不本意ながら何だかちょっと幸せでして
課長のスルーパスによって俺たち課の全員が残業をすることになり、逆にやりにくいったらありゃしない。
仕事分担をするだけでも山口が言うように『ちゃちゃっと片付ける』ことにならない。
結構遅めの時間になってきた。
何でこんなに大人数で残業してるんだ。非能率的な…って、あれ?
「何だ?どうした。いつからそこに」
部屋の隅でお茶を淹れたり、コピーの手伝いをしてるのはランチを奢ってやった後輩達だ。
「先輩が仕事遅くてピンチだって聞いて」
「のうのうと定時退庁はできませんよ」
「ですよ」
ちょっと照れた顔で俺に湯飲みを差し出した。
「…ううむ。そうか。何だか悪いな」
だいたい何で残業してるのかよくわからないのに、「俺の仕事が遅い」ってことになってる。
周囲を見回すと、課の同僚がまた顔を背けてプププっと震えているのはどういうことだ。
ハッと気づいた。PCを睨んで数字の点検をしているのもこの部屋では見慣れない女子社員達だ。
「君たちは…」
「澤村さんが困ってるならねえ」
「まあ、手伝ってもいいかなって」
「アハハハ、うける」
何をどういうふうにウケてるんだ。
給湯室で俺の土下座?(違うっての)を目撃していた女の子達三人じゃないか。
一番年長に見える女子社員が俺の耳元で囁いた。
「萌がごめんねぇ」
そういえば奴の姿だけは見えないな。
「…俺はホント、あの娘とは何もやましいことは」
俺は目眩を起こしつつ弁解に努める。ああ、本当に面倒な。
すると三人が一斉に吹きだす。
「わかってるわよねえ、クスクス」
「プププ…澤村さんにそんな度胸は」
「人畜無害、家内安全のタロちゃんで有名な…プーーッ」
ううう…どう考えても侮られているようにしか思えないが、一応手伝ってくれてはいるのだから感謝はしないと。
「と、とにかく気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
三人が顔を見合わせ、それからまたドッと笑った。
「うけるぅ」
何を言ってもウケるな。…俺って才能があるのか。そんなわけないけど…クッ。
どうにか仕事のキリがついて解散だ。どこからともなく拍手が沸き起こった。
「どうにか間に合った。みんなのお陰だ。ありがとう」
なぜか山口が手を挙げて礼を言っている。何でお前が代表なんだ。
…まあ、いいや。もう帰ろう。俺は新婚なのだ。
あら?ドアの陰から誰かが覗いている。
またもや嫌な予感を感じた俺は手早くバッグを掴んで帰宅の準備をした。
よく見るとドアから片手を出して「コイコイ」と俺を手招きしている人物は専務だ。
俺は用心深くソロソロと近づいた。
「あの…もう帰るところなのですが」
「時間は取らせないよ。ちょっと言いたいことがあってね」
専務は無理矢理俺の腕を引っ張って廊下の隅に連れて行く。
俺の方から専務に言いたいことはあっても、専務から文句を言われる筋合いはないぞ。
俺は上目遣いに専務を睨む。…いや、気持ちだけだが。
「愛人のことだが」
俺は跳び上がった。
「ぼ、僕は何の関係もありません。寝取ってません。土下座もしてません」
「何を言っておるのかね。君に私の愛人を寝取る甲斐性などあるわけがなかろう」
…そうだけど。
「妙な噂が出たお陰で決心がついたよ。銀座のカオリちゃんとはきっぱり別れる」
「…それはようございました」
「孫にも申し訳ないからな」
知らんがな。
「だが、最後にカオリちゃんが喜ぶ一泊二日の旅にだね」
専務からさらに別の仕事を押しつけられた俺はようやく家路についた。
とはいえ、俺の気分は最悪というわけではない。
『親子三世代みんな笑顔で千葉周遊三日間』と『愛人満足&さよならロマンチック2day』の二つをプランニングするボーナス?らしき封筒を専務から渡されたからだ。
専務は俺の背広の内ポケットにそっと封筒を差し入れた。
「君にはいいツアーを作ってもらわないといけないからな」
そしてムフフと耳元に笑い声のような息を吹きかけられた。不気味すぎる。
ホントに俺を愛人にしようと思ってないだろうな。
帰路の電車で俺は封筒を背広の上から撫で、これで華さんと美味しいレストランとか…などとほくそ笑んだ。仕事は増えたけれど、こういう特別ボーナスがあるなら気分も少しはアガるというものだ。
ようやく愛しのマイホーム、残業を労ってくれる可愛い華さんの手料理で二人だけの食卓を囲んだ。
「先に食べてくれていいのに」
俺が言うと華さんは微笑んだ。
「気にしないで。私が一緒に食べたかったの」
華さんが煮物の皿を箸でグリグリとかき分けているのを眺めながら、俺の心は温まった。
箸の無作法のひとつやふたつ何の気にもならない。何て可愛い嫁さんなんだ。
俺も箸の先端を揃えながら、焼き魚に手を出す。
華さんは一度取った鶏肉を皿に戻しながら言った。
「…でも太郎さん、揃え箸をお膳の上でするのは無作法よ」
「…」
何だかなあ。
とにかく一日が終わった。
専務のツアープランは休日にやっつけることにしよう。
俺は眠りにつこうとパジャマでベッドの端に腰掛ける。
忘れてた。
専務からもらったボーナスがあった。いくら入ってるのか。
現金なのか?まさか小切手?クオカードとかかも。
クロゼットに吊された背広からそっと封筒を取り出し、ニヤニヤとまたベッドに座った。
その時突然、華さんが寝室のドアを開けて入ってきた。
別にやましいことはないけれど、俺はとっさに封筒を後ろ手に隠す。
「太郎さん?何か隠したでしょ」
華さんがジロリと俺を睨みながらベッドの横に腰掛ける。
「い、いや。まったく。そ、その専務が愛人の…いや、愛人は関係なくてま、孫が」
「何まごまごって、まごついてるのよ。それを見せなさい」
やましくないと言いながら何だか慌てる俺の後ろ手から華さんが封筒を奪い取った。
「いや、ホント、何も」
華さんが封筒を覗き込む。
「…?何の写真?」
写真?現金でもカードでも小切手でもなく…。何の写真だ。
その時、俺の脳裏を恐ろしい想像がかすめる。
愛人の写真か?あり得る。愛人の姿…銀座のカオリちゃんを見て、いい旅行プランのイメージをしろという専務の恐怖のお節介。
やばい。華さんがどんな誤解をするかわからない。
ホントに俺が専務の愛人を寝取った話になりかねない。
「華さん、違うんだ。それはまったく寝取ったとか、寝取られたとかそういうんでなくて」
華さんが不思議そうな顔で封筒から写真を一枚取りだした。
「何言ってるの?これはどこのお祖父ちゃんとお孫さん?」
えええ。
華さんから受け取ったその一枚には、専務がクシャクシャの笑顔で仏頂面の幼児を抱きかかえる姿が写っている。嫌われてんじゃねえのか。
それにしても…よりによって孫と自分の写真って舐めてんのか、あのジジイ。
俺は落胆して写真をサイドテーブルに置いた。
自然と大きなため息が出た。
そっと華さんがベッドにのっかり、俺の背後に回る。
細い腕が俺の両脇から出てきて、腹の前で繋がれた。
胸が背中に当たってちょっとドキドキする。
「太郎さん、また会社の人達にオモチャにされたのね。フフフ」
華さんは笑うけれど、やっぱり不本意だ。
「あなたは今、不本意だなあと思っているでしょう」
何でわかるの?
「みんな悪気はないのよ」
まあ、そうだけど。いや、そうじゃないかも。
「それはそうだろうけどなあ」
俺がやっぱりボヤくと華さんは微笑んだ。
「自分の本意の90%は通じないし、誰かの思いやりの80パーセントはおせっかいに感じられるものよ」
誰調べだい。
「そんなわけであなたの不本意の95%は誤差の範囲、幸せの範囲内よ。太郎さん」
「…意味がわからないよ、華さん」
華さんが半身を乗り出して、俺の頬に軽くキスをした。
「じゃあこのキスも不本意ですか?」
何だかうまく、そして無理矢理に本日のハッピーエンド方向に誘導されてる気もするなあ。
でもなあ、不本意ながら今俺は。
読んでいただきありがとうございました。
一応最終回です。
日常に潜む恐怖を描こうとして、ただのボヤキ漫才みたいになってしまいました。
基本自分が幸せだから何でしょう。…と思います。
全部読んでいただいた方、いらっしゃいましたらマジ感謝です。




