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血染めの百合は愛ゆえに咲く  作者: 月夜野桜
第二章 運命共同体
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第二話 女優・塚本奏

「死が二人を分かつまで、新山クリステルを護るとここに誓う!」


 賭けの一段階目には勝ったようだ。奏はそう宣誓して能力の使用を試みた様子。しかし、何も起きていないように感じる。


「死が二人を分かつまで、新原ユリアを護るとここに誓う!」


 やりすぎたのかもしれない。立ち眩みのように視界にノイズが入り、暗くなってきた。


「死が二人を分かつまで、ユリア・ユーフェミア・新原を護るとここに誓う!」


 三度目のミドルネームつきの宣誓で、暗転しかけた世界が急速に輝きだした。奏と自分を繋ぐ糸のようなものが視える。下がっていた血圧が戻ったのか、全身に活力が蘇った。


 ほんの一秒もかからなかっただろうか。首筋に触れてみると、何事もなかったかのように傷は塞がっていた。対象が一人なら、やはり相当な再生能力の模様。


「ユリアちゃん……良かった、良かったよう……」


 起き上がろうとして、首筋に抱き着いてきた奏に押し倒された。泣いているのか、しゃくりあげる音が聴こえる。


「なんでこんなことしたの? 助けなかったらどうするつもりだったの?」


「本物なら助けると思った。それが仮面ではなく素顔なのなら、見殺しにはしない」


 賭けにすぎなかった。信じてなどいなかった。心のどこかでは、見捨てられて死ぬのもありだと考えていた。奏の仮面の下の素顔が見られるのなら。


「どうせ一人で生き残れるわけない。脚本通りならとっくに死んでる。ここで助けてくれないようじゃ、この先だってあなたを当てにできないもの」


「だからって、やりすぎだよ……」


 やりすぎというよりも、性格が悪いと自分でも思った。罪悪感を利用して、強制的に再生リジェネ対象に設定させた。解除不可の永続効果。騙し取ったようなものだ。


 散々やり合ってきた、あの闇金のヤクザたちと変わらないのかもしれない。ならば、ここは悪に徹してでも、護るべきものを護った方がいい。


「重い……どいて」


「ご、ごめん……」


 奏が腕を放して身体を起こす。彼女のセーラー服の左袖や胸にも、ユリアの血が付着していた。あくまでも身体が高速再生する能力。血痕などは消えない。


 地面に落ちていたナイフを拾いながら、奏に告げる。


「自分にも設定しなさい。やらないのなら……」


 今度は自分の左胸にナイフを向けた。不死身になったわけではない。急所を突けば死ぬ。


「ず、ずるいよ!」


「あなたが死んだらきっと効果は切れる。生き延びてもらうわよ。少なくとも、私が生きているうちは」


 諦めたのか、それとも覚悟を決めたのか。奏は自分の胸に手を当てながら宣誓した。


「死が二人を分かつまで、塚本奏を護るとここに誓う!」


 ぽうっと奏の身体が光に包まれた。先程と同じに見える。ミドルネームをつけて初めて、ユリアに対して発動した。ならば、奏は芸名ではなく、本名で活動を行っているのだろう。


「これでいいのかな? ……うーん、なんかおかしくない? 自分を護るのに、死が二人を分かつまでって?」


「言われてみれば確かにそうだけど。今、身体光ってた。――治るか試してみる?」


 ナイフの柄を向けて手渡そうとすると、奏は首をぶんぶんと横に振りながら、後ずさりして逃げた。


「ヤダヤダ、ぜったいヤダ!」


「大丈夫、痛いのは一瞬だけ。治ったらあとは痛くない」


 とんでもないとばかりに両手を広げて振り、断固拒否の構えの奏。これが普通の感覚。そして治りはするが痛いということを知らせておけば、奏もきっと無茶はしない。


 二人に設定したことで、効果は四分の一に落ちているはず。先程のユリアの傷が塞がった速度からすると、同様に頸動脈をナイフで切り裂かれたとして、再生に四秒以内。人数を増やさなければ、あれ以上の急所を攻撃されない限りは、そう簡単には死なない。


「もっと聞きたいことがあるけれど、まずは移動しましょう。さっきの声を聴いて誰か来るかもしれない」


 うんうんと奏が頷くのを確認してから、バッグを拾って肩から掛ける。奏はマニュアルを拾うと、問いかけるような視線でユリアを見た。


「それは自分で持ってて。あなたのだから」


 ポケットにしまうのを待って、奏を二つ折りにするようにして肩に担ぎ上げた。


「待って待って、降ろして」


 走り出す前に、奏が暴れて抵抗する。


「何か忘れ物?」


「自分で歩けるってば」


「誰かに遭遇したら、攻撃される前に逃げる。私には加速アクセルがあるから、この方がいい」


「なら逆だよ。ユリアちゃんの体力を温存する方が大事。見つかってからでも間に合うでしょ?」


 せいぜい二~三秒のロス。加速状態なら一秒。それが致命的になるケースもあるだろうが、確かに一日中担いで歩くわけにもいかない。


 元々わずかな水と食糧しかない上に、一人分に減ってしまった。奏の言うことにも一理ある。


「わかった。でも歩くんじゃなくて走る。ついてきて」


 奏を地面に降ろすと、元来た道の方へと走り始めた。すぐ後ろから足音がするものの、不安になって振り返ると、奏はきちんとついてきてくれている。


「どこ向かってるの?」


「わからない。向かうべき場所をあなたから聞き出したいのだけれど、あの場所はもうダメ。声を聴かれたかもしれないし、血の匂いがする」


 もう少し穏やかにやれれば、移動の必要はなかった。だが再生リジェネの能力を得たことは大きい。誰かに奇襲されても、即死級の攻撃を受けない限りは逃げ切れる。


 道に出て、辺りを見回した。見える範囲には誰もいない。戦闘の痕跡などもない。


「奏、私の台本には書いてなかったんだけど、あなたはあのシーンの後どうなる予定だったの?」


「えっと、滑落して気絶。しばらくして目が覚めて、ユリアちゃんが死んでるの見て怖くなって」


「それは私のにも書いてあった。その次のシーンからがない」


「台本にははっきり書いてないけど、原作だと北に移動することになってる」


 空を見上げて太陽の方向を確認した。記憶通り、元々いたのが南。


「ならこっちで良かったのね」


「でも、原作ってこの島じゃないよ。架空の島。だから、その辺当てになるかどうか……」


 そこまでは考えていなかった。ユリアはしばし立ち止まって考えを巡らす。奏が不安そうに顔を覗き込んできた。


「きっと大丈夫、それはみんな一緒。他の人たちに、私たち以上の知識があるわけじゃない。あなたが原作通りに動くとしたら、北へ行くと予想するはず。だから裏をかきましょう」


「じゃあ、元の場所に戻るのかな?」


「そう。滑落後、目が覚めるまでの間襲われなかったのなら、あなたを追うことなく皆いなくなったということでしょ? たぶんもう誰もいない」


「うんうん、きっとそうだよ」


 落ち着いてきたのか、少し表情を緩めて奏はうなずいた。それを見ながら、どう戻るかユリアは考えた。


 見通しのいい場所を進むのは、待ち伏せからの奇襲を受ける可能性がある。だが林の中は進みにくい上に、落ち葉を踏む音や藪をかき分ける音がする。遠くから居場所を察知される恐れが高い。


「ちょっと不安だけれど、この道を進みましょう」


 走るよりも、周囲に気を配りながら歩いた方がいい。そう判断して進み始めると、奏が左隣に並んできた。


「ね、手、繋いでいい?」


 遠慮がちにそう訊ねてきた。それで奏の不安が和らぐのならと、無言で手を取った。


「えへへー、ユリアちゃんって優しいね」


 奏は心底嬉しそうな笑顔を見せた。一瞬、今まで見ていたのは幻で、異能バトルロイヤルなど始まっていないのかと錯覚した。しかし、血が凝固し始めてベタ付く髪と、赤黒く汚れた奏のセーラー服が、現実の哀しさを教えていた。


「どうしてこんなときに笑えるの?」


「だって、哀しい顔してたら哀しくなっちゃうでしょ? だから笑っていようと思って」


 そう答える奏は、かつてTVで見ていた天真爛漫な少女のまま。大好きだったドラマを思い出した。こんな台詞を言う話がなかっただろうか。


 ユリアを明るく照らすように笑顔を振りまきながら、奏は続ける。


「わたしは女優だから。泣けと言われればどんなときだって泣くし、笑えと言われればどんなときだって笑う。たとえ親が死んだその日でもね」


 この笑顔はやはり仮面。その証拠に、ユリアの手を握る力は異常に強い。不安を心の裡に押し隠して、ユリアを元気づけようとしてくれている。


(そうか……主語が違うのね……)


 奏が哀しい顔していたら哀しくなるのは、奏ではなくユリアの方。だから奏は笑うのだろう。ユリアも笑えるように。


 それを悟ると、不思議なくらいに心が安らいだ。安全確保できてからにしようと思っていた話は、歩きながらすることにした。


「奏、あなたは脚本を全部読んだ?」


「もちろん。ぜんぶ暗記してるよ。でも訊きたいのはたぶん、わたしが出ないシーンのも読んだのかってことだよね?」


「そう。原作と脚本の違いが知りたい。原作はこの島じゃないって言ったわよね? でも脚本の方は、この島を前提に書かれているはず」


「そうなんだろうけど、さっきも言ったとおり当てにならない。まず、わたしも自分が出ないシーンの分まではもらってない。それから、ここでのロケは、海とか山とかの背景が映るシーンのだけ」


 ユリアの登場分でも、いきなり殺されるシーンと、その後崖下で死体の役をやるシーンの二つだけになっていた。修学旅行中にバスで移動しているシーンなどは、本土での撮影。


「つまり、脚本よりも原作をベースに考えた方がいい。違っている部分だけ脚本通りに補正ってところかしら?」


「うーん……原作に登場する場所が、そもそも存在しない可能性があるんじゃないかな?」


 奏の言葉を聞いて、ユリアは思わず足を止めた。色々と考えたつもりで、考えられていなかった。映画撮影なんて初めてのことだから、仕方ないのかもしれない。


 だが断片的に撮影したものを繋ぎ合わせて製作するものであることくらいは知っていた。それらの断片が、すべてこの島にあるとは限らない。そう論理的に推測することは可能だった。


「ユリアちゃん?」


 不思議そうな顔で奏が覗き込んできて、我に返った。彼女がいなければ、やはりユリアは死んでいた。原作を読んでいたとしても。先入観に囚われすぎていたのかもしれない。


「展開よりも、初期状況の方が大事。あなたと、最初に殺しにきたあの子は脚本通りの能力を持っていた。他の全員の能力を知って、対策を立てることの方が重要ね」


「うんうん。わたしもそう思う。大丈夫、みんな覚えてるから」


「みんなって……? ああ、原作を読んで?」


「原作でも能力使う前に死んじゃう子は多いよ。けど、設定資料集も公開されてるんだ。そこには使われなかった能力も含めて全員分載ってる。性格や考え方なんかも、事細かく。もちろん、暗記してるよ?」


 ユリアは眼を瞬きながら奏を見た。オーディションの時、頭が緩いなどと一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。天才子役は伊達じゃない。


「役者って、みんなそこまでするものなの?」


「やる子はやる。今回そういう子が他にもいたら、きっと強敵になる」


 そうすると、優位性はなくなる。いや、ユリアの能力は知られていない分、まだこちらの方が有利。そう考えて、大事なことを思い出した。


「私のマニュアル……最初の場所に置いてきてしまったみたい。誰かに見られたかも」


「それでも大丈夫」


 奏は自信ありげににっこりと笑って続ける。


「だってこっちは二人一組だから。協力すればどうにかなるよ。ちょっと怪我したくらいじゃ死なないんだもん」


 つくづく自分はツイていたとユリアは思った。初期地点が彼女と一緒でなければ、この恩恵は得られていなかった。生命を懸けてまで奏を引き入れたのは正解だった。


「一応、拾われてない可能性を考えて、あの場所まで戻りましょう」


「うん。じゃあその間に、みんなの能力の説明しとくね」


 現状同じだと確認できたのは二人だけ。奏と、先刻殺しにきた少女。全員が設定通りと決めつけてかかると危険だが、違った場合にも対応できる方法で仕掛ければいいだけの話。


 原作と脚本でどう使っていたのかも教えてもらった。同じ場所での戦闘にならずとも、やってきそうなことはある程度予測できる。


 奏が把握している範囲では、画面映えするよう戦闘内容が変えられているものが多い。奏が読んでいない部分の脚本でもそうだろう。それでも参考にはなる。


 何人分も聞かないうちに、元の場所に着いてしまった。不思議なことに、遺体は消えている。


「もしかして、あの子生きてるのかな?」


「どうかしら……。仮に生きていたとして、この出血で移動したのなら、痕跡がありそうなものだけど……」


 かなりの量の血痕が残っている。ユリアが叩きつけた結果、一部が崩れて岩がむき出しになったまま。足跡がいくつかあるが、誰がどう動いたのかは判然とせず、途中で消えていてどこへ向かったのかはわからない。


「とりあえず、荷物を探しましょう」


 離れすぎないよう注意しつつ、奏には主に周囲の警戒を任せて、バッグを探した。


 どこにもない。後から来たはずのもう一人が持ち去ったのだろう。ユリアが戦った少女のバッグも残っていない。


「どうするの、これから?」


 奏に問われて、ユリアは最初に考えていた案の通りで良いか、もう一度反芻してみた。


 マニュアルに書いてあることは信用していい。どういう仕掛けかはわからないが、これは本当の異能バトルロイヤルになっている。


 気を失っていた間にマニュアルの入りのバッグが置かれた。異能が発現したのもその間。ならばマニュアルも、異能と同じく、この映画だか現実だかわからない世界の存在。だからそのうち壁が迫ってきて、戦場は狭くなる。逆に言えば、しばらくは広い。


「ルールでは、時間と共に壁が迫ってきて戦場が狭くなる。恐らく、最後に残るのはあそこ」


 ユリアは島の中央付近に位置する山を見上げながら言った。


「地形的にも早めに登った方が有利。でも他の人たちも同じことを考える。当然、遭遇率も高くなる。だから逆に、最初は島の外縁部にいた方がいい。坂が緩くて移動しやすいし、隠れられる場所も多い。他の人たちが殺し合うようなら、何もしなくても自然と数が減る」


「ユリアちゃん、その……」


 言いにくそうに俯きつつ、奏が問いかけようとする。何なのかはわかるので、ユリアは最後まで聞かずに答えた。


「必要なら殺す。もし全員が殺す気になっているのなら、積極的に仕掛けた方が得。ポイント制度があるし、自分の固有能力と相性のいい他人の異能を強奪ロバリーで手に入れれば、かなり有利になる。――けど、そういう前提では動きたくない」


 奏の気持ちを思いやっただけではなく、もちろん本音。生き延びたい。けれども、殺し合いをしたいわけではない。


「じゃあ、いきなり攻撃はしない?」


「ええ。少なくとも最初の一人目は。でも、みんな狂ってると判断したら、その先は迷わず動く。殺られる前に殺らないと、生き残れないのだから」


 悲痛な表情で俯いたが、奏は今度は声を荒げたりせず堪えたようだった。覚悟ができてきたのかもしれない。一人の問題ではなくなってしまったから。ユリアが彼女を罠に嵌めたことで。


「わかった。でもそう考えてくれるのなら、下にいないで上に行かない? 壁の発生装置は、山頂にあるの。みんなが行く前に、さっさと壊しにいった方がいいんじゃないかな?」


「逆。みんながまともなら、そう考えて壊しにいってくれる。下で待ってるだけで終わる。脚本通りの性格に変わってるとしても、むやみに殺し合わず奏に協力する人たちは、そうしてくれるかもしれない。――でも、みんながおかしくなってたら?」


 楽観的な方向で断定しない方がいい。最悪を想定しなくてはならない。立ち直ってきた様子の奏にもう一度言うのは躊躇われるが、ユリアにとっての最悪は、壁の発生装置など存在しないこと。


 脚本と異なりユリアは生きている。だから最初からこれは、脚本なんて関係のない本物のバトルロイヤルなのかもしれない。だとしたら、そんなもの存在するわけがない。


「リスクは可能な限り回避する。自ら動くのは、避けられないと判明してから。他の人との接触もそう。こちらからは探さなくていい。次にやるべきことは、武器の調達。その過程で、どうせ出逢うだろうし」


「そう……だね。うん、まずは安心が欲しい。必ず勝てる武器持ってたら、他の人と逢っても落ち着いて交渉できるもんね」


 自分自身を納得させるかのように何度も頷きながら、奏は次第に元の緩い表情に戻っていった。感情の制御が上手いのか、単に表面だけを取り繕ったのかはわからない。それでも奏は、また可憐な笑顔を見せて楽しげに言った。


「じゃあ、お宝探しに出発しよう! わたしね、一応当てはあるんだ。なんにもないかもしれないけど、もしあったらきっとお宝たくさんだよ?」


「当てって何?」


「ユリアちゃん、見て。ここってさ、わたしたちが撮影にきた島だと思う?」


 奏は海の方を眺めながらそう問いかけた。言っている意味がいまいち理解できず、ユリアも同じ方向を見る。それから、ぐるりと身体ごと一周させて視線を動かした。同じ島にしか見えない。起きている出来事の異常さを除けば。


「ここから海を見てて気づいたんだ。あるべきものがないって。だから、ないはずのものがあるんじゃないかな?」


 もう一度奏の見ている方向にユリアも視線を向けた。そして目を見開いた。


「島が……ない……」


 隣にあるはずの本島が存在しない。どこまでも果てしない海が続き、丸い水平線が見えている。


「やっぱりここは、異世界か何か……?」


「壁で見えないだけなのかもしれない。原作でもそうだったの。脱出不能の不安を煽るために、絶海の孤島に見せかけられてた。そこまで再現されてるのなら、他のものもあってもおかしくはないでしょ?」


 奏の言いたいことがわかってきた。原作や脚本でこの島に存在することになっている施設が、すべて実在する。別の場所でのロケが予定されているものも、本当にここにある。そしてもしかしたら、最後の希望までもが。


 ユリアもずっと強張らせていた表情を緩めて、奏に訊ねた。


「あなたが最初に武器を手に入れるのはどこ?」


「原作だと、この下から海沿いに北に行くと、小さな物置がある。スキューバダイビングに来る人たちが使うところ」


「どのあたりかわかる?」


「さっき隠れてたところよりも先じゃないかな? 近くに小さい島があって、ダイビングポイントになってるって設定。戻ってくる途中には、そういうのなかったよね?」


「見なかった気がする」


 海側の崖下を覗き込みながら、ユリアは答えた。下りられないこともないが、上がるのは大変。襲われた場合にも、下の方が不利そうに思える。


「目印があるのなら、上から行きましょう」


「うん」


 歩き始めると、再び奏がすぐ左隣に寄ってきた。


「ねえねえ、ユリちゃんって呼んでもいい?」


「別にいいけど。……どうして?」


 脈絡のない呼称変更にユリアは首を傾げた。奏は嬉し気に笑うと、すっとユリアの左手を握ってきた。


「えへへ、内緒」


 ゆるふわ笑顔で小さく鼻歌を歌い始める奏。なんとなく意味がわかった気がする。


(頭の中で漢字変換されてそう……)


 プロデューサーのセクハラを受けた後の奏の様子を思い出した。あの時点でも貴重だったはずの飲料水を使い、肌が痛みそうなくらいにこすっていた。極度の男嫌いなら、当然そちらに傾いていてもおかしくはない。


(まあ、それで精神安定が図れるのなら、楽なものよね……)


 ずっと不安がられ、まともに行動してもらえないのが一番困る。手をつなぐだけで上機嫌になってくれるのなら、むしろ都合が良い。


「そうだ、なんでユリちゃん名前が二つあるの?」


「ああ、日本の出生届には、ミドルネームの欄がないんだって。記号も使えない」


 かつて同じ疑問を抱いて母に訊ねた。その時聞いた話を、そのまま伝える。


「姓に新原、名前にユリアユーフェミアと書くしかない。どこまでがファーストネームかわからないでしょ? だから書類上はただの新原ユリア」


「そうなんだねー。オーディションの資料でもそう書いてあった。これってさ、ユリちゃんにとって、有利なことかもしれないね」


 自分より少し背が高い奏の顔を横目で見上げるようにして、ユリアは訊ねた。


「発動に名前が必要な能力が他にもあるってこと?」


「うんうん。命令をきかせるのとかあるけど、ユリちゃんに対しては実質無効になるね」


 かなりのアドヴァンテージな気がする。ここに来るまでに聞いた範囲だと、それだけで簡単に殺せるようなバランスブレイカーな能力は存在しない。他の攻撃手段と組み合わせて戦うバトル形式。


 だから『死ね』などという命令はできないのだろうが、『避けるな』なら可能だろう。使い手にとっては、状況さえ用意すれば、実質的な必殺能力のはず。かかったふりでもすれば、不意打ちのカウンターも可能。


「わたしはもう知っちゃったから、そういう能力強奪させない方がいいよ?」


 冗談めかして奏は笑う。どういう能力だろうと、強奪自体させたくないとユリアは思った。強奪ロバリーの説明には、殺した相手の固有能力を奪えると書いてあった。つまり、奏に人殺しをさせる必要がある。


 これは奏の仮面なのかもしれない。それでも、剥がしてしまいたくはなかった。少なくとも、最後の二人になるまでは。


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