒を解かず、厄介だった黒髪の男。
前髪から水滴を伝わせ覗く眼差しから理解したのは、情けも何も通じない、間違いなくこちら側の人間だという事。
「言うわけが……」
「そうか。死ね」
頸椎をへし折られる前に、必死にその腕を掴む。
氷結魔法が作動するより早く、胴を蹴り飛ばされた。背後の大木に叩きつけられ、息ができない。
「なるほど、精霊は凍らせたのか……はぁ、あいつが極端に弱いのか、お前がそこそこ強かっただけなのかわからないな」
僅かに霜が張った左腕を、何でもないように軽く振って落とすと、咳き込むこちらを見据えその男は刀を構えた。
「どうせなら楽に死にたいだろう? 無駄な抵抗はするなよ」
「……っ、そう言われて従う奴がいるものか」
「なんという事でしょう! 精霊が氷漬けに!」
「ホーリー⁉ 大丈夫か⁉ いったいどうしたんだ」
バレットに導かれ、森に少し入ったところで水の守護精霊の氷像を発見した。彼女の瞳は驚いたように見開かれ、何かに手を翳すような姿勢で、胸部には二カ所穴が空いている。
痛々しい姿に従者と二人で傍へ駆け寄るも、これをいったいどうしたらいいのかわからない。
「先ほどの襲撃も氷属性魔法でした。彼が防いでくれましたが、もしも当たっていたら、王子もこうなっていたのかもしれません」
「そんな……」
触れようとしたが、いけませんとアルジャーノンに止められてしまった。何が起こるかわからない、と。
「触れた者も凍る可能性があります。下手に動かさない方がいいかと」
「そうは言っても……何か、使えそうな魔法はあるだろうか」
「私は魔力量が少なく、精々武器に対する属性付与しかできません。それに木属性ですので、今この場面でお役に立てるかは……」
首を横に振るアルジャーノンを見て、それから足元で舌を出しているバレットを見た。目を合わせたまま、首を傾げられる。やはり魔物でもなんとかできるわけではなさそうだ。というよりそもそも言葉は通じるのだろうか。
「例えば太陽光を反射させて……いえ、そのまま溶けて蒸発してしまうかもしれません」
「それなら、水を……かけてみるか……」
魔法で球状に集めた水を出現させ、頭上から垂らしてみた。ざばざばと水飛沫が彼女の体全体を伝い、地面を濡らしていく。
「頼む……戻ってきてくれ……」
「塩水の方が良いでしょうか。中の成分を逃がさないかもしれません」
「料理じゃないんだぞ」
このまま精霊を失ってしまったらどうしようと恐ろしくなる。
首に下げていた鎖を外して指輪を嵌め祈り続けてみると、徐々に指輪が熱を持って発光し、氷像に亀裂が走る。
「——あ」
パキンと氷が割れ、ホーリーは後ろにぐらりと体勢を崩す。慌てて支えると、彼女は何度か瞬きをした。
「す、すみませんマスターっ、私」
「よかった! なんともないか? 無事か?」
「ぶ、無事です! うっ、私、お二人にご迷惑をかけるといけないと思っていたのに——」
うわぁんと決壊するように泣き始めると、彼女の体が突然光り輝き、姿が収縮した。なんだなんだと二人で驚いていると、光が収まった中心には両手に乗せられる程の、半透明で小さなシロイルカの姿が見えた。
「ううっ、面目次第もございません、敵は一人です。狐の面をした女性でした……私は一瞬でやられてしまって」
「その姿はいったい」
「精霊の本性です。人間形態の他に、魔力を持たない人には見えぬ聖獣の姿をとるとも言われています」
アルジャーノンが感心したように彼女を見ている。しばらくした後、耐え切れなくなったように、めそめそと泣く聖獣の何やら紋様の描かれた額をぶにとつついた。




