第四話 運命共同体
奏の頭上すぐを通り過ぎ、金属製のドアを銃弾が穿った。引き倒すのが一瞬でも遅れていたら、命中していた。直後、わき腹に激痛が走る。
(四倍速!)
全身を荒れ狂うように走る痛みの信号に顔を歪めつつも、ユリアは加速の倍率を上げた。奏を抱え上げて地面を蹴った直後、背中のすぐ後ろで再びドアに跳ねる弾丸の音が届く。
その先は大胆に動いた。弱い念動力なのであれば、射線を大きく変えるのには時間がかかる。もう一つの罠はないと信じて、一気に物置の海側の陰に入った。
足元に何かが置いてある。見たことのある形状に、ユリアは思考停止しそうになった。誰もいないのに、銀色のピンが勝手に抜けていく。
(死んだらごめん!)
多少の衝撃では爆発しないはず。安全レバーが外れてしまう前に、手榴弾を蹴り飛ばした。その行き先を見極めることもなく、海側へと全速力で走る。段差の下へと飛び下りる途中で加速が切れた。
「ユリちゃん!」
奏の悲鳴がやっと聞き取れた。周囲の時間が遅くなると共に、声が低く、ゆっくりとなってしまって、何を言っているのかわからなくなっていた。
「伏せて!」
着地と同時に地面に降ろした奏の頭を、胸に強くかき抱いた。直後、斜め後ろから轟音が響く。
思ったよりも爆発までの時間は長かった。加速の効果時間中なら、手榴弾は大した脅威ではないのかもしれない。
「はぁっ、はぁっ……」
荒い息を吐きつつ、ユリアは地面に倒れ伏した。その背を奏が揺らす。
「ユリちゃん! ユリちゃん! 大丈夫!? 血、出てる!」
「も……もう治ってる。逃げるわよ!」
痛みは完全に引いていて、加速が切れる前に銃創は再生してしまったようだった。奏に感謝しなくてはならない。再生がなければ、恐らくここで動けなくなり、追撃で殺されていた。
さすがに抱えてあげる余裕はなく、奏の手を引き段差の下を二人で走った。銃弾は届かないと安心できる場所まで行ってから、やっと後ろを振り返る。
追いかけてきてはいない。だが外に出て武器を拾っている。その銃口は、こちらではなく山側に向けたように見えた。
「ホントに治ったの?」
「その話は後で。もっと離れないと」
後ろから連続した射撃音が響いた。こちらに向けてのものではない。手榴弾の音を聞いて誰かがやってきたのだろう。
「あれ助けなくていいの!?」
「今は自分たちの生命の方が大事!」
後からやってきたのは、仲間になれる人物かもしれない。奏はそれを心配して何度も振り返っているのだろう。しかし、見捨ててでも生き残るべきだとユリアは考えた。
そもそもこちらはサバイバルナイフ一本だけ。加速のクールタイムも残っている。加勢のつもりが足を引っ張りかねない。
再び爆発音が響く。もうそれなりに遠くなっていて、どちらがどうなったのかは判別がつかない。敵となる方が生き残ったと仮定して逃げ続けた。
前方に谷状になっている場所を見つけると、海岸から離れて入り込んでいった。大きな岩がいくつも転がっていて、その間に身を潜める。
しばらくは二人とも荒い息を吐くだけで、会話はできなかった。先に口を開いたのは奏。セーラー服の裾をめくりながら、撃たれたユリアの右脇腹を触って確かめている。
「痛くないよね? きれいに治ってる……」
「だから、加速が切れる前には治ってたって」
「ごめんね、わたしを庇って……」
ユリアの頭をかき抱くようにして、奏が涙声でそう言う。
「私は私を護っただけ。一発目、あなたの頭を狙ってたみたい。あなたが死んでたら、私もあの場から無事には逃げられなかった」
気休めではない。実際、弾丸は奏のすぐ頭上を通過していったように見えた。二発目や三発目は少し異なる位置に着弾したのだから、あれはユリアを狙っていたものだったのかもしれない。
「でも……でも……」
「お願い、静かに。また誰か来てしまう」
泣き止ませるには、これが一番と考えた。効果てきめんだったのか、奏はすぐにユリアを放すと、涙を袖で拭った。
ユリアは自分のセーラー服の裾をまくって、どこに命中していたのか確認した。傷は治っていても、血痕の位置で判別できる。背骨の右側辺りを斜め後ろから撃たれたようだ。腹側には血は付いていない。弾丸は掠めたわけではなく、深く抉ったということ。
そうすると、撃たれてから再生するまでの時間は、考えていたのよりも大分早い気がする。実時間だと何秒だったのだろうかと計算してみた。
最初に発動したときには恐らく二倍速。撃たれるまで、体感時間でも何秒もなかった。その後すぐに四倍速に上げた。すると加速が切れるまで、実時間にして六~七秒程度といったところか。
首筋をナイフで切り裂いただけで四秒かかるのなら、計算が合わない。加速の効果で再生も早くなるのかもしれない。もっと安全そうな場所に移動してから、検証しておいた方が良いと思える。
移動の前に確認すべきことがある。遠目だが姿を見て確定した。あの結花という人物は、オーディション会場で奏の陰口を叩いていた、派手な金髪の少女。髪はもう少し大人しい色に染め直したようだが、声と合わせると間違いない。
「奏、さっきの結花って人。最後まで生き残る役なのなら、稽古でもかなり顔を合わせたはず。どんな人物でどういう性格だった?」
「えっと……明るくて、物怖じしなくて、活発で、それから――」
「今は篠川小波じゃなくて、塚本奏に聞いてるの」
美点ばかりを挙げる奏の言葉を遮り、ユリアはきつく言った。訊きたいのはそういうことではない。
「女優ではなく、一人の女の子としての奏に訊いてる。演技は要らない。生き残るために必要。本当のことを教えて」
しゅんとした様子で下を向く奏。その唇から小さな声が漏れた。
「……そういう子だって思いたい。けど、わたしのこと僻んで陰口叩いてばっかりいるって、クラスの友達に聞いた」
「同じ学校なの……?」
「芸能人が多いとこだから、仕事の奪い合いになることもあって。一部は結構ギスギスしてる」
心底哀しそうで、辛そうな声で奏は続けた。
「本当は転校したい。でも休んでばかりで卒業できる学校は少ないから……」
芸能人ならではの苦労。それも同年代では一番人気だからこその、理不尽に向けられる敵意。
そんなに順風満帆でも、幸せだけでもない人生なのだと知った。奏には奏なりの悩みがある。辛いことを乗り越え、耐え忍んで生きている。
だとすると、逆に先程襲われた原因がよくわからなくなってしまった。相手に奏を殺したいという動機があったかもしれない。設定ではなく結花という現実世界の人間として。狙いはユリアではなく、明らかに奏だった。
どのくらいの格なのかは知らないが、一応芸能人のはず。なのに、一般人に混じって公開オーディションを受けていた。結果、準主役に抜擢されたとはいえ、待遇の違いでそれまでの恨みは更に増したに違いない。
そして殺しても誰にも咎められないだろうこの状況。それができる異能力と武器。殺る気になってしまってもおかしくはない。
ユリアが生き残ったことで脚本が狂ったからか、それとも最初からそんなもの関係ないのかはわからない。少なくとも、脚本上の仲間だからといって信頼することはできないのは確か。
役者個人の性格で動いているだけなのか。それとも全員が狂気に憑りつかれているのか。それが確定できないことがもどかしい。
「奏。あなたには受け入れがたいこととわかってて敢えて言う。この先、誰も信じないで」
悔し気に顔を歪める奏。ユリアも同じ顔をしたいのを堪えながら、氷の瞳を保って続けた。
「私のことも信じなくていい。でも最後に二人だけが残って、どちらかが死なない限り終わらないと確定するまでは、絶対にあなたを裏切らない。約束する」
「わたしは……わたしは、みんなを信じたい」
瞬きと共に、再び雫が頬を伝う。俯けていた顔を上げ、それ以上涙が零れないようにしっかりと目を開きながら、ユリアの瞳を見つめ返して奏は告げた。
「でも助けてくれたのはユリちゃんだけだから、ユリちゃんの判断に従う。わたしのわがままでユリちゃんが傷つくのは、もうイヤ」
「お願い。私たちはもう運命共同体だから……」
腕を伸ばし、奏を優しく抱きしめてあげた。
絆が必要だ。再生を発動したとき、二人の間をつなぐ糸のようなものが視えた。奏自身への発動にも、『死が二人を分かつまで』と宣誓していた。
再生の効力に、具体的な数値基準は示されていない。曖昧ではあっても、身体強化には常人の二倍と表記があったのにもかかわらず。
ならば、効力の基本値を決める何かの条件があるのかもしれない。『死が二人を分かつまで』なのなら、それはきっと繋がれた者同士の絆の強さ。
そう思いたい。ユリアはそんな風に考えるようになってきていた。