第三話 生きていくための仮面
季節は巡り、東京では早くも色づき始めた樹々が見られるようになった十月半ば。
ロケ撮影の行われる伊豆諸島南部の無人島では、まだやっと夏が終わりを迎えたくらいの陽気だった。
ろくな波止場もないロケ地には、近くの本島からヘリコプターを使って機材が運び込まれ、撮影拠点が設けられていた。火山島故の中央の山肌には、緑に混じってところどころ人工物の跡が見える。かつては人が定住していた島だと聞いた。
最後の便のヘリコプターから、主演の塚本奏がプロデューサーと一緒に降りてくる。ユリアは改めて周囲を見回し、集まった面々の顔を見ていった。バトルロイヤルを行う女子高生役の出演者全員が集まっている。
一日で撮影できるわけはない。受け取った台本からすると、全員が映るシーンは別の場所での撮影。女優やアイドル、モデル等、他の仕事もありそうな者がいるのにもかかわらず、なぜか一堂に会している。
すぐ近くの本島には空港があり、定期便を使って一時間未満のフライトで東京に戻れるとはいえ、妙な違和感を覚えた。
「あー、これから各班に分かれて、撮影場所の下見を行ってもらう」
拡声器を手に、監督の野澤が本日の趣旨らしきことを話し始めた。
「見ての通り、足場が悪い。比較的安全な場所を選定してあるが、バトルアクションをやってもらうことになる。事前に地形を覚えてイメージを作り、この先の稽古で活かしてくれ」
単なる現地見学会のようなものらしい。それこそ全員集めてやらなくて良い気がするが、組み合わせもある。シーンの共演者同士で相談しながら見学できれば効果的。一日で周り切れるのなら、その方がいいのかもしれない。
実際、ユリアが殺されるシーンの撮影場所の写真はもらったものの、いまいちイメージが沸かず稽古の役には立たなかった。
ユリアは台詞なしで登場も数カットのみ。動きがあるのはわずか二カットだけで、読み合わせ等には呼ばれなかった。奏の代わりの人物を相手に、一番大事なシーンを中心に二日ほど稽古をさせられたのみ。
役者としては期待されていないのもあるのだろうが、大した指導者でもないようで、あとはロケ地で臨機応変にと言われて終わりだった。今日しっかりと見て自分で考える必要がある。
作中の時系列で周れば、死んだ者は下見を打ち切って帰れるからか、脚本上の開始地点をまず見ることになった。ユリアは主人公である奏のすぐ近くに倒れていて、起こされた後状況を理解する間もなく殺される役。当然奏と二人で、スタッフに案内されることになる。
「奏君、足場が悪いから気を付けたまえよ? おじさんがおぶっていってあげようか? それともお姫様抱っこをご希望かな?」
「あははは、わたし、そんなに軽くないですよー?」
「じゃあ、馬になろうかね。わっはっはっは」
プロデューサーの広瀬とイチャついている。ユリアにはそう見えてしまった。ノースリーブの可愛らしいワンピースで、露出した素肌にベタベタと触られているのに、むしろ嬉し気に笑い、避けようともしていない。
(やっぱりそういう関係なのね……)
不快で堪らない。敢えて足下の砂礫を捩じるようにして音を立てながら近づき、こちらを向いた広瀬を冷たい瞳で睨み据える。
「この間言ったこと覚えてますか? 私の前でよくもそんなこと……」
公衆の面前で堂々と非難されるとは予想外だったのか、戸惑った様子で凍り付く広瀬。奏が慌てて割り込んできて、ユリアの両肩に手を当て瞳を覗き込みながら口を開く。
「プロデューサーさんは、一番偉い人なんだよー? ユリアちゃんもきちんと言うこと聞いて、しっかり頑張ろうねー?」
子供に言い聞かせるように笑顔でたしなめた後、奏はくるりと振り返った。両手にこぶしを握って、元気な声で広瀬に宣言する。
「わたし、頑張ってこの映画成功させますから! ユリアちゃんも立派に一人前になれるよう、わたしも手伝います!」
「あ、ああ。そうだな……。うん、奏君に任せよう。周る場所多いんだろう? 早く出発したまえ」
奏の天使の笑顔には敵わないのか、あるいはユリアがあの時の録音をまだ持っていることを恐れたのか。広瀬はそそくさと逃げるようにして、他の出演者の方へと行ってしまった。
「えへへへー、それじゃ、行こっか?」
上機嫌で歩き出す奏を追い越すようにして、案内役のスタッフ二人が前に出る。その後ろを付いていくユリアとしては、何か納得がいかない。逆に庇ってもらったようになってしまった。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、嬉し気に歩く奏。まるでハイキングにでも来たかのように、風景を楽しんでいる様子。しばらく進むと、すすっとユリアの横に移動してきて耳打ちした。
「さっきは助けてくれてありがとう」
それだけ言うと、スタッフに追いついてこの先のスケジュールの話をし始めた。
(自ら望んでってわけでもなかったのかしら……)
奏の後ろ姿を見ながら、ユリアは眼を瞬いた。
彼女がよくわからなくなった。逆らえずに笑顔を保っていただけなのか。それとも、こちらの方が演技なのか。
後者だとしたら八方美人すぎて反吐が出るが、スタッフの耳には届かないよう配慮していた。演技ならば、聴こえるようにやるのではないか。
「あ、ちょっと皆さんここで待っててください」
突然そう言うと、奏は道を逸れて、近くの背の高い草むらの中に入っていった。
「奏ちゃん、ちょっと! どこ行くの?」
スタッフの制止も意に介さず、奥まで行ってしまった。その先は樹々が生い茂り、足元もよく見えないこともあって、危険と思える。
ユリアの方に二人の視線が集中した。スタッフはどちらも男性。様子を見てこいとばかりに、眼で訴えかけてくる。考えうる可能性からすると、ユリアが行くしかない。
小さく溜息を吐くと、ユリアはなるべく音を立てないように分け入った。女性同士とはいえ、見ていいものではない。
シュッ、シュッ、とスプレーか何かの音がした。そちらの方をそっと覗いてみると、奏が服に何かを吹き付けている。それから、つまみ上げて匂いを嗅いでいる様子。
「取れない……」
再び全身にスプレーをかけると、肩掛けバッグからペットボトルを取り出した。ミネラルウォーターを惜しげもなく使って手から上腕まで洗い流し、ウェットティッシュか何かでゴシゴシとこすっている。
その唇からは小さく怨嗟の声が漏れているような気がして、TVの演技でも見たことのないほど、嫌悪と不快感を顕にした表情が垣間見えた。
(そんなに嫌なのに、どうして……?)
居たたまれなくなって、ユリアはその場を離れた。貴重なはずの飲料水を使い、肌がすり切れるのではないかというほどこすっていた。潔癖症レベルの男嫌いなのだろう。
奏に対する認識を改めなくてはならないのかもしれない。あれだけの我慢をしてまで女優をやっていることが、理解できない。少なくとも、枕営業の話はデマなのだろう。そんなことをさせられそうになったら、きっと彼女はその場で――
「電話みたいです。相手はわかりませんが、プライベートの友人か何かでしょう」
彼女のイメージが傷つかないよう嘘を吐いた。スタッフまで幻想を抱いているとは思えないが、彼らの頭の中にある推測は、恐らくよろしくないものだろうから。
「そ、そうか。まあ、聞かれたくない話もあるだろう」
別の意味でイメージを損ねたかもしれない。どう訂正しても悪い方向に取られそうな気がして、ユリアはそれ以上言及しなかった。
「えへへへ、おっまたせー」
帰ってきた奏は、いつものゆるふわ笑顔に戻っていた。幸せそうに歌いながら目的地へと歩いていく。先ほど見た姿とは、まったくの別人だった。
(似た者同士……なのかしら?)
ふとそう考えてしまった。自分と彼女では、生きていくために選んだ仮面が違うだけ。
なんとも言えない。まだ何度も顔を合わせておらず、交わした言葉もごくわずか。
それに、深く知っても意味がない。同時に出るシーンの撮影が終わったら、もう会うこともないだろう。映画の中ですら友達にはならないし、殺し殺されもしない。
住む世界の違う赤の他人。元々TVやネット越しにしか顔も見られなかった相手。本来接点などないのだから。
距離にすれば、ほんの五百メートル強といったところだろうか。海に沿ってふもとを進む形で、大した高低差はなかったものの、道はお世辞にも歩きやすいとは言えず、十五分くらいはかけて目的地に辿り着いた。
現地の風景は、台本と一緒に渡された写真通りだった。海に向かってやや急な斜面となっており、その手前に小さな崖のような段差がある。山側は樹々が生い茂る林となっているが、岩が風化して崩れたのか、こんもりとした盛り上がりがある。
「えっと……カメラ、こことそこ、それから向こうですかねー?」
経験豊富なだけあってどう撮るのか予想がつくのか、奏は指し示しつつスタッフと相談している。
「まあ、監督次第ですからね……」
「でも、ユリアちゃんが衝撃波で切り裂かれて落ちるのを助けようとして、わたしも滑落ってシーンですよね。そうすると……」
海側の段差の下を奏が覗き込んだ。スタッフが一人下に降りて、状態を確認している。
「ここにマットを置いて、倒れ込んでもらう予定です。この間僕が自分で試しましたので、安心してください」
「ありがとうございます。えへへへ、みんな心配してくれていい人ばっかりですよねー」
花が咲いたように明るく笑う奏に、スタッフも照れた表情で返した。
「野澤監督は、極力スタント使いたがらないんで。バトルシーンはもっと大変ですから、覚悟してくださいよ?」
「ばっちり稽古してますよー。だからですかね、スポーツの経験ある子多く採ってたのは?」
「さあ……。ビジュアル最重視に見えましたけどね。奏ちゃんと並べたら、誰連れてきても目立たないのに」
「もー、そういう言い方良くないですよ。みんなの出番がちゃんとあるし、映画なんて撮り方次第なんですから。――それに、ほら」
奏の視線がこちらに向き、釣られてスタッフもユリアを見た。
「この映画の看板娘はユリアちゃんですよー。出番は少なくても、一番話題になるのは彼女です。『あの銀髪美少女は誰だー?』って」
そう言って邪気のない顔でケラケラと笑いだす。オーディションの時の意趣返しというわけでもなさそうに思える。実際、制作陣はそのための意外性演出に動いているようだった。
オーディションの合格者は公式サイトで発表されたが、ユリアは掲載されていなかった。プロデューサーからの誘いを断った結果不採用だったわけではなく、ティザー公開まで伏せておく戦略の模様。映画の概要では、クラスの人数は確かに一人増やされ、三十六人になっていた。
原作との人数の違いに気付いたファンたちの間では、とんでもない大物が特別出演するのではないかとの説が流れて、誰なのか予想し合っている。
「……とりあえず、地形は覚えていきます。高さも計っておいてください。本番までに、自然に倒れる練習をしておきます」
視線を避けるようにして背を向けながら、ユリアは言った。白銀の髪が目立ち過ぎるゆえ、注目を浴びるのには慣れている。それでも、三人から期待の眼差しで見られると困る。
「照れてる。かわいー」
心底可笑しそうな奏の笑い声が聞こえる。それをかき消すように、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
「全員配置完了。現時刻をもって、異能の解放と殺し合いの解禁を行う」
かなりの音量で放送が流れた。聞いたことのない声。どちらの方角からかよくわからない。こんな設備まで島に用意したのだろうか。
「なんですか、今の? リハーサル?」
「いえ……聞いてませんが……。でも、脚本と同じ台詞ですね」
奏やスタッフたちも知らされていないのか、戸惑ったように顔を見合わせている。
意図を計りかねてユリアも周囲を見回していると、山頂の方から黒い靄のようなものが駆け下りてきた。
(あれは――!?)
正体はわからないが、逃げる必要があると感じたときにはもう遅かった。急速に広がった靄に包まれて息が詰まり、視界にノイズが入ったかのように、まだら状に暗転していった。