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第十四話 水の試練

Tips 人によってはホラー回かもしれません(例:海洋恐怖症)

 霧の中、小舟はゆっくりと滑るように動く。櫂が水を切り、船体が擦れ軋む音が響いている。

 湖の中央に聳え立つ大鳥居の端を船で潜ると更に霧が増し、いよいよ周辺の景色が見えなくなった。

「これより水面下に潜り、水底の鳥居をくぐりなさい。中断するなら船底を叩き、私に申しなさい」

 案内人は櫂を漕ぐ手を止めてそう言うと、水面の下を指で示す。

「わかった、ありがとう」

 荷はそのままにして、外套の留め具を外して靴を脱ぎ、少し悩んだが水中ではどうせろくに振るう事もできないと剣も置いて、意を決し水面に手を触れる。

身を切るように冷たいかと思っていたが、不思議とぬるいような気がした。早くした方がいい、というディランの忠告が脳裏をよぎる。小舟をひっくり返さないように飛び込んで、何度か息をした後いよいよ水面に頭をつけてみた。霧のせいで太陽光が差さず、全体が仄暗い。

 目を凝らせば、眼下数mの岩に建てられた鳥居の朱色が僅かに見える。暗く光の届かない水底よりは遥かに近い場所だ。それでも、確かに自分が潜っていくには厳しい水深に近い。

 顔を上げて、立ち泳ぎをしながらもう一度大きく息を吸い込み、いよいよ潜水を開始する。

 ごぽん、と周囲の音が鈍くなった。

 水を掻いて進む。せめて鳥居しか見ないようにしようと思っていたが、なんだか妙に視界の端にちらつく影があるような気がする。それとも、怖いと思うから過敏になるのだろうか。

 穏やかな水の中で、堆積物や水草の欠片が流れに巻き上がっては落ちていく。

 種類が何かは知らないが、遠くから鯉程の大きさはある淡水魚が泳いでくるのが見えた。

 広いとはいえこんな閉鎖された湖でも生態系は息づいているのかと感心していると、近づいてくるにつれその魚の歪な歯と眼球が人間の物であることに気が付いた。

「——っ⁉」

 思わず空気を吐き出しそうになり、口元を手で押さえる。

 よく見れば鰭が、奇妙に伸びて骨が一部見えている崩れた人の指だ。うねる肌色の鱗がてらてらと艶めかしく光を反射している。

 瞬きの合間にふらふらとまるで痙攣するように泳ぐ不気味な魚は、暗闇の中に消えていった。

 見間違いかと思いたいが、あれが恐らく幻覚の一つか、だとしたらもう引き返せないところまで来ている。あんな悍ましいものを何度も見るのは流石に耐えがたいと思い、急いで潜る事にした。そしてなぜか先ほどから耳元で囁き声が聞こえる、という事に気が付き——それに気が付いてはいけなかった。

 岩壁の隙間から爪の剥がれかけた人間の指が這い出すようにかかっていて、視界の端から何やらじっとりとした視線を感じる。岩に張り付く苔が増殖し、白骨死体を覆いつくしては不自然に脈動している。頭上が時折、巨大な魚影が通り過ぎるように暗くなり、叫びだしたくなるような不安を余計に掻き立てられる。

 焦って体に力が入る程、上手く水を掻けない。まさか、このまま窒息死するのか、と思った。

 嫌だ、死にたくない。恐ろしい。早く終わらせたい。だがそう思う程に鳥居は遠くなる。

 突然、水に何かが叩きつけられるような音がした。驚いて振り返ると、泡に包まれて見慣れた人影が見える。アルジャーノンだ。

 意識を失っているのか、弛緩した体が沈み、もしあの崖から叩き落されたのなら助からないのでは、と肝が冷える。

 咄嗟に引き返しそうになったが、あの水面までは到底自分の息が続かない事を察した。陸で何かあったのか、あの二人に何が、そう思った瞬間、今度は黒い影が投げ込まれた。もう助からないであろう二人の死体を認識して、それに群がる魚の群れを見て魚影に囲まれ赤い血が見えて——いやこれは、絶対に嘘だと思った。

 脳が冷えたような感覚だ。すぐさま鳥居に向き直り、窒息寸前で泳ぎ切る。鼓膜が痛い。懸命に伸ばした腕が、鳥居の柱を掴んで、目いっぱい体を引き寄せた。

 ぐん、と引っ張られるような感覚がする。


 ——水中を抜けると、水中だった。


 闇の中のような、恐らく水深は深海ほどだろう。何も届かず、照らさない闇の中で平衡どころか上下の感覚すら失う。もう限界だ、と息を吐き出した後、なぜか呼吸ができることに気づいた。闇の中で何かが蠢く。城壁より巨大な体躯を覆う鱗。ミノカサゴのような鰭。蛍光斑色の蛸足やイソギンチャクの触手。苔やフジツボが付着する貝殻に半身を納めて、それでも飛び出している全長。

「——失敗しました」

 海洋生物の集合体とも言えるようなそれは、貝殻の隙間から珊瑚の冠を被ったウツボのような顔を複数覗かせた。しかし、暗くてその巨躯の半分はよく見えない。

「なんてこと。己の従者たちを使えばさぞかし動揺すると思ったのに、まさかそこまで巫女の使い魔を妄信しているとは……」

「あ、貴方は……」

「儀式では私を見かけることもあったでしょう。私は水の精霊ウンディーネの本性です。今見えている姿は貴方が生み出した水への畏怖そのもの。雨の国の王子レオフリックよ、よく試練を突破しましたね」

 もごもごと何やら貝の隙間から泡を吐いてぼやいていたのに、次の瞬間には平然と名乗りを上げている。海の怪物のような姿から、聞きなれた女性の声がするので少し混乱した。

「これでようやく、正式に守護精霊を宿すことができます。その指輪にかけられていたのは儀式に関連付けられた封印だったため、私では手が出せませんでした」

「私の魔法は使えるようになるか?」

「ええ、問題ございません」

 胸元の指輪が淡く輝きだす。ひときわ大きく光を放った後、全身に魔力が巡るような感覚がした。

「貴方の別人格第一表層と、精霊の加護が合わさり、守護精霊の属性は同じでも能力は人それぞれになります。攻めの力を宿す者もいれば、守りの力を宿す者も。——さぁ、私の役目はこれで終わりです。転送しますので、領域から帰還してください」

「えっ、待ってくれ、貴方なら封印をかけた者が誰かわからないか?」

 懸命に光が収まった指輪の鎖を引っ張って問いかけると、瞬きをしない目が珊瑚の冠の隙間から覗いた。

「魔法陣から転送された瞬間発動される類の呪としか。そして私の意見としては、ヒトの子の覇権争いに興味はありません。どちらも好きに繁栄すればいいし、滅べばよいとも思っています。請われたら力を貸すだけで」

「そんな」

「太古からの危機を解決しようと、まともに動いた者は結局一人だけでした。そしてまたヒトの過ちにより継承は途絶えた。正直に言えば私は呆れています。この世は元々女神の国。貴方たちヒトが現れて争いを続けたから女神は嘆き空に帰った。それからこの地の祝福は今も薄れ続けているのです」

 嘆く巨大な顎から咽頭顎が覗いて、その牙の鋭さに慄く。

「水属性が好む感情は、例えば感謝と人徳、例えば嫉妬。守護精霊が何を宿すか全ては貴方次第。貴方の器が注がれる水の形をどう変化させるのか、楽しみにしておいてください」

 こちらが口を開く前に、体が巨大な渦潮に包まれていく。

 深海から放り出された体は通ってきた鳥居の柱を捕らえ、自分がまだ水中で息ができることに安心する。

 頭上を見上げれば、二人の死体はもうなかった。幻覚なのだから当然だ。

 水を蹴って泳ぐ体に力をこめると、自分がより速く泳げる事に気づく。体が軽い。

 ぐんぐんと近づく水面と同時に、喜びが沸き上がってくる。儀式は無事に成功した。早く二人に報告したい。

 そうして勢いよく小舟に近づいた瞬間——私は突然の息苦しさを覚え、がくんと体が落ちた。

 船べりを掴み損ねた手を伸ばそうとして上がれず意識を喪失する寸前、こちらを覗き込む魚影のような、人影のような白い姿が見える。

「……人魚?」


 どれぐらい意識を失っていたのか、温かい水の中で意識を取り戻し、起き上がろうとして苦労する。

「レオフリック王子! お目覚めですか⁉」

 水の中にいるようなのだが、なんだ? ここは桟橋付近か?

 泣き腫らした顔をしたアルジャーノンを見て、混乱する頭を抱えながらようやく水面から顔を出した途端、体を包んでいた水が弾けるように形を失った。

 宙に放り出されて地面にしりもちをつきそうになり、誰かに背後から抱えられる。

「潜水病だよ。勢いよく浮上するからだ。目覚めたんなら早くそいつをなんとかしてくれ」

「……えっ」

 一瞬ディランかと思ったのだが、彼は泣き崩れるアルジャーノンの隣にいた。——では、この背を支える二本の腕の感触は?

「初めまして……というのは違うかもしれませんが、マスター、貴方の守護精霊です」

 振り返ると、水色の長い髪を持つ着物姿の少女がいた。

「ようやくお会い出来ましたね。封印によりお力添えできず、大変申し訳ございませんでした」

「水の守護精霊か……! 名は何というんだ」

「実は特にないのですが……私には癒しの力があります。そうですね……ホーリーとでもお呼びください」

 握手を求めようとしたが、彼女はにこりと一礼した後、アルジャーノンにすたすたと歩み寄ると、

「大丈夫ですか? アルジャーノン様、そんなに泣いては大変です。目をこすってはいけませんよ、脱水症状も起こしてしまいます」

「わ、わわっ、私めに様付けなどっ、ひいっだだ大丈夫です恐れ多い——」

 彼の目元に掌を翳し、水色の燐光を放ったかと思うと治癒魔法が発動しているのがわかる。

「ディラン様も、ご無事ですか? 疲れてはおりませんか? 顔色が悪いですよ? 私、恩人である貴方方にとっても感謝しているのです」

「大げさだな何もなかったし顔色はいつもこう——うわやめろ! お前が寝てる間、ずっとこんな調子なんだよ早くしまえ」

 治癒魔法をかけられそうになるのをさっと避けながら、ディランがぼやく。

「……精霊ってしまえるのか」

「命じればいいだけだ。それに放置しておくと、お前が内心で思っていることをこうして永遠に言いふらされ続けるぞ。それでもいいのか」

「や、やっぱりこれは王子の本心なのですね⁉ あの、その、てて照れてしまいますね……わわ私、ずっと旅のお供をするつもりではありますがこの調子ではその身が持たないといいますかその」

 パニックになっているアルジャーノンを宥めながら、段々状況を理解して気恥ずかしくなってきたので、とりあえず言われるがまま命じてみた。

「ふ、二人が困ってるから、その……それをやめて? もらえないか?」

「嫌です。私、まだまだ言い足りませんもの」

「……」

「ほらな、厄介っつったろ?」

 基本言う事聞かねぇんだよそいつら、とディランは苦々し気に言った。

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