魔王ブラックは、この国をホワイト国家にすることを決意した。
吾輩は魔王ブラック。大魔王様の忠実なるしもべにして魔王軍の一将である。
吾輩は大魔王様に命ぜられ、人間の国家をひとつ、制圧することに成功した。
しかし、吾輩は人間どもの国家運営に絶望した。兵士を死ぬまで戦わせ、女を無理やり男にあてがい、子どもを労働に駆り出しておるという! なんというありさまだ!
東の国ではこういう体制をもつ組織をブラックと呼ぶそうだが、まさか国家までブラックだとは!
吾輩は激怒した。必ず、この国の害悪を駆逐し、ホワイト国家にすることを決意した。それに、吾輩の名前を悪魔のごとき所業に用いているのも見過ごせぬ!
吾輩は秘書官たる悪魔、アックに命じ、この国の問題点を洗い出させることにした。
吾輩はまず、この国家の元首である王に会うことにした。吾輩は武人であるゆえ、政治には疎い。よって、まずはブラック国家の元凶たる王を詰問するのだ。
「アックよ、王はまだ来ぬのか?」
「王は一年前から遠征しているようです。代わりに摂政がおりますが、死にたくないと泣きごとを吐くばかりでして」
「なんだと!?」
吾輩は摂政の元へ向かった。その男は涙と鼻水を垂れ流しながら、延々と命乞いを繰り返しておった。なんともまあ見苦しい……!
「立て! おぬしが王のおらぬ間、政治をしておったのだな!?」
「死にたくない死にたくない死にたくない……!」
「たわけ! 貴様の暴虐、死などで償えると思うな! 詫びて、省みて、学んで、この国を立て直す一助となれ! それまで死ぬことも逃げることも許さん!」
政の長たる摂政からしてなんたるザマだ! 先が思いやられる……!
「この国では一年前から、少数民族を奴隷として誘拐し、働かせているようです」
「なんと嘆かわしいことだ! 奴隷制度など、魔界では一万年も前に廃止されているというのに、人間はなにをしているのか! 彼らを自らの里に帰してやるのだ。里がない者は労働者として雇い、十分な賃金と待遇をあたえるのだ!」
「兵士は死ぬまで戦い、それを当然だと思うよう、訓練されているようです。一年前からですね。それまでは、無闇な戦いはしない規律正しい軍隊だったようですが」
「兵士は国の守り人にして岩盤だというのに、使い捨てているというのか!? 彼らに守護呪符を持たせよ。負傷したものはすぐ後方に転送し、手当を受けさせるのだ! 将軍や将校どもには吾輩自ら説教をしてやる!」
「この国では家系が重要視され、女を本人の同意なしに嫁がせているようです。長らく廃止されていた制度ですが、一年前から再開されています」
「ふざけるな! 乙女の純潔と純心をふみにじるとは、そのような家はとりつぶし……ううむ、しかし人間どもにもなにか複雑な事情があるのだろう。よし、婚姻の意思確認の際、必ず第三者を立会人として同席させ、本心かどうか確認するようにさせよ」
「子どもを食べようとした悪魔がいるだと!? 馬鹿者! そやつは一万年メシ抜きだ! 吾輩たち悪魔は人間の模範としてホワイト国家をつくろうとしておるのだぞ、道徳に反することはまかりならぬ! 不憫な……さぞ怖かったであろう。その子どもには、吾輩が直接謝罪に出向くゆえ、所在を確かめておくのだ」
「本日の夕食は人間どもがフルコースと呼んでいる物を用意させました」
「飢えている人間どもが大勢いるというのに、吾輩たちだけこのような贅沢をするなどもってのほかだ! 食料をじゅうぶんに行き渡らせよ! 吾輩のモットーを忘れたのか? 質素倹約である!」
「こちらが、ここ一年の歳入と歳出でございます。税がずいぶん高いように見受けられますね」
「なんという重税を国民に課しているのだ……。これでは税を納めた後は、食べて寝るだけの生活しかできぬではないか。税は国家運営に必要な分だけ取ればよい。税制を改めよ!」
「この国では、子どもは労働力とみなされ、働かされているようですね。これもやはり、一年前からのようですが」
「……! 学校に行けない子ども、親のいない子ども、働きづめの子ども……なんという悲惨なことだ! ただちに十分な数の孤児院と幼年学校をつくるのだ。子どもの労働は禁止する! 子どもには十分な食事と教育、遊びの時間を与えるのだ。子どもは国の宝だぞ! まったく、信じられぬ……」
吾輩はあまりの悲惨さに涙を禁じえなかった。数日間、アックに調べさせただけでこの有様だ。
しかもこれらの出来ごとは、王が不在の一年で起きたことだというではないか。たった一年、王が国を空けただけでこれだけ国を乱すとは、あのハナタレ摂政とヘッポコ将軍どもめ。
もはや王宮にとどまっている場合ではない。吾輩自身が各地に赴いて、直接状況を把握し、現地指導を行うほかないだろう。
吾輩は人間に化けたのち、愛犬ケルベロスに乗り王都以外の暮らしぶりを見て回ることにした。
これからどれほどの悲劇を見ることになるのか……考えただけで胃が痛む。しかし成さねばならぬ。それが吾輩の責務であるからな。
吾輩は小さな村を訪れた。子どもたちが無邪気に遊んでおる。村人の血色も良い。十分に栄養を取れているようだ。生活がうまくいっておるのだろう。ふむ、このような村もあるのだな……。
「おじちゃん、だあれ?」年端もいかぬ少女に声をかけられた。
吾輩を知らぬというのか!? ……確かに吾輩が制圧したのは最低限の城砦と王宮のみ。地方の領民、まして子どもでは知らずとも当然か。
「吾輩は……ええと、旅の者だ」身分を明かしては本音を聞けぬ。嘘は紳士的ではないがやむをえまい。
「そうなんだ! ゆっくりしていってね!」
「うむ。ところで少女よ、君はなにをしておるのだ!?」
「お花で冠を編んでいるの。きれいでしょう? おじちゃんにも編んであげるね!」
質素な生活の中にも、自らの知恵で楽しみを見出すとは、なんと聡明な少女よ。無邪気に笑う少女に吾輩は胸を打たれた。
少女からもらった冠を腕輪にして、吾輩は村を離れた。街道を進んでみることにする。思ったより整備はされているようだな。
「そこの者、止まれ!」
鋭い声がして、吾輩はケルベロスを止まらせ、声の方向に向き直った。
甲冑を着込み髪を束ねた、鋭い目の女だ。片手で手綱を引き、剣の鞘に手を添えておる。背後に何人もの屈強な男どもを従えていることから、さぞ戦慣れした女傑なのだろう。
「わがは……わたしはただの旅人だ。名のある武人と見受けたが、いかなるご用か?」
「……失礼した。見知らぬ生き物に乗っていたのでな。悪魔によって王都が陥落してから、各地で犯罪が相次いでいるのだ。当面は王都の奪還より民を守ることを重視し、私たち地方騎士はこうして自警団を編成して治安維持にあたっている」
「王都の話はわたしも聞いておる。この国の王は、才も情もない暴君であったようだな?」
「女王陛下は聡明にして慈悲深いお方。この一年の圧政は、すべてあの愚かな摂政によるものだ」
なんということだ。しかも……女王だと? 女が国を治めておるのか?
「しかしその女王からして、一年も国を離れておるのだろう? そなたほどの騎士が忠をを尽くす価値があるとは思えんが」
「女王様は慈愛と献身のもと、他の国を調停するため国を離れたのだ。それ以上、陛下を侮辱するならば容赦しないぞ」
「……すまぬ。申し訳なかった」
「それに、私が誓約したのは、国にではなく国民に対してだ。王都が失われても陛下がおられずとも、民の命を守るのが我が使命。たとえ悪魔どもに手足をもがれても、この使命だけは決して捨てぬ」
なんという誇り高き騎士であることよ。吾輩の将兵にもこれほどの者はそうそうおらぬ。
「旅のお方よ、非礼をお詫びする。もしなにか困りごとがあれば、この赤い旗印を持つ者に助けを求めてくれ。みな、私と同じ自警団の者だ。安心して良い。では!」
女騎士は馬の横腹を蹴ると、風のように去っていった。見事なり、まことに見事なり。同じ武人として、吾輩も見習わねばならんな。
その後も、吾輩は人間どもの素晴らしい面をたくさん見ることになった。
「半年かけて東の国を訪ね、水道の技術を学んできたというのか?」
「はい。大変でしたが、みんなきれいな水が好きな時に飲めるようになって大喜びです。病気もうんと減りました。技術者として人の役に立てて、とてもうれしいです」
「騎士として召し抱えられたおぬしが、なぜ畑を耕しておるのだ?」
「訓練のかわりさ。鍬は斧に、鋤は槍に似ているだろう。まじめにやれば、十分な鍛錬になる。なにより、食料は一番大切だからな。騎士だからといってふんぞり返っているわけにはいかない」
「悪魔の文化や風習を学んでおるとは……憲兵に知られたらただではすまんぞ?」
「はい、それは覚悟しています。でも、戦争が終わった時……いいえ、戦争を終わらせるためには、分かり合うことが必要です。そのために、いろんなことを学んでおきたいんです」
吾輩はひと月あまり、国内を巡った。
王都と同じように、もちろん問題は山ほどあった。しかしそれと同じくらい、人間の良い面をたくさん見ることができた。
分かち合い、助け合い。思いやりや慈しみ。情熱や賢明。人間はわれら悪魔と遜色のない……いいや、われら以上に素晴らしい心を持っているように思えた。
吾輩は王都に戻ってきた。なにやら妙に騒がしいぞ。
「アック、この騒々しさはなんだ?」
「ブラック様、よくぞお戻りに。……人間どもの女王が王宮に戻ってきたのです」
「なんと!? 紳士たる吾輩が女王をお出迎えしなかったとは、何たる非礼!」
吾輩はただちに王宮に向かった。警備にあたっている人間と悪魔の兵の間を抜け、王の間に入る。
いつものメンツ――ハナタレ摂政とヘッポコ将軍や臣下――はおらず、女の子がひとりいるだけだ。
女の子は吾輩に気づいたのか、優雅な足取りで吾輩の前に歩いてきた。ふわふわした桜色の髪の娘。いったい何者だ?
「魔王軍のブラック将軍ですね。わたくしが女王マーレインです」
――なんと? この可憐な少女が、この国の女王?
「魔王軍の一将、ブラックと申します。女王陛下、お目にかかれて恐悦至極であります」
吾輩は彼女に気圧されていた。高貴さ、威厳、凛然としたふるまい。どれをとっても、武力以外、吾輩が勝る部分はなにひとつない。
そしてなにより――かわいい。吾輩は悪魔だというのに、人間の娘にここまで心奪われるとは。心臓の早鐘が止まらぬ。
女王は吾輩に深々と頭を下げた。
「将軍、崩壊寸前の我が国を救ってくれたこと、厚く御礼申し上げます」
「……国を落とした吾輩に礼などと。吾輩を恨んでおらぬのですか?」
「はい。わたくしの治世は間違っておりました。それを正してくださったのはあなたです、ブラック将軍」
「国と民を虐げたのはあなたではなく、あの下郎どもです。陛下、あなたに罪はありませぬ」
「いいえ、わたくしが任じた者の罪は、わたくしの罪です。私はこの国の長として、すべての責任を負わねばなりません」
吾輩は感嘆した。なんという懐の深さ、情の厚さ、気高き覚悟なのだ。
「将軍、あなたにお願いがあります。この国にとどまり、再興に協力していただけませんか」
吾輩は耳を疑った。
「なんですと? 吾輩は悪魔です。あなた方人間とは違う存在なのですぞ?」
「だからこそです。違う視点で物事を見て、聞いて、正していただけると思うのです。必要とあらば、わたくしの純潔や命も捧げましょう。だからお願いです。民を守れる国を、もう一度つくりたいのです」
女王は悲壮な顔をして視線を落とした。
「わたくしは没落貴族の一子でした。家が取り潰され、行く当てのないわたくしを人々はあたたかく迎え入れ、食事と、寝床と、なにより愛をくださいました。わたくしがこの立場にいるのも、ひとえに民のおかげです。わたくしは一命を賭してでも、彼らを幸せにせねばなりません」
「……承知いたしました。ですが女王陛下、吾輩からも、ひとつお願いがあります」
「なんでしょうか?」
「もう、そのようにすべてをひとりで抱え込むのはおやめください。命など賭けずともよい。周囲を頼り、助けを求めるのです。吾輩は気づいておりますぞ。あなたの肩が、足が、瞳が、震えていることを」
「……!」
「女王陛下……いえ、マーレイン。おいで、いまは誰も見ていないから」
マーレインは吾輩の胸に飛び込んできて、大粒の涙を流しながら大声で泣いた。吾輩は重責を払い落とすように、彼女の肩と背中を撫で続けた。
***
吾輩は大魔王様に、一連の出来事を話し、この国にとどまらせてほしいと嘆願した。大魔王様は『よいぞ。悪魔と人間の新しい関係を築いて見せよ』と快諾してくださった。首をはねられる覚悟をしておったのに。なんだか拍子抜けだ。
「しかし、どうしたものですかな。軍や兵はともかく、民衆が納得する方法を考えねばなりませぬ。吾輩たち悪魔がこの国にとどまる理由を……」
「その、ひとつ提案があるのですが」
マーレインが顔を真っ赤っかにしながら、おずおずと口を開いた。
「結婚して、私の夫になっていただくというのは……いかがでしょうか……?」
「――悪魔である吾輩が、人間であるあなたと結婚!?」
吾輩は、数百年の悪魔人生で耳がバカになっているのやも、と思った。しかし彼女の澄んだ瞳を見る限り、どうやら聞き間違いではないようである。
「はい。……実はわたくし、さきほどのあなたの優しさに一瞬で絆されてしまい……あなたに娶られたらどれほど幸せかと考えるだけで、胸の高鳴りが収まらないのです。ブラック様、どうか……」
ここまで言われては、吾輩も本心を持って応じるほかあるまい。
「吾輩も、正直に申し上げる。――吾輩はあなたが好きだ。あなたのかわいらしさと美しさ、気高さ……そしてなによりあなたの優しさが好きだ。マーレイン……吾輩はあなたを愛している」
「! では……」「はい」
吾輩はひざをつき、マーレインを見上げて言った。
「吾輩と、生涯をともにしていただきたい、マーレイン」
「不束者ですが、よろしくお願いいたします」
吾輩はマーレインの左手をとり、その甲に優しく口づけをした。
「婿……ですか?」
「左様。吾輩があなたを嫁に迎えたとなれば、民や騎士は黙っておらぬでしょう。ですが、吾輩があなたの献身と民への愛情を見て改心し、生涯を捧げたいと婿入りを願った、という流れならば、民はより一層あなたを信頼するようになるはずです。国の運営も楽になりましょう」
「わかりました。体裁の整え方はお任せいたします。でも、どんなかたちであれ、わたくしはあなたと一緒にいられるだけで、幸せなのです。どうか、忘れないでください」
「吾輩も同じです、マーレイン」
マーレインがぎゅっと抱き着いてくる。
「ふふ、変身をやめたブラックは狼男だったのね。モコモコのフワフワで、とても心地いいわ」
「それなのですが、マーレイン?」
「なんですか?」
「その、距離が近すぎると思うのですが」
「夫婦なのですから当然でしょう? ……それとも、もしかして嫌なのですか?」
「とんでもない! ……頼みます、瞳を潤ませて小首をかしげるのはやめていただきたい……」
「うふふ、ブラックはこういったしぐさに弱いのね。ひとつ勉強になりました」
「あなたが可愛すぎるからです。吾輩、理性が利かなくなってしまう……」
マーレインは、吾輩の耳に口を近づけ、熱を帯びた吐息とともに、
「……利かなくなっても、かまいませんよ?」とささやいた。
「なななななななななんですと?」
「ふふふ、楽しみね?」
マーレインが無邪気に笑う。
――どうやら、吾輩はマーレインの尻に敷かれることになりそうだ。
国家はホワイトになるだろうが、夫婦生活はブラックになるやもしれぬな。
最高に幸せだ。
――吾輩は魔王ブラック。妻マーレインの忠実なる夫にして魔王軍の一将である。
吾輩は、引き続き問題が山積しているこのブラックな国を、ホワイト国家にすることを改めて決意した。
最愛の妻、マーレインとともに。
(おしまい)
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