第四話 未知のシナリオ
眩しさを感じて瞼を上げる。黄金色の太陽がまともに眼に入り、慌てて閉じるも緑色の残像が視界に残った。いつの間にか地面に寝転がっていたようだ。
寝返りを打つようにして身を起こすと、直前の記憶にあるロケ地点の風景が目に入った。黒地の長袖セーラー服に身を包んだ奏らしき人物が、近くにうつ伏せに倒れている。
一緒にいたはずのスタッフは見当たらない。立ち上がろうとして肩に重みを感じた。持ってきたのは小さなリュックだったはずなのに、肩掛けバッグになっている。
服装も変わっていた。奏と同じ黒地の長袖セーラー服。着替えた記憶などない。似てはいるが、自分の学校の制服ではない。撮影で使うサンプルとして見せられたものと同じ気がする。
ポケットに手を突っ込んでも、何も入っていない。時間を知ろうとスマホを探したが、バッグの中にもない。水が入ったペットボトル二本と、英語で書かれた包装の菓子か何かが三つ。固定ベルト付きのナイフ。それから、手のひらサイズの薄い手帳。
空を見上げてみたが、太陽の角度はそれほど変わったとは思えない。出発した時間から考えると、十時半を回るかどうかという頃合いだったはず。ちょうどその位置か、あるいは南中を過ぎて反対側の十三時台に見える。
海側の崖の下を覗いても、そこにはスタッフはいない。もちろん、マットも敷かれていない。
(どういうこと……?)
ユリアの記憶が飛んでいるだけで、撮影が始まっているということではなさそうだった。状況的には脚本と同じに思えるが、マットなしで落とされるわけはないのだから。
「奏。塚本奏。起きて、何かおかしい」
「ん……やめて……触らないで……」
意識がもうろうとしているのか、反応が鈍い。肩を強く揺さぶりつつ、頬を軽く叩いて呼びかけた。
「奏。起きなさい」
「あれ……ユリアちゃん? ――あ、似合ってるね、衣装」
異常と感じていないのか、奏はいつものゆるふわ笑顔で嬉しそうに感想を述べた。
「これを着てるの、おかしいと思わないの?」
直前の記憶と繋がったのだろうか。はっと目を見開くと、奏は慌てて身を起こした。彼女も着替えた覚えはないようで、不思議がっている。
「荷物を確認して。そして今どういう状況と感じたか教えて」
奏に命じつつ、ユリアももう一度バッグの中身を確認した。英語で書かれた包装の中身は、菓子ではなく軍用の固形食糧。手帳と思ったものは、バトルロイヤルのマニュアル。
ナイフを鞘から抜いてみると、峰がギザギザになった小型のサバイバルナイフだった。尖った刃先に触れてみた感じでは、よく研いである本物。
マニュアルを開くと、最初のページにユリアの顔写真とプロフィールが記載されていた。
新原ユリア、二〇一〇年二月七日生まれ。十四歳。役名の新山クリステルではなく、新原ユリアとしての記述。生年月日も、ユリア自身のもの。
共通能力、身体強化。筋力や持久力、視力や聴力等の基礎能力を常人の二倍(基本値)に引き上げる。自動付与・永続効果。
共通能力、強奪。殺した相手の固有能力を奪える。持ち歩けるのは一つのみ。現在の所有能力、なし。
台本と同時に渡された資料のものと一致する。新山クリステルではなく、新原ユリアのものであることを除いては。
いや、もう一つ違いがあった。資料にはなかった、固有能力についての記載。使用する前に殺される役ゆえに設定しなかったであろう能力まで記述されている。
固有能力、加速。体感時間三十秒の間、任意の倍率で自己時間を加速して高速に動ける。倍率が高いほど脳や身体への負担が増加する。一度発動すると三分間再発動はできない。発動中に倍率を上げることも可能。
(これは……まさか……)
始まっている。撮影か本物かはわからないが、異能バトルロイヤルが。
「わたし……記憶喪失? 撮影、始まってるの?」
奏も同様に感じている。足元に広げられた荷物は、ユリアのものと同内容。奏の手から奪うようにして、彼女のマニュアルを開いた。
固有能力は、脚本通り再生。事前に設定した対象の再生能力を高める。相手の名前を呼んで宣誓することで設定可能。一度設定したら解除不能な永続効果。再生能力は、設定対象数の二乗に反比例する。
「えっと……リ、リアリティ追求しようと、勝手に撮影始まっただけだよね?」
奏の発言を聞いて、頭の中がお花畑なのではないのかと感じるのは、ユリアの方が異常なのだろうか。何かが告げている。これはそんな話ではないと。
「荷物をまとめなおして。――早く!」
自分もバッグに詰め込みなおしながら周囲を見回しカメラを探すが、当然存在しない。やけに遠くまでよく見えるのに気付いた。そろそろコンタクトレンズか眼鏡を考えた方が良いくらいに目が悪くなっていたのに。
視力だけでなく、聴力も大幅に上がっている気がする。それなりに距離があるのに、波が磯を打つ音が聴こえる。梢のざわめきや小鳥のさえずり、草をかき分ける動物の足音。
はっとして見上げると、林の手前の小山の上に、ユリアたちと同じ黒地のセーラー服を着た少女が跳び上がってきた。
「一匹目はてめえか。ずっと気に喰わなかったんだよ、主人公ぶったその面がな!」
脚本通りの台詞、脚本通りの人物。そして脚本通りの能力。振るった手刀から衝撃波のようなものが発生するのが見えた。
(加速!)
ユリアの銀髪が幾筋もまとめて宙を舞う。首筋を襲うはずだった衝撃波は、ギリギリのところを掠めていった。
自分を衝き動かしたものが何なのかはわからない。彼女が使っているのなら、自分も使えるはずと考えたのか。それともこれまでヤクザ者相手に立ち回ってきた経験からか。
何の疑いもなく自身の固有能力を発動していた。その判断の速さが幸いして、横にステップして避けるのが間に合った。
サバイバルナイフで追撃をするつもりか、相手は腰の後ろに右手を回している。ユリアは迷わず突進した。マニュアル通りであれば、持続時間は体感で三十秒しかない。その後三分間もの長いクールタイムがある。切れる前に確実に無力化しないと、殺される。
(三倍速!)
ただでさえゆっくりと見えていた相手の動きが、さらに遅くなった。自分だけ加速した時間の中、一気に間合いを詰める。抜き放ったナイフを握った相手の右手を取り、捻りながら背を向けた。
腕を下に引きつつしゃがみ込んで、背負い落で投げる。その後絞め落として気絶させ、逃げる時間を稼ぐつもりだった。
ユリアの耳に届いたのは、ゴキリという低い音。背中から叩きつけたつもりの相手は、おかしな方向に首が曲がって仰向けに倒れていた。
身体強化の効果で加減を間違えたのか。加速のせいで、相手が受け身を取れなかったのか。元が溶岩だから、地面が硬かったのか。
原因は一つではないだろう。加速が切れるころには、相手は白目を剥いて痙攣していた。
そっと首筋に触れて脈を確かめる。場所が悪いのかと思って、何度も触り直した。口許に耳を寄せても、呼吸をしていない。
(殺した……? 私が……?)
頭の中が真っ白になって、その場にへたり込んだ。膝に温かいものを感じて視線を落とすと、赤黒い液体が倒れた少女の頭部から広がりつつあった。
「イヤァァァァァァッッッッ!!」
奏の金切り声が響いて我に返った。どういう仕組みかわからないが、本物の異能バトルロイヤルが始まってしまった。相手も、自分も、確かに異能を使用した。
「奏! 立って!」
振り返りながら、悲鳴を上げ続ける奏に向かって鋭く命令した。即決で行動しないと死ぬ。脚本上では、状況を飲み込めず戸惑っているうちに殺されていたのだから。
へたり込んだまま頭を抱える奏の元へと駆け寄る。まともに動ける精神状態にはとても見えない。
この続きを思い出した。ユリア扮する新山クリステルは、あの少女の衝撃波で首筋を切り裂かれ、背後に倒れ込んでいく。それを受け止めようとして、奏が演じる篠川小波は、共に落下してしまう。
直後、別の生徒が現れて、今殺した相手と戦い始め、奏は辛くも追撃を逃れる。それが脚本の内容。すなわち、この場にもう一人来る。ここにいては明らかに危険。
返り討ちにできてしまった以上、既に未知のシナリオになっている。仮にこれが本物の異能バトルロイヤルであったとしても、まだ生き残れる可能性はある。
鍵となるのは、脚本通り奏。彼女の再生は、必ず押さえなくてはならない。
金切り声を上げ続ける奏の首元に両手を突っ込み、交差させる形で襟をつかんだ。手前に引き絞り、頸動脈の血流を断つ。三秒もしない内に声が止まり、すぐにがくりと首を垂れた。
脈は止まっていないことを確認してから、ぐったりとした奏の身体を抱え上げる。足元を見回すと、バッグは一つしか見当たらなかった。
山の上の方から、ガサガサと植物をかき分けて何かが進む音がする。水や食糧より生命の方が大事。そう判断するとバッグを一つだけ拾って、全速力でその場を離れた。