第二話 芸能界の闇
まだ六月初めだというのに、真夏のように篠突く雨が降りしきっていた。
裾が濡れたままの服は、面接においてマイナス要素に働くのだろうか。派手過ぎず、かといって地味過ぎず。整った服装を身に纏った見目麗しい少女たちが左右に居並ぶのを見て、ユリアはそんなことを考えた。それに比べて、自分の格好のなんとみすぼらしいことか。
書類選考は相当な倍率だったようだが、無事通過した。結果がメールで届いたことに不安を覚えたものの、指定された日時にやってくると、他の通過者らしき少女たちが大勢いて、本物だとすぐにわかった。
面接の順番待ちをしているのは、ミドルティーンからハイティーンの美少女だらけ。ビジュアル重視の選考という判断は当たっていたようだった。
(大丈夫、私の発想は間違ってない)
周囲の面々を見て、ユリアはむしろ自信を覚えた。この中で一番美しいのも、一番目立つのも自分自身。ならばきっと、用意してきた作戦で通用する。
映画はかなりイカれた内容のものだった。女子高のクラスが修学旅行の途中バスごと連れ去られて、セーラー服姿のまま異能力を使って殺し合うという設定。
原作小説があるらしく、あらすじを解説したサイトは見ておいた。小説自体は読まなかった。対人コミュニケーションは苦手。好意的な印象を抱いてもらえる感想など言える自信はない。別の方法で攻める必要がある。
「四十四番、新原ユリア、中へ」
前の者が出てくると、すぐにユリアが呼び出された。案内に従い扉を開けると、長机を二つ使って、八人が並んでいる。中央に主演の塚本奏。TVの中と同じ天真爛漫そうな微笑みを満面に浮かべ、こちらを見ている。
「六十秒以内で自己紹介をしてください」
左端に座っている女性がそう指示をしてきた。ユリアはその言葉を無視して問う。
「決定権を持ってるのは誰ですか?」
個々の前にネームプレートが置かれている。プロデューサー・監督・脚本・ディレクター、後はユリアにはよくわからない役職の者だった。誰にアピールすればいいのか判断がつかない。
「不躾な。出ていきなさい」
指示した女性が眉を吊り上げ、高い声を出す。それを制すようにして、監督の野澤が右手を伸ばした。
「まあ待て。――嬢ちゃん、通常ならプロデューサーだ。金を出すスポンサーの同意も必要。だが面白いと思ったら、俺が説得してやる」
なかなか話がわかりそうな人物。頑固そうな太い眉に、こんな場だと言うのに無精髭。芸術家肌だが、実力が評価されわがままが認められている。それがユリアの感じた第一印象だった。
「ならあなたを納得させるには、何が必要ですか」
「お前は何だと思ってここに来た?」
「見た目。インパクト」
ユリアはそう即答した。監督のこの反応からして、脈はある。
「演技力が欲しいのなら、すでに実績のある女優を使います」
楽し気な笑顔で眺めている奏をまっすぐに見つめ返しながら続けた。
「美少女同士の殺し合いだからこそ華があります。より残酷に、より美しく見える。だから塚本奏以上を求めて、公開オーディションを実施した。違いますか?」
居並んだうちの六人は眉をひそめて不快感を顕にした。一人ニコニコと笑い続ける奏の他に、監督も興味深げな視線をこちらに向けている。いけると判断して、ユリアは続けた。
「私は塚本奏以上の本物の美少女です。顔と派手さだけなら間違いなく上。彼女よりも目立ちます」
当の本人を見ながらユリアは言い切った。奏はかえって嬉しそうに頬を緩める。
(頭が緩いだけなのか、それとも……)
明らかな敵意を向けているにもかかわらずの反応に、むしろユリアの方が戸惑う。
「確かに顔はいいが、スタイルは……」
監督はニヤニヤとしながら、ユリアの全身を上から下まで舐め回すように視線を往復させる。
「モデル体型です。シンデレラ体重です」
身長が大幅に足りないことさえ無視すれば、比率的には合っているのでそれで押し通した。監督は可笑し気に顔を歪ませ、声に出してしまうのを堪えている様子。
(もう一押し)
面白いとは思ってもらえている。何か決め手が必要と思考を巡らせると、メールに書いてあった文面が頭の中に蘇った。
「塚本奏を凌ぐ美貌のこの私が、使い捨てのようにあっさりと冒頭で殺されたら、強烈なインパクトがあります。普通なら最後まで生き残る助演に使います。そしてすぐ死ぬモブなら、演技力なんて必要ありません。私でもできる」
「ほう……なるほど。それで?」
満足そうな笑みを監督が浮かべ始めたのを見て、駄目押しとばかりにユリアは続けた。
「その場面をティザームービーで使えば、必ず話題を呼びます。冒頭だからネタバレにもなりません。あの銀髪美少女は誰だ? あのレベルの美少女をあっさり殺すなんて、どれだけ豪華な映画なんだ? そう思わせれば勝ちです」
人差し指と親指だけを立て、拳銃のような形にした監督の右手が、ユリアに向けられた。
「面白い。採用。お前みたいなイカれた奴が欲しかった。プロデューサー、いいですね?」
話を振られたプロデューサーの広瀬はふんぞり返り、値踏みするかのような視線で眺めてきた。ユリアは涼しい表情でそれを跳ね返し、冷たく青い瞳で見つめ返す。
「よろしい。礼儀作法は教えないとならないようだが、マーケティング的には正しい。うまく制御してくれたまえ」
一応の承諾は得られたようだ。ユリアは顔も名前も知らない父に初めて感謝した。少なくとも銀髪と青い瞳は、北欧系か何かだろう父からの遺伝。この派手さがなければ、こんなイレギュラーなアピールの仕方では成功しなかっただろう。
居並ぶ面々の中で、弱った様子で頭を掻きつつ渋る者が一人。
「そんなシーン原作にはありませんが……?」
「クラスの人数、一人増やせばいいだけだろ。その後の物語に大して影響も与えない。そんなワンシーンを冒頭に入れることができないほど、君は無能なのかね?」
脚本家をやり込めてくれたのは、もちろんこの面接を一番面白がってくれている野澤監督。
正論すぎて返す言葉もないのか、脚本家はただ無言で肩を竦めて答えとした。
「では二次オーディションの予定ですが――」
最初に指示してきた女性の言葉を再び遮り、監督が口をはさむ。
「必要ない。芸なんてこの気の強さだけだろ。何の審査をするって言うんだ? こいつはただの客寄せパンダ。本人の主張通り、顔だけなら一番だ。残酷だからこそ映える美を撮らせてもらおう」
誰も異を唱える者はおらず、女性は軽く溜息を吐いてからユリアに紙を差し出した。
「では内々定ということで。確定ではありませんからね? あとで契約手続きについて説明をします。ここに書かれた場所に十六時までには行って、中で待っているように」
「ありがとうございました」
頭を下げてからユリアが用紙を受け取ると、ふんわりとした明るい笑みを浮かべて奏が言う。
「よろしくね、ユリアちゃん」
どう反応するか一瞬迷ったのち、ほんのわずかに頭を下げて会釈の代わりとした。
(女優はカメラがなくても女優なのね……)
あの仮面の裏にはどんな悪魔が潜んでいるのだろう。そんなことを考えながら、ユリアは面接室を後にした。
外に出て腕時計を見ると、まだ十四時を回ったところ。用紙を見ると、部屋が開く時間は特に記載されていない。余計な金は使いたくないので、真っすぐに待合室へと向かった。
入り口横に立っているスタッフに用紙を見せると、すんなりと中へ通してくれた。既に一人待っている。垢ぬけた感じの都会風美少女。ファッション雑誌の表紙でも見ているかのようだった。
しかし、ユリアに向けられた視線には、何か敵意のようなものが籠められていた。二次選考に進むだけで、この先更に競い合うライバルと思われているのだろうか。
敢えて話しかけることはせず、多数ある椅子の内、一番遠い隅に座って無言で待った。
しばらくすると、扉が開いて別の者が入ってくる。髪を金色に染め、派手で挑発的な服を着た少女だった。先にいた一人と知り合いなのか、互いに笑顔になって呼び合う。
「結花、チョロかったでしょ?」
「モチ。顔と身体しか見てないんじゃねーの、あいつら? 特にプロデューサーの広瀬。なにあの脂ぎったエロオヤジ。視姦されてるみたいでキモいったらねーっつーの」
「結花、声デカいって」
「塚本の枕営業の話マジだね。最初から主演確定だなんて、あのプロデューサーに身体売ったんっしょ? 事前に裏オーディションあったっつー噂、絶対事実だって」
この二人は元々芸能関係者なのだろうか。やはり塚本奏は皆からそう思われているらしい。
(さっきのは彼女の仮面。本性はそういう女なのね、やっぱり……)
火のない所に煙は立たぬ。あの無邪気な笑顔で男を堕とすのだろう。
「だから、ブーメランになるからやめとけって。余計なこと言わない。こっちまで変な噂立てられたら困るって」
「知らねーよ。……あれ、ミキミキは? キャハ、もしかして、落ちたん? 笑えるー」
「訊いてみたいけど、スマホ返してもらわないとなあ」
「そういやそうだった。つまんねーっす」
派手な金髪の結花という少女は、仲間らしき人物の落選を喜んでいるように見えた。やはり芸能界は魔境。情報漏洩防止のためとの名目で、入り口でスマホ等を預ける規則で良かったとユリアは思う。自分のこともどんな噂を立てられるかわかったものじゃない。
他で時間を潰していたのか、十五時を過ぎるとぽつぽつと人が集まり始め、二十人を超えた。芸能活動の中心は東京なのだろうが、採用予定からすると一か所の人数としては多い。一次選考が今日だけとは限らず、この先もかなり絞られると予想される。
芸能関係の仕事なのか、慣れた感じの者もいるが、自分と同じく素人にしか見えない者も多い。おどおどと視線を彷徨わせたりして、落ち着かない様子。
タイプは様々だが、よくもまあこれだけ見目麗しい者ばかり集めたものだと思った。映画のオーディションというよりは、美少女コンテストか何かと錯覚するほど。
見た目重視にしても限度がある。ふと姉のことを思い出してしまった。これもオーディションを装った何かの罠なのではないかと。
しかし、ユリア個人を陥れる陰謀としては、流石に大掛かりすぎる。塚本奏は本物だった。母親の借金絡みの話で、彼女まで使えるわけがない。
(なんであんなのの存在で安心してるの、私は?)
自己嫌悪をして俯いた。あんな偽物の仮面には騙されない。先程陰口を叩かれていたように、あの顔と身体で男を騙し、仕事を取るのが塚本奏。
「新原ユリアさんはいますか?」
入り口からスタッフらしき男性が顔を出し呼んでいる。まだ十六時にはなっていないが、面接は全員終わったのだろうか。ユリアは右手を小さく上げながら立ち上がった。
「ああ、ちょっとこちらへ」
背中に視線が多数刺さった気がした。目が合うと角が立つから、これまでは避けていたのだろう。かなりの敵意を向けられていることは間違いない。
「突き当たり、左手の部屋。じゃあ、私はこれで」
それだけ告げて途中で引き返すスタッフの背を、わずかに眉をひそめつつユリアは見送った。ポケットに手を入れ、キーホルダー横のボタンをカチリと押す。嫌な予感がする。
「新原ユリア、入ります」
ノックをしてから扉を開けた。予想通り、中にいたのはプロデューサーの広瀬一人だけ。
まさかプロデューサー自ら契約手続きについての説明をするわけがない。先程待合室で聞いた会話を思い出し、ユリアは中には入らず外から問いかけた。
「どのようなご用件でしょうか?」
「まずは中に入りたまえ。話はそれからだ」
元来た通路にチラリと視線を送った。先程のスタッフはもういない。外から鍵を閉められる恐れはないと判断して、ユリアは中へと踏み入った。
「それで?」
「自分が例外的な採用だということは理解しているのだろう? なら、やるべきことはわかっているな?」
(枕営業。本当にあるのね……)
さっきの噂は事実だったようだ。あるいは、裏オーディションとやらの方なのだろうか。ユリアは平静を保ったまま、素知らぬ顔で問い返した。
「いえ、わかりません。このオーディションの話を聞くまでは、芸能界への興味すらなかったもので」
広瀬は椅子にふんぞり返っていた姿勢を変え、机の上に身を乗り出しながら手招きをした。ユリアは慎重に様子を探りつつ近づく。その背後で金属音が響いた。
はっとして振り返り、ドアノブに取りつくが、外から鍵を掛けられてしまった様子。先程のスタッフは、油断を誘うために一度場を離れただけだったようだ。
「ハーフは何人も喰ってきたが、銀髪は初めてだな。中々に食べごろな身体じゃないか」
後ろから太い腕で抱きすくめられた。ユリアは抵抗するように強く力を込めた後、すっと緩めてするりと下に抜ける。
「裏オーディション開始ってことですか?」
「知ってるじゃあないか。まずは着替えて自己紹介から」
着替えといっても何も用意されていない。脱げという意味なのだろう。ユリアは両腕で身を護るようにして、壁際に下がりながら断固として答える。
「私が申し込んだのは映画のオーディションなので。裏の方は辞退します」
「ん? いいのかね? 原作にはいない役を追加してまで採用するというイレギュラーな話だ。私の一存で、簡単になかったことにできる」
余裕綽々といった態度で広瀬は言うと、待合室で聞いた視姦という言葉がぴったりの厭らしい目付きで舐め回してくる。
それを見てふと思い立つと、ユリアは顎を引き、口許に微笑を浮かべた。上目遣いで見つめながら甘い声で問う。
「逆に言えば、あなたの性奴隷にでもなれば、準主役くらいは割り当ててくれるってこと? 今後別の仕事も?」
「おお、中々飲み込みがいいようだ。今回の準主役は演技力次第だが、他の仕事ならいくらでも。CMやグラビアの方が合っているだろう」
喜色を湛えて近寄ってくる広瀬に対して、ユリアは冷たい瞳に戻って言い放った。
「なら喜んで辞退します。身体売る気なんてないんで」
広瀬のこめかみに青筋が浮いた。ドスの利いた低い声で脅してくる。
「自分の立場がわかってんのか、小娘が!? 反社勢力との繋がりを作ってやることだってできる。それを明るみに出せば、野澤がどんなに使いたがっても、スポンサーが拒否するぞ?」
こうやって甘い言葉と、足元を見た脅迫を使い分けて、色欲に溺れてきたのだろう。そちら方面の業界でも儲けているのかもしれない。
「捏造したければお好きにどうぞ。私が欲しいのはお金だけなの」
ポケットからキーホルダーを取り出して、それを示しながらユリアは続けた。
「これ、ボイスレコーダーなの。今のやり取りの録音を売るだけでも、目的は達成できる。ゴシップ誌の記者とか、高く買ってくれそうよね?」
「あれだけ手荷物検査は厳重にと命じたのに……」
ギリギリと歯ぎしりをする音が聴こえた気がする。それほど明確に顔を歪めて、広瀬は唸った。
「何も言われなかったし、言わなかったことにしてあげる。だから、少なくとも私には手を出すなと、関係者全員に指示しておいて。無事に外に出してくれたら、これあなたにあげる」
凍り付いた視線を向けるユリアの目の前で、広瀬は忌々し気に舌打ちをしながら、スマートフォンを取り出した。外にいる子飼いのスタッフと連絡を取ったのか、鍵の開く音がした。
「じゃあ、表のオーディションの方ではよろしく。公明正大にね」
ドアが開き、その向こうに誰もいないのを確認してから、ユリアは鍵を取り外しキーホルダーだけを広瀬に放った。外に出て、閉まり際に隙間からささやく。
「ああ、一つとは限らないのでご注意を。身包み剥いでみる?」
広瀬がどんな表情をしたのか見られないのが残念だった。もう一度開けてみる勇気はさすがにない。その場を速足で離れると、人目がないのを確認してから壁にもたれて深く息を吐いた。
(ハッタリはダメね……最低二つは持ち歩かないと……)
あれだけだという証拠がない以上、リスクは取らないだろうが、最悪このオーディションは落ちる。元々偶然舞い込んだ話。駄目なら駄目で、元に戻るだけ。そう考えることにした。