第十八話 御庭番衆頭領
お前も今のうちに食っておけとディランに勧められ、では僭越ながらと小さな魚を選んで焼いたアルジャーノンは、一口含むとしばらくした後神妙な顔で言った。
「……せめて塩が、いえ、米と汁物も欲しいです」
「そんなものはない。これから調達しに行くんだし、必要な物が他にあるなら考えておけよ」
「そ、そんなに世話になっていいのか」
思わずそう聞くと、地図は持ってるか?とディランが尋ねてきたので鞄の中の手帳を開いて見せる。広げた世界地図の雨の国を指さした後、隣の大陸に伝わせ彼は説明した。
「水の試練は終わったんだ。どうせ次の目的地は隣の火の国だろ? 飛行船なら丸一日程度だが、今火の国側で魔物騒動があって船を出せないらしい。波や天気の状況にもよるが火の国へは航路で最短2日。長くて4日はかかる。今すぐここを出ていくより、しっかり準備を整えた方がいい。急ぎの旅でもないんだろ?」
「父上には旅を楽しめと言われた」
「試練をそんな風にとらえてる奴もいるのか」
呆れたようなディランに、アルジャーノンが告げる。
「きっと父親の温情でしょう。王子は城に戻り次第国務に追われる事となります。——これがある意味、最後の子供でいられる期間ですから……」
最後の方は小声で聞き取れなかったが、彼はコップの水を飲み干し一息ついてからディランに耳打ちした。
「そろそろ狐をおびき出しましょう。一つ提案があるのですが——」
「……まあ、あのまま放置するわけにもいかんしな」
「な、なんの話だ」
こそこそと内緒話をするので不安になって聞くと二人は同時に振り返り、アルジャーノンはにこやかに告げた。
「食後の準備運動です。手合わせをしましょう王子。魔法も使えるようになったのです。一度具合を確認しておくべきかと」
「その相手はお前がするんだろうな?」
「貴方に決まってるじゃないですか」
なんで全部俺にやらせるんだよ、とディランの叫びを背に受けつつ食器を運び、ぎこちなく皿を洗った。すぐさま私がやりますとアルジャーノンが飛んでくるが、世話になるのは申し訳ない、少しでも自分でやると言うと彼はぱちぱちと目を瞬かせた後、涙ぐむ。
「王子……なんと海の様に広い御心。雨の国の繁栄は約束されております……ちなみに皿の裏まで流さないとそのように泡が残りますよ」
「そ、そうなのかすまない。皿洗いとは奥深いものだな」
「何が奥深いだ。俺は準備があるから先に行ってるぞ。裏庭の方に来い」
ぶつぶつ言いながらディランが調理場から出ていき、アルジャーノンとテーブルの後片付けをした後、言われた通り裏門へ向かって歩き出す。
「そういえば王子、あの精霊は召喚できそうですか?」
「ええと、どうやるんだ」
「試しに呼んでみれば何か反応など、しませんでしょうか」
最初は口に出して名を読んでみた。反応はない。次は、頭の中で念じてみた。反応はない。その後どうすればいいかわからなくなり、アルジャーノンを見つめる。
「よくわからないが、たぶんやり方が違うのかもしれない……」
「応答はないのですよね?」
「ああ」
念を押すようにアルジャーノンが言い、それに返事をすると彼は顎に手をあてながら思案した。
「……まさか、本当にやられているとは……封印でもされてしまったのでしょうか」
「ディランが精霊を使えるのなら、彼に召喚の仕方を尋ねればいいだろうか」
「そうしましょう。巫女の一派……つまり僧兵や御庭番衆の事ですが、魔力の秀でた者が多く、その中でも側近とあれば御庭番衆を束ねる存在です。彼が相当な実力であることは違いありません」
「なるほど。つまり、王の側近であり近衛騎士団長のエバーハルトのような立場か」
「おっしゃる通りです。だからこそ、任務とはいえ彼がここで暮らしているのが不思議なんですよ」
裏口の扉を開けると、森の方を見ながら立っていたディランがこちらを向いて手招いた。
「森の近くでやるぞ。庭を荒らすとブラムに悪い」
裏門を開く彼の後ろに続く。すぐ近くの森の入り口近くまで行くと、それを背にして彼は振り向いた。
「一番得意な武器は?」
「剣だ」
「剣か……持ってたかな」
空に水の波紋のようなものが出現したかと思ったら、彼がそこに手を突っ込むと肘から先が消える。ごそごそと何か引っ張り出すような仕草をする彼に驚いていると、あったあったと何かを引きずり出した。
「あ、違う。刀だった。もうこれでいいか?」
「それだと王子の剣に比べて刀身が長く不公平です。公正な試合をするべきですよ」
「んなこと言ったら俺の得物は棍なんだよ。公平も何もねーだろ」
「棍なんて論外です! 王子が勝てる訳ないじゃないですか!」
「……」
「それこそ失礼なんじゃないのか?」
うーんと悩みながら彼は掴んでいた刀を地面に置き、更にがさごそと水の波紋から武器を取り出していく。短刀から弓、クナイから錫杖、何に使うかわからない鈴のような物などいろんな種類の武器のような何かがぼろぼろ出てくる状況に驚いていると、しばらくしてからやっぱりない、とだけ言った。
「じゃあお前がこれ使え。これは妖刀じゃない普通の刀だから安心しろ」
「うわ」
「……あの、妖刀の所持は法律違反だったと記憶していますが?」
「巫女の許可があれば問題ない。そもそもこっちが法律を順守したところで、俺が相手する様な奴は堂々と違反する連中なんだからしょうがねーだろ」
「め、めちゃくちゃだ……巫女はいったいどんな教育をしているんですか」
「強いて言うならあれは放任主義だ」
差し出されたのは先ほどの刀で、受け取ると軽々と扱っていたように見えたのに反してずしりと重い。恐る恐る、黒い鞘から少しだけ刀身を抜いてみると、太陽光を反射して刃が煌めいた。よくわからないがとんでもなく切れそうだ。
「し、真剣でやるのか?」
「流石に木刀は持ってないからな。ここは兵舎でもないし……不安なら俺が攻撃しないでもいい。なんなら刀を抜かなくたって——」
「いやいい、一度やってみよう」
そこまで言われてしまっては勝負するしかないだろう。一応、エバーハルトに武器の指南は受けている。こちらの顔つきを見て、ディランは鼻で笑った。散らばった武器を波紋の中に片付けて最後に残した錫杖を手に取り、金具がついている方を引くと杖の中からすらりと仕込み刀が現れる。
「まあそうだな、三本勝負でいいか? もし俺から一本とれたら大したもんだよ」
「頑張ってください王子! あの減らず口に参ったと言わせてやりましょう」
「そうだな。目標を大きく持つことは大事だからな」
「ぎゃふんとも言わせてやってください!」
ディランを指さしてぴいぴい鳴くアルジャーノンが見守る中、鞘から刀を抜き中段に構える。
「——よろしく頼む」