第一話 覚悟
「さて、どこをどう登りましょうか……」
谷を抜けて見通しの良いところまで出ると、ユリアは山を見上げた。まず元いた海沿いの道の続きに戻ることが大前提だが、その先どう動くか。
「いいの? 下の方でなるべく逃げ回るんじゃなかったの?」
申し訳なさそうな顔で奏が問う。予定を変更して山を登る理由を誤解しているようだった。
「今のところ山頂まで行くつもりはないわよ。武器を手に入れるなら、山の中腹が一番狙い目だと思っただけ」
「どして?」
可愛らし気に首を傾げる奏。元のゆるふわな感じに戻っている。先程の裏切りを思い出させるのは忍びなかったが、言わないと説明できない。
「さっきの結花って子、奏が脚本通りに行動することを予想して、あの場所で待ち構えてた。奏の再生を強奪したかったんでしょうね。生き残るために最も重要な能力のはず」
「そっか……」
案の定、表情を曇らせ俯く奏。しかしすぐに切り替えたのか、顔を上げて問う。
「他の子もそう考えるかもしれないって、思ってるんだよね?」
「ええ。だとすると、原作や脚本で序盤に出てくる場所は、誰かがいる可能性が高い。武器や物資があることが想定できるし、それを狙ってやってくる人を罠にハメて、相手の能力を強奪するのにも適してる」
「つまり、中盤以降に武器を調達してる場所に案内すればいいんだよね? そこなら、まだ誰もいないかもしれないから」
飲み込みが早くて助かる。台本や設定資料を丸暗記しているだけあって、ゆるい雰囲気の割に頭は切れるようだった。ならばきっと、適切な場所を選択してくれる。
「そう。山のこちら側にありそうなところで、どこか候補ないかしら?」
「んー……」
しばらく唸りながら山を眺めていた奏だが、中腹の一か所を指差して言った。
「ならあそこかなあ。野鳥の観察小屋が出てくるんだけどね、そこで拳銃と手榴弾を見つけてる。同じのがあるとは限らないけど、きっとなんか置いてあるよ」
「どこ?」
「あのちょっと崖みたいになってるところ。上にへばりつくようにして建ってる白い屋根がそうだと思う」
その下は灌木の生えた荒れ地のようになっている。そこに鳥が巣でも作るのだろうか。観察するにはもってこいの位置関係と思える。形状的にも横に長く、いかにもそれらしい造り。
「道はあそこ……その先途切れて見えるけど、向こうと繋がってるのかしら?」
「んー、そこまではわかんないなあ。でもそんな感じに見えるから、行ってみよ?」
元いた道の続きと思われる海沿いの道に戻り、もう少し北側に回っていくと、分かれ道があって観察小屋方面に繋がっているように見える。
とりあえずそれで合っているという仮定で、行ってみるしかないようだった。途中、他に何かあれば、そこで武器を調達してもいい。
道に戻るには、見通しの良い斜面を上がらなくてはならない。その先も、待ち伏せしやすい林沿いを多く通ることになる。
狙撃を受けた場合の安全性を知るために、今のうちに再生についての検証をしておくことにした。
「奏、しばらく周囲の警戒をお願い。ちょっと検証してみたいことがあるから、加速を使う。クールタイムが心配だから、早めに教えてね」
サバイバルナイフを抜きながらユリアが告げると、慌てた様子で奏が飛びついてきた。
「な、なにす――」
その奏の唇に指を当て、物理的に黙らせた。
「大きな声出さないで。あなたは見ない方がいい。ちゃんと警戒してて」
ユリアが何をやる気なのか、大体想像がついたのだろう。落ち着かなげに視線を彷徨わせながら、奏は背を向けた。
足元を見ながら周囲をうろつき、大体同じ大きさの平たい石を二つ拾った。出血量についても確認したい。地面に並べると、片方の上に左手を開いて置く。小指と薬指の間にナイフの切っ先を立てた。
(銃弾の直撃を受けてすぐ治ったんだから、きっと大丈夫……)
それでもやはり怖くて、何度か深呼吸を繰り返した。
銃創は何事もなかったようにきれいに治っていた。通常の自然治癒なら、痕跡が残るはず。能力名も治癒ではなく再生。ならば、小指の一本くらい落としても元通りになる。逆にそれくらいでないと当てにはならない。
(――っ!!)
思わず漏れそうになった声を何とか堪えた。意を決して倒したナイフの刃が、ユリアの小指、第二関節に食い込む。骨の隙間にねじ込むようにして、体重を載せて無理矢理両断した。赤い血が流れ出して石の上に広がり、地面に零れ落ちていく。
荒い息を吐きながら、心の中で一秒ごとにカウントした。早回ししたかのようにすぐに肉が盛り上がり、傷口が塞がる。その先、期待通り指が伸びて元の形に再生してくれた。
加速なしでの再生速度は、二十五秒ほどだろうか。少なくとも一分以上はかかると思っていた。最初に助けてもらった時よりも、早くなっている気がする。奏との絆が強くなっているからだろうか。
呼吸を整えてから、別の石の上でもう一度指を落とした。直後に加速を二倍速で発動し、体感時間でカウントしていく。
(やっぱり、再生速度自体も加速される)
同じ二十五カウント。実時間にすると十二秒ほどということになる。四倍速なら、六秒の計算。
特筆すべきは、出血量の少なさ。ユリアの身体から流れる血である以上、変わらないのが当たり前だと思っていた。希望観測的に見ても、実時間半分で治ったから、出血も半分のはず。
実際には半分よりももっと少ない。指の周りに少し広がった程度。ユリアの身体から零れた血液は、その時点で加速対象外となるのだろうか。粘性が増したようなもので、ある程度傷口を塞ぐ形になり、止血効果が働くと考えられる。
ならば加速中であれば、通常よりも大幅に死ににくい。銃弾の速度なども、加速の倍率に応じて相対的に遅くなる。ユリアの身体が破壊される速度自体が、遅くなるということ。
痛みは変わらない。ユリアの体感時間では、再生も速くなっていない。だから、実際に戦闘でどれだけ有利に立ち回れるかは、精神力次第だろう。
覚悟が必要だ。どんな目に遭っても生き残る覚悟が。奏を護り、自分を護る覚悟。それがきっと力になる。
「どうしてそこまでするの?」
結局見ていたのだろうか。背後にいる奏からそう問われた。
「生き残るため。どこまでなら耐えられるか、知っておく必要がある」
奏の求めている答えとは少し違うのかもしれないと思いながらも、ユリアはそう答えた。再度の質問をされる前に、立ち上がって奏に訊ねる。
「まだ知識が足りない。固有能力や、それを使った原作や脚本上での戦い方の話。歩きながら全部教えて。さっきの念動力でのトラップ、似たようなことやるシーンあったんじゃないの?」
「うん……。わたし、主人公失格だね……」
知っていたのなら、罠に嵌められないよう立ち回ることも可能だった。だから責任を感じているのだろう。先程泣いたのは、その贖罪の意味もあったのかもしれない。
俯いている奏の頭にそっと手を伸ばした。ゆっくりと撫でながら、努めて優しい声を出す。
「ちゃんと主人公してる。私はあなたの力に護られて生き延びた。それに、あなたがそういう子だからこそ、みんなが協力してくれるんじゃないの? あなたを護りたくなって」
「ユリちゃん……」
奏自身の持つ魔力なのだろうか。それとも篠川小波に設定された隠し能力なのだろうか。ユリアもそれに惹かれて、ただ自分の生存性を上げるための手段としてではなく、純粋に奏を護りたいという気持ちが出てきていた。