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世界で2番目に美しい物語  作者: 秋桜
第1章 旅立ち編
7/30

7歩目 良い夢を

「コスモスは反省しなきゃダメだよ。連れてく時にデリカシーを勉強するって言ったでしょ」

「現在学習中です」


 サクラはリュックから顔だけ出したコスモスと向き合っていた。時間を置いて頭も冷えたので、食事中の話し相手としてリュックから出してやろうと思ったのだ。それでも出したのが顔だけなのは『まだ怒っていますよ』のアピールだ。

 既に食事の準備はできていた。バーナーの上に直接置いた缶詰は蓋が切られ、中身を覗かせている。今日の缶詰は鶏肉のトマト煮だ。正確には鶏っぽい合成肉とトマトっぽいフレーバーだが、見た目は悪くない。ふつふつと湯気の立ち上る缶詰からは、食欲を刺激する良い香りが振りまかれていた。


「ふーふー、あちち」


 ステンレスのフォークで肉を突き刺して口に運ぶ。日が暮れて気温が下がってきた中、熱々の鶏肉(?)を頬張る瞬間が堪らない。ほふほふと熱を逃がしながら嚙み締めれば、肉の旨味とトマト風味の酸味がじゅわっと口の中に広がる。一日歩き続けて疲れた体に沁み込んで来るようだった。

 ビニールを破ってクラッカーを取り出す。大きなクラッカーが5枚セット。持ち運んでも割れないように、満腹感が出るようにと密度のあるクラッカーは硬い。力を入れ細かく割って口に放り込む。こちらは単調な塩味だが、よく噛むと小麦粉の風味が味わえて良い。

 クラッカーに口の中の水分を奪われるので、ステンレスのコップに沸かしておいたお湯を注ぐ。中に入れていた粉末と混ざって、暗くて甘い色のココアが完成した。少し前に放棄された倉庫で大量に見つけたため、ご飯のお供はしばらくずっとココアだ。甘くて暗い、安らかな夜みたいなココアをゆっくりと飲む。


「ああ、しあわせ……」

「サクラ様は食事で得られる幸福度が高いのですね」


 コスモスは実験結果を確認するように淡々と言った。サクラにはコスモスの意図が読み取れなかったので、「そう?」とだけ返した。


「はい。第8研究所の方々は積極的に食事を楽しんでいませんでしたので」

「えー。信じられない。美味しいものを食べるのって嬉しくない?」

「栄養補給の必要がないワタシには判断できません」

「コスモスも物を食べる機能をつければいいのに」

「食料消費を増やすのはデメリットでしかありません」

「一緒にご飯を食べる相手が欲しいの。コスモスは何か食べられないの?」

「必要ありません。電力が補給できれば稼働できますので」

「電力は……持ってないなあ」


 サクラは肉を頬張った。缶詰に入っていた最後の欠片だ。大きめの缶詰だが、サクラには物足りなかった。一日中体を動かしているのだから、その分を補給しなければならないとサクラは思うのだ。

 熱々の缶詰を手袋越しに持って、煮汁の最後の一滴まで飲み干す。残ったクラッカーを齧りながら、サクラは物欲しそうな目をリュックに向けた。


「ねえ、もう一缶……」

「ダメです。これ以上は食料の消費計画をオーバーします」

「むー。こんなんじゃ満腹にならないよ」

「考えなしに食料を消費していると、すぐに不足してしまいます。今までどうやって生き延びてきたのですか」

「そりゃあ、食べ物が無くなりそうになったらその辺で探して……」

「凄まじい計画性の無さです。これからは食料の消費ペースと、食料補充の探索時間もワタシが管理します」

「うへー」


 お腹いっぱい食べられない予感にサクラは眉をひそめた。サクラとて食料が尽きれば餓死することになるのは理解している。それでもお腹は空くのだから仕方がないと思うのだ。


 『食べたければ食べればいいでしょう』 頭の中で悪魔の姿をしたハカセが囁く。いつも目の下にクマを浮かべていた彼女は食事に無頓着だった。食事を栄養摂取の作業としか捉えていなかったハカセ悪魔は投げやりだった。

 天使の姿のハカセが現れて言う。『まあ待ちなさい。考えなしに食べると食料が尽きるというのは一理あるし、あなたはそういう計画が苦手なのだから専門家の意見に従いなさい。それから、AIというのはしつこさに定評があるのだから、無視して食べれば明日の夜まで嫌味を言われることになるわ』 悪魔に比べて5倍くらい熱心だった。


 サクラはおかわりを諦めることにした。最後のクラッカーを口に放り込み、ココアを両手で抱えて大事に飲んでいく。一日の疲労と食事による満足感で頭がぼんやりとしてくる。サクラはこの感覚が好きだった。不安や悩みやどうしようもない諸々が溶けて形を無くしていく感じがする。

 ぼんやりとした心地のまま、サクラは指輪を取り出した。メインコンピュータ室の遺体が持っていた指輪だ。暗い空に昇ってきた月が指輪を照らしていた。


「持って来たのですか」

「うん。届けてあげようと思って」

「届けるとは、どなたにでしょうか?」

「あの人の、恋人」


 言ってからサクラは失敗したなと思った。コスモスの次の言葉が想像できたからだ。きっとこの融通の利かないAIは「無駄なことです」なんて言うのだろう。それはサクラにも分かっているが、言わないで欲しい言葉だった。


「その行動で得られるメリットがありません。時間と食料の無駄かと」


 コスモスにはそんなサクラの願いを()み取る機能は搭載されていないようだった。無慈悲な言葉にサクラはため息をついて夜空を見上げた。星々の瞬きが、サクラの気持ちを表現するピッタリな言葉を授けてくれることを期待した。しばらく空を見上げていたが、都合の良いヒラメキは降りてこなかった。


「コスモスの奉仕する研究員さんじゃないの?」

「死者は奉仕の対象になりません」

「……それでも届けてあげたいの」

「理由を入力してください」

「え?」

「サクラ様が自身に関係のない人物のために行動する理由が不明です。ワタシが見落としているメリットが存在するのであれば提示してください。それを元にしたより良い提案が可能です」

「……それは」


 サクラは自分の心に問いかけた。出発の際に何となく持ってきた指輪。届けてあげなくてはと漠然と思っていた。そう思った理由は何だろうか?

 死んでしまった研究者に同情したから? それは違う。届けた先でのお礼を期待している? それも違う。

 指輪を届けるには探し人を見つけなくてはならない。その時間は確実なロスになる。届けたからといってメリットがないのはコスモスの言う通りだ。それでも届けてあげたいのは。


「さよならが必要だと思ったから」

「意図が不明瞭です」

「私はハカセとさよならが出来たんだ」


 ハカセ。サクラを育ててくれた女性だ。彼女が本物の博士だったのかは分からない。けれど彼女がそう呼ぶように言っていた。彼女はサクラが生きるために色んなことを教えてくれた。外の世界で生き延びるための知識、様々な機械類の操作方法、食料の見つけ方、自分の心に従って生きるということ。

 そうしてサクラが一人で生きていけるようになった頃、ハカセは死んだ。サクラはハカセを看取って、さよならを言って、しばらく泣いた。

 さよならは悲しいことだった。辛いことだった。寂しいことだった。けれど、サクラには必要なことだった。息を引き取るハカセにさよならを言えなかったら、きっとサクラは立ち上がれなかっただろう。


「こんな世界だから、簡単に人が死んでしまう世界だから、さよならが必要なんだ。きっと恋人さんもさよならを言いたいはずだから」


 サクラは指輪を握りしめて言った。


「コスモス、指輪を届けに行くための時間も計画に組み込んで欲しいの」

「未だにメリットが不明です」

「うまく言葉に出来ない。でもどうしても必要なの。お願い」

「……承知しました。時間の浪費にはなりますが、バッファ内に収まると予測されます」

「そうなの?」

「はい。目的地は同じアークタウンになると予想されます」


 スリープモードに入る前、まだ研究所が稼働していた頃。アークタウンとは頻繁に通信がされていた。それぞれの現状共有だったり、物資の融通(ゆうずう)の連絡であったりしたその中に、いくつかの私信も混ざっていた。コスモスが管理していた限りでは、目的の恋人はアークタウンに住んでいたはずだった。

 サクラはその説明を聞いて頬を膨らませた。


「じゃあ反対しなくて良かったんじゃないの?」

「その行動に対するコストとメリットが釣り合っていません。メリットが0なのですから」


 にべもないコスモスの物言いにサクラは諦めて立ち上がった。コップの中身はもう空になっていた。勝ち目のない口喧嘩をするよりも、明日のために早く寝て体力を回復させるべきだろう。

 慣れた手つきでバーナーを片付け、空になった缶詰を遠くに放る。コップとフォークはスライム状の液体が詰まった容器に入れておく。この液体は汚れを分解し、食器を清潔に保ってくれる優れものだ。

 長期間の旅において重要なのは出来る限り清潔を保つこと。病気になることは致命的。ハカセから教わったことだった。本当はインナーウェアも洗濯したいのだが、近くに水場がないので我慢する。旅において水は貴重品なのだ。


「じゃあ、もう寝るから。おやすみコスモス」

「はい。おやすみなさいませ。良い夢を」


 その挨拶はコスモスなりのデリカシーなのか、テンプレートに登録された言葉なのか。寝袋にくるまり、暗くなっていく意識の中で、サクラはそんなことを考えていた。




 その夜、サクラは夢を見た。

 サクラは暗い廊下を歩いていた。灯りの落とされた無機質な廊下。研究所だとサクラは思った。サクラの生まれ育った研究所だ。今より少し幼いサクラは枕を抱いたまま暗い廊下の先を目指していた。


 いつのことだっただろう。夜中、急に理由のない不安を感じて眠れなくなったことがあった。朝になれば忘れてしまうと思って眠ろうとしても、一向に眠気がやってこない。暗闇に根を張り際限なく育つ不安感に、目を閉じることも怖くなって廊下に出たのだ。

 こんなこともあったと、サクラは他人事のように考えた。そういう時に向かう先は一つしかなかったから、幼いサクラが灯りのついた扉の前に立つことも予想出来ていた。サクラがカードキーをかざすと、扉は音もなくスライドして部屋の中の光景を明らかにした。


 部屋の中は散らかっていた。様々な電子機器、食べ終わった後のカロリー・バーの包装紙、脱ぎ散らかした衣服が散乱している。サクラには見慣れた光景であり、サクラに『研究者は片づけが出来ない』と教えた光景だった。

 そんな部屋の中心に一人の女性の背中があった。白衣を着てあちこちに跳ね回る髪をかき上げる女性はモニターを睨みつけていた。サクラには分からない様々なデータがスクロールし、地図が映し出されている。女性は表情を歪め、ぶつぶつと早口に何かを呟いていた。


「ホープシティとの最後の通信は2カ月前……ここはもうだめね。ノヴァーナからの返信も途絶えた。観測機器の7割が通信途絶。これは磁気嵐のせい? 環境変動の激化と地殻変動、放射能も……これじゃ……」

「ハカセ?」


 サクラが声をかけるとその女性はハッと振り向いた。慌てて表情を取り繕って笑みを浮かべるが、目の下に浮かぶクマのせいで疲れた印象が強かった。


「どうしたのサクラ。もう寝ている時間でしょう?」

「うん……目が覚めちゃった」

「ちゃんと寝なきゃだめよ。成長ホルモンは睡眠中に分泌されるんだから」

「でも、眠れないの。怖くて」

「何が怖いの?」

「……わかんないけど、怖いの」

「あー、そうね……カモミールティー……風味のパック飲料はどう? 副交感神経を優位にする成分が含まれて……そういうのじゃないのね。ええと」


 サクラが首を振るのを見て、ハカセは机の中から本を取り出した。彼女の個人的な日記だ。最近は(もっぱ)ら子育て関連のメモ帳になっている。


「えー、不安感は他者の体温や接触で軽減される傾向がある……と。試してみましょうか」

「……」


 サクラは頷いて、ハカセが広げた腕の中に納まった。ハカセの膝に座り、頭を胸に預ける。ゆっくりと髪を撫でる手はぎこちないものだったが、その温度は確かにサクラの不安を溶かしていった。

 ハカセはサクラの様子を見て日記に『不安の原因が分からない条件下では皮膚接触が有効だと思われる』と所見を書き込み、サクラの髪を()く作業に戻った。生まれつき色素が少ないために真っ白なサクラの髪は、ハカセが苦戦しながらケアをしているおかげで(なめ)らかだ。


「ハカセ、何かお話して」

「うーん、唐突なリクエスト。じゃあ気体分子運動論における理想気体とは……あ、違うの? もっと物語性のあるお話が良いの? えーと、それなら浦島太郎とか」


 ハカセの昔話はうろ覚えのせいで、毎回細部が違っていた。今回の話では浦島太郎が亀型宇宙船に乗り込んで外宇宙探検へと出発してしまった。サクラは『竜宮城は?』という疑問を覚えながらも、ハカセの落ち着いた声で眠気を取り戻すことが出来た。

 光速の95%まで加速した宇宙船タートル号に発生したウラシマ効果により、地球に戻った頃には長い年月が経っていた。彼の知っている人間が全て亡くなっていることを知った浦島太郎。その絶望についての話が進む頃には、サクラはベッドの中にいた。同じ毛布にくるまったハカセの体温に、サクラにぼんやりとした安心感を覚えていた。

 夢心地のままサクラは呟くように聞いた。半分は寝言のようなものだった。


「浦島太郎の知り合いはみんな死んじゃった?」

「そうね。生き物は老いて死ぬものだから」

「友達も?」

「ええ」

「家族も?」

「そうよ」

「……ハカセも?」

「え?」

「ハカセも、時間が経てば死んじゃうの?」


 その時、ハカセがどんな表情をしていたのか、サクラは覚えていない。重い瞼を開けていることが出来ず、夢の世界へ片足をかけている状態だったからだ。ハカセは少しの間黙って、サクラの背中を撫でた。


「……そうね。だから準備をする必要があるわ」

「じゅんび……」

「ええ。サクラが一人でも生きていけるように。サクラが前を向いて歩けるように。サクラが自分で――――を決められるように」

「……」

「私とサクラがちゃんと『さよなら』を出来るように、準備をしておきましょう」


 その声があんまりにも優しい響きをしていたから、サクラは安心して眠りに落ちたのだった。

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