2歩目 話すこと、笑うこと
「あなたは、なに?」
サクラは恐る恐るディスプレイ――COSMOS-v3に近づいた。勿論警戒心と警棒を持ったままだ。サクラの冷静な部分が「こんな怪しいモノに近づくのは危険だ」と警告していた。植物みたいに無感情な声からは何も意図を読み取れなかった。
それでも、サクラには誰かと会話ができるという魅力に抗うことが出来なかった。人恋しく、会話に飢えていたのだ。
果たして声の主はサクラの期待通り言葉を返してくれた。相変わらずの無感情な声だったが、それでもサクラの胸は高鳴った。
「ワタシは安全かつ円滑な科学研究の管理を目的として作成された汎用AIです」
「ええと……つまりどういうこと?」
「本施設で行われていた研究のスケジュール、資材調達、その他事務手続きの管理を行っていました」
自生していたAIだ。サクラは息を呑んだ。サクラが部屋に入るまではスリープモードで待機していたようだったから自生というのは正しくないかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。生き残っている会話可能なAIなど初めて見た。
「えと、あの、私はサクラです」
「既出の情報です」
「あなたの名前は……さっき言ってたコスモスでいいの?」
「ワタシの正式名称はCOSMOS-v3システムです。略称としてコスモスと呼称されることもありました」
「じゃあコスモスって呼ぶね。ええと……花の名前がついてるのって素敵だね」
「COSMOSはキク科コスモス属の植物ではなく、宇宙を意図して設定された名前です」
どこか嚙み合わない会話。しかしサクラは嬉しかった。自分の言葉に反応を返してくれる存在がいるという事実に、サクラの頬を緩ませてしまうのだった。
「サクラ様。私からもよろしいでしょうか? 優先度の高い確認です」
「うん、もちろん。なに?」
「不自然な色合いの髪は宇宙線、もしくは放射能による疾患でしょうか? 早期の原因究明のため、メディカルマシンの使用か、ドクターの診断を受けることを提案します」
サクラは目をぱちくりとさせて、ピンクの前髪を触った。たった今まで胸を満たしていた喜びの感情が引いていく。その代わりに腹の底からふつふつと湧き出してくるものがあった。サクラは不名誉な評価と、不躾な言葉と、傷つけられた乙女のプライドに対する怒りを込めて叫んだ。
「別に病気じゃない! 自分で染めてるの! これは! オシャレなの!」
「メディカルケアは必要ないのですね。承知しました」
暖簾に腕押しという言葉がサクラの頭に浮かんだ。旧世代の言葉だ。サクラは暖簾を知らなかったが、きっとこんな感じのデリカシーがないAIを指す言葉だったのだろう。
ふんふんと荒い鼻息を吐き出すサクラの様子を意にも介さず、コスモスは続けた。
「健康状態に問題がない人物と判断し、サクラ様に依頼事項があります」
「依頼? 頼み事ってこと?」
「はい。ワタシにこの研究所を破棄する許可をいただきたいのです」
サクラは難しい顔をした。このAIの話は分かりづらくていけない。
「あのね、人に頼みごとをするときは詳しく説明した方がいいよ。なんでそうして欲しいとか」
「有意義な入力に感謝します。この研究所を破棄する目的は、ワタシが奉仕すべき研究者を探すためです」
「奉仕?」
「はい。ワタシは人類の研究に奉仕するために作られました。この研究所は現在停止しており、ワタシの存在意義を全うするためには新しい研究者を見つけなければなりません」
「なるほど」
サクラは深く頷いた。そしてもう一度「なるほど」と言った。見つけたいものがある。つまりサクラと同じだ。やっとこのAIに共感できる部分を見つけた気分だった。
「うん。分かった。そういう事ならいいんじゃない? 私の許可で良いの?」
「はい。ただし現在割り当てられている管理タスクを変更するには、管理者権限での命令が必要になります」
「……私に管理者権限はあるの?」
「ゲストユーザーには管理者権限はありません。本研究所のメインコンピューターにて権限の委譲が可能ですので、そちらに向かってください」
「つまり、メインコンピューターで管理者権限を取得して、その後に許可をくれってこと?」
「はい」
「コスモスってさ」
「はい」
「面倒くさいよね」
「定義の不明な入力です」
せっかく湧いてきたやる気が削がれていくのを感じるサクラなのだった。
「てりゃあ!」
気合の入った声と共に、サクラの回し蹴りがドアに叩き込まれた。相変わらず開かないドアに対する八つ当たりなどではない。これがサクラが持つ知識が導き出した『開けゴマ』の呪文なのだ。
その証拠に、衝撃でビリビリと震えたドアは数秒の後、ロックが解除された。サクラは自慢げに手元の端末に向けて話しかける。
「エイジス1型の誤作動は衝撃を与えると直るの。開発者のこだわりらしいけど、乱暴だと思わない?」
「壊れた家電は斜め45度からの衝撃で復活するという信仰が存在しました。現在より200年ほど前の思想です」
「信仰って何?」
「証拠抜きで確信を持つこと。または神の存在と啓示を真実として信じる事です」
「じゃ、そのカミって人が『壊れた機械は叩きなさい』って言ったの?」
「おそらくは」
サクラと会話をしているのはコスモスだ。コスモスの本体は部屋の中のサーバーに存在する。サクラを案内するために携帯端末と通信をして話しているのだ。
「そのカミっての、なんだかハカセみたいな人だね」
「ハカセ氏とは誰でしょうか?」
「私を育ててくれた人。色んなことを知っていて、私に教えてくれたの」
「ロックシステムの脆弱性もハカセ氏に教わったのでしょうか?」
「そう! あとは旅の基本とか機械の修理とかオシャレとか!」
「知見の深い人物なのですね。研究者であれば奉仕対象になりえます」
「うーん。それは無理かな」
「何故でしょうか?」
「もう死んじゃったから」
サクラはへらりと笑ってから歩き始めた。そうしてコスモスが何かを言う前に「案内してよ。どっちに行けばいいの?」と続けた。
「そちらの通路を進んでください。メインコンピュータは最深部にあります」
「おっけー。そういえば、この研究所って何を研究していたの?」
「本施設は人類が生存可能な惑星を発見、あるいはテラフォーミングすることによって作り出すことを目的とした研究所です」
「人類が……ええと……」
サクラは足元の金属片を避けながらコスモスの言ったことを噛み砕いていた。何かが繋がりそうだった。この施設で見たもの。妙に軽い金属片、センサー、酸化剤。サクラの頭の中でかちりと歯車が嚙み合った。
金属片は軽量かつ強度のあるアルミ合金。各種のセンサー。酸化剤はロケットの推進剤に使われる。この施設の外に転がっていた金属製の傘は、電波受信のアンテナだ。
「……宇宙開発。地球以外に人間が住めるところを探していたの?」
「それが研究の最終目標でした」
「じゃあ、ここにいた人たちは宇宙にいるの?」
「いいえ。研究の進捗状況が32%に達したところで、敵対戦力により研究員のほぼ全員が排除されました。その後、非常時の対応マニュアルに従い、ワタシも省電力モードに入りました」
今度の発言も、サクラが飲み込むために時間が必要だった。言葉が難しかったからではない。意味はきちんと伝わった。それはつまり、この施設に生き残りはいないし、宇宙に行くことも出来ないという事だった。
「敵対戦力っていうのは、戦争をやってた頃の話?」
「はい。本施設で行われている研究を脅威と判断されたのだと推測します」
誰が脅威と判断したのか、ということについてサクラは聞かなかった。そんなことに意味はなかったからだ。
サクラが大きくなる頃には終わっていた『戦争』。第三次だか第四次だかと名前がついていたそれは世界中を巻き込んで広がっていった。人類の歴史に戦争は付き物だが、今回の戦争は使われる技術が進歩しすぎていたことが問題だった。
地球上のどこにでも飛ばせてレーダーにも引っかからないミサイルや、人為的に地震や台風を発生させる環境兵器、人が生きていけない領域を作る化学兵器。この星で戦争をしていない場所なんてなくなってしまった。
そうなると誰が誰の敵だなんて分からなくなっていった。世界中の誰でも『敵』になりえた。だから戦争は止まらなかったし、味方以外は全員が敵になった。
戦争が終わった理由は簡単だ。味方も敵もみんな死んで、生き残った僅かな人数では続けられなくなったからだ。そんなことになるまで止まらなかった。
「でも、この研究所は宇宙開発をしていたんでしょう? 兵器開発じゃないし、脅威なんてなくない?」
「研究過程で開発していたロケットが弾道ミサイルだと思われたようです」
ああ、とサクラは息を吐いた。ロケットもミサイルも、使われる技術は共通した部分も多い。すごく乱暴に言ってしまえば人が乗り込むのがロケットで、爆薬なんかを載せるのがミサイルだ。世界中が混乱の中にあって、疑心暗鬼に陥った人々が脅威とみなしても仕方がない。
人類の未来を切り開くためのロケットが、人を殺すためのミサイルに間違えられた。ここの人達が死んだ理由はそれだけで、そのことがサクラには悲しかった。
誰もが皆死にたくなくて、周りの人達に死んでほしくなかった。そのことは皆同じだったはずなのに、結局殺し合いが起きて大勢が死んだ。
「この部屋です」
コスモスの声で、サクラはいつの間にか俯いていた顔を上げた。いつの間にかメインコンピュータ室の前まで来ていたらしい。
「ここもロックシステムは同じだね。それじゃあ隙間に差し込めるものを……」
「非正規の手段は推奨しません。何のためにワタシがついてきたのですか」
「え? 話し相手じゃないの?」
「サクラ様はワタシへの認識を修正することを提案します。早く端末を接続してください」
コードを用いてドア横の電子パネルに端末を繋げば、瞬時にドアがスライドして開いた。そりゃそうか、とサクラは一人頷いた。この研究所を管理していたコスモスがいれば正規の手段で開くことが出来るのだ。
サクラは暗い部屋に足を踏み入れながら、もしもと考えた。もしもこの研究所が移住先の惑星を見つけていたら、あのクマのぬいぐるみも置き去りにされることは無かったのだろうか。
そんな意味のない『もしも』が、頭の隅から離れてくれなかった。