8歩目 石けり
翌朝、サクラは崩壊した街へと足を踏み入れた。道路は波打つように歪み、変形に耐えられずあちこちに亀裂が走っている。建物もほとんどが崩落している。穴だらけになったビルから朝日が漏れ出てサクラ達を照らしていた。
街は静かだった。たまに小さな破片が転がり落ちる音がするだけ。命の音がしない街だった。
そんな街で唯一音を響かせているのがサクラだった。サクラは手ごろな小石を蹴りながら街並みを進んでいた。道の亀裂に小石を落とさないように、自分自身も躓かないように、小石を蹴りながら進める道を選ぶ。
今のところは2ミスだ。街に入ってから2つ小石を穴の底に落としてしまった。3つ目のこれを街の外まで運んでやるつもりだった。
「サクラ様――」
口うるさいコスモスの声をシャットアウトして小石を蹴る。コスモスはサクラの石けり遊びが気に入らない様子だった。注意力の欠如に繋がる、事故の可能性が、と飽きもせず続けるコスモスに、サクラは内心ため息をついた。
小石の次の目的地を見つけることに集中する。そうして何かに集中している間は、不要な考えに悩まされることもない。例えば昨夜久しぶりに見たハカセの夢だったり、新しい街に着いた時のお決まりの期待(生きた人に会えるかも)だったり、滅び切った街の寂しさだったりだ。
そういう、冷たくて重い鉄のような感情は荷物になる。ただでさえ重たいリュックが肩に食い込んでいるのだ。必要ない荷物を捨てることは、旅において重要なことなのだから。
憂鬱な考えを振り切るように、サクラは思い切り小石を蹴った。蹴られた小石は道のひび割れを跳ねて、ビルの瓦礫をかすめた先でサクラの視界から消えた。
む、とサクラは口を尖らせた。そして小石の落ちていった先を見て目を丸くした。今まで道に空いていた物とは比べ物にならないほどの大穴が存在していたのだ。
それはコンクリートで出来た噴火口に見えた。すり鉢状に崩れた穴の底には雨水が溜まっており、太陽の光を反射している。壊れてもなお仕事を果たそうとしている水道が斜面から飛び出し、どこかに溜まっているのであろう水を吐き出していた。火口湖のような水たまりの底にはビルの残骸が揺らめいている。
直径にして1kmか2kmか、街に空いた大穴の縁にサクラたちは立っていた。
「はー。凄いことになってるね」
「はい。どうやらこの都市の設計担当者は腕が悪かったようです」
「そうなの?」
「地下構造の強度設計に問題があり、何かの衝撃で陥没したのでしょう」
ふーん、とサクラは相槌を打ちながら大穴を迂回するべく進路を変えた。すり鉢の縁の部分をなぞるようにして進んでいく。
「底に溜まってる水ってきれいかな? シャツの洗濯に使えると思う?」
「推奨しません。外部に排出されない水場には有害な成分が濃縮されている可能性があります」
西暦2206年の雨といえば、大気に漂っている有害物質を大量に含んだ酸性雨だ。くぼ地の底に溜まった酸性雨が蒸発により濃縮されていたら、近づくことも危ないだろう。
「そっかー。残念。そろそろ水浴びもしたいんだけど」
「同意します。清潔を保つことは病気の予防に繋がります」
「乙女としては匂いも気になるところだし」
コスモスの学習によると、サクラが『乙女として』と前置きをしている発言に反証すると怒り出す傾向がある。だからコスモスは構築した会話アルゴリズムに従って肯定的な返答を出力した。
「そうですね。確かに臭気センサーに反応があります」
サクラの表情が明らかにムッとしたことをコスモスの光学センサーが捉えた。
「コスモス、どこか水浴びできるところある?」
「昨日のスキャンで浄水施設の場所は判明していますが、稼働している可能性は10%未満です」
「……確かめてみないと分からないでしょ! 水の確保も大事だし、何よりシャワー! お風呂!」
「承知しました。浄水施設へのナビゲートを開始します」
サクラ達は大穴の縁を外れ、比較的形を保っている建物へと歩を進めたのだった。
浄水施設にはすぐ辿り着いた。街の重要施設で比較的しっかりとした造りをしていたためか、建物としての体裁が整っていた。周辺の道もひび割れなどは少ない。しかし建物へと到着したサクラは思わず足を止めてしまった。
「コスモス、これって」
「はい。戦闘の痕跡だと思われます」
今までの道中で道を塞ぐのはビルの瓦礫がほとんどだったが、浄水施設は違った。意図して作られたバリケードの残骸。破壊され、打ち捨てられた機械類。あちこちに散らばった武器と、朽ち果てた人らしきもの。
サクラは思わずウサギのぬいぐるみを強く抱きしめた。胸元から響く「生体反応なし。周囲の風化の様子から、戦闘が行われたのは数年前だと推測されます」という植物みたいな声に少しだけ胸が軽くなった気がした。
改めて見ると、周囲に散らばった死体は紫外線と酸性雨によって風化した物ばかりだった。残っているのは骨と耐酸性のコンバットスーツなどで、生々しさを感じさせなかった。
白骨の周りに落ちている銃器はどれも動かない。朽ちた物もあるが、物理的に破壊された跡も多く見られる。サクラは記憶から銃器の知識を引っ張り出した。
「これ、確かプラズマライフルじゃない? すっごい電力食うやつ」
「はいPLR-02の特徴と合致します。主力戦車の装甲を貫通可能な出力と、歩兵でも運用できる携行性を両立した兵器です。消費電力が大きすぎたため、長期的な運用には向かない問題がありました」
「そんなモノを向ける相手となると……」
戦車の装甲を真正面から貫通できる大口径の銃。そんなモノを持ち出させた対象は、建物の入り口にいた。
曲線が多用されたフォルム。上半身は人型だが、その両手には凶悪な爪が付いていた。下半身は蜘蛛のような8本足。光沢を失った金属の体には『Arachne』と刻印されている。背丈はサクラ2人分はあるだろう。そんなロボットが、胸に大きな穴を空けて停止していた。
「白兵装備のオートマトンです。この場の戦闘は、現地住民と攻めて来たオートマトンとの間に発生したものと推測されます」
銃弾を跳ね返す装甲と、人間を軽く両断する爪を持った殺人機械。人間を超える速度で思考し、人間を超える精密さで動き、人間と違って迷わない。ベアリングと人工筋肉によって駆動するオートマトンは、かつての戦争で主戦力だったらしい。
もう終わってしまった戦争で、ハカセの話でしか聞いたことがないためサクラには実感はない。ただ、一番酷かった時期はこんなオートマトンがそこらじゅうを闊歩していたそうだ。各勢力に甚大な被害が出て、たくさん人が死んで、戦争どころではなくなった頃にはオートマトンも数を減らしていた。しかしそうなると次の問題が現れたのだ。
オートマトンのAIは単純な思考しか出来ないものが多い。下手に高度な思考を許して反逆されては困るという考えだったのだろう。だからこそ与えられた命令を愚直に実行し続ける。
例えば「味方以外は全て殺せ」と命令されたオートマトンがいたとする。もしオートマトンが命令通り行動している間に、命令した人間達が別勢力に殺されてしまったとしたら。そうして残るのは、命令を変更されることもなく、目に付く人間を殺し尽くすまで止まらない殺人機械だ。
この施設も、そういったオートマトンに襲われたのだろう。サクラも旅の途中に出くわして死を覚悟したことがある。運良く逃げ切れなければ、ここの彼らと同じ末路を辿ったに違いない。
「この子、もう動かない? 近づいて大丈夫かな?」
「はい。胸部に格納されているコアユニットが破壊されています。もう稼働することはありません」
サクラが恐る恐る近づいてもオートマトンは反応を見せなかった。やはり完全に機能停止しているらしい。鋭く硬い合金製の爪だけが鈍く光を放っていた。オートマトンの足元には白骨と銃が転がっていた。
この白骨が最後にオートマトンを撃ち抜いた人だろうか。自分の死を前に、勇敢な人だったのだろうか。仲間を守りたかったのだろうか。あるいは自分を? 彼は、あるいは彼女は大切な人とさよならが出来たのだろうか。
死体を見るといつもサクラはその最期を考えてしまう。考えても確かめることなんてできないし、無駄なことだと分かってはいるのに、やめられないのだ。
「浄水施設を守るために戦闘が発生したのでしょう。状況から推測するに施設が生き残っている可能性は少ないですが、中を調べてみましょう」
「……うん」
施設を探索した結果は、サクラの望むものではなかった。
つまり浄水施設は機能停止しており、施設内には破壊されたオートマトンと死体が散乱していたという事だ。
貯水タンクのバルブを緩めても出てくるのは赤茶けた色の水だけだった。浄水機能が停止してから溜まっていた水は鉄臭い匂いがして、水浴びに使いたいとは思わなかった。
探索と期待外れに疲労を感じたサクラは施設内で休憩を取ることにした。コスモスの透過センサーでチェックしたところ、この施設は土台がしっかりしており崩壊の危険は少ないらしい。
作業員の休憩室であろう部屋を見つけ、そこで休むことにした。多少埃っぽいがソファもあるし文句はない。大きなリュックを降ろし、コスモスを抱いたままソファに腰を下ろす。
「この施設はダメだったかあ……」
「オートマトンの目標になってしまったことが原因のようです。施設が破壊されなければ無人でも10年は稼働していたはずです」
「オートマトンは何でここを狙ったんだろう?」
「入力された命令を確認しなければ確信は得られませんが、浄水施設を狙うことは定石のひとつです」
「そうなの?」
「はい。水は生物の生存に直結する要素です。勢力の力を削ぐという目的においては重要な戦略拠点になります」
「……つまり、この街の人達全員を殺すためってこと?」
「おそらくは」
サクラは顔をしかめた。そこまでして他人を殺したいと思う理由が理解できなかった。オートマトンがやったことだとしても、その命令を出したのは人間のはずだ。同じ人間同士で滅ぼし合って、何が得られると思っていたのだろう。
「……あー、ダメだダメだ。ここ来てから落ち込みすぎ!」
サクラは両手で頬を揉み解した。落ち込んでいる時にハカセがやってくれたことだ。サクラ自身も感情移入して落ち込みやすい性格であることは自覚しているが、そればかりではいけない。
「コスモス、何かお話して」
「では、今後のルート候補と食料調達プランについて」
「そういうのじゃない。雑談ってことだよ」
「……では恒星間航行におけるダイダロス計画の問題点について」
「私に分かる話で」
「……………………。本日はお日柄も良く」
いつもより長い沈黙の末に出てきた話題にサクラは思わず吹き出してしまった。いつか本で読んだことがある。昔の人は話題に困ったら天気の話をしていたらしい。それにしたって定型文すぎた。
「今のってそんなに難しいお願いだった?」
「ワタシに求められていたのは計画遂行能力であり、不要な機能はオミットされています。雑談などという機能は最たるものです」
「悪かった、悪かったってば。それじゃあ私が話題考えるから」
うーん、とサクラは首をひねった。コスモスと共通の話題で、堅苦しくなく、難し過ぎない話。選択肢はあまり多くなかった。
「あ、じゃあ、これの持ち主について」
サクラは指輪を取り出した。この指輪を持っていた彼のことを聞きたかったのだ。
「持ち主について何を聞きたいのでしょうか?」
「何でも良いの。コスモスから見てどんな人だったのか、研究所でのエピソードとか」
「そういったことであれば記憶領域に残っています」
コスモスはメモリをロードした。スリープ前の出来事であり、まだ第8外宇宙開発研究所が健在だった頃の記録だ。ロードが完了すると、コスモスは淡々と話し始めた。
「彼についてまず話さなければならないことは、優秀かつ不真面目な人柄についてです」