名物に美味いもの無しとは不本意だ
「何を食べてる」
俺は隣の席に座る同僚の山内が何かを美味そうにモゴモゴしている様子を咎めた。
就業中にだらけている奴を俺は許さないのだ。
けして午前中から昼食にかけて不本意なことが続き、ムシャクシャしていたわけではない。
「庶務の本田さんから貰った出張土産だ。お前の引き出しにも入ってるだろう」
山内が小さな包み紙をヒラヒラさせる。
おかしいな。そんなものを見た覚えはない。
もう一度デスクの引き出しすべてを確認するが、奴が見せた包み紙『箱根温泉名物・五郎助まんじゅう』のかけらも見えない。
「ないぞ。もしや俺は陰湿な社内イジメに遭っているのではないか」
そういえば会議や昼食では酷い目にあった。
山口が苦笑いをする。
「本田さんがそんなことするわけないだろう。だいたいお前何か覚えがあるのか」
…何もないな。本田さんとは何の接点もない。俺の考えすぎなのか。
「ハッ、山口。お前、俺の引き出しからまんじゅうを取っただろう」
「いい加減にしろ。専務に愛人を寝取られたからといって俺に当たるな」
山口がニヤニヤしながら包み紙を丸めてゴミ箱に投げた。
「ば、馬鹿な。何を」
俺が血相を変えるのを見て、山口はさらに笑う。
「わかってるさ。専務が人の女を横取りできるほどモテるわけはないし、お前に愛人を作る甲斐性などない」
「…大きなお世話だ」
山口は腕を組む。
「しかし」
何だ、エラそーだ。
「そんな噂を信じた誰かがお前に嫌がらせをするというのはあり得るな」
「うーん」
俺は考え込む。まんじゅうが惜しいわけではないぞ。
「三日前のシュークリームとか、中に何か仕込まれていなかったか」
山口の言葉に俺は目を瞬かせる。
「シュークリーム?」
「こないだ、やっぱり本田さんがシュークリームを差し入れてくれただろう。お前の机の中に」
「入ってなかった。知らないぞ」
本田さん、差し入れし放題だな。いや、そんなことはどうでもいい。
これは絶対おかしい。ものすごく細かい嫌がらせを受けている気がする。
「あっ、そうだ」
山口が俺の顔を見た。
「お前その日、出張だっただろう」
そういえばそうだ。日帰りの出張で遅くなり直帰した日だ。
どおりで気がつかなかったわけだ。
「あのー」
俺の隣の隣にいる横川さんという新人の女子社員が口を挟んできた。
「スミマセン。澤村さんのおまんじゅう、多分私がいただきました」
ええっ。
「何でまた」
「谷さんが食べといてくれって。甘いものは苦手だって」
彼女は俺の向かいの席に座る谷からまんじゅうを貰ったという。
今までボンヤリ天井を見ていた谷が急に自分の名前を呼ばれて驚く。
「俺?」
それでも変わらずボンヤリした顔でボンヤリ考え、谷は『あっ』と声をあげた。
「そうだ、スマン、澤村。俺が午前中に出先に行くとき、本田さんがまんじゅうを配ってて」
「はい、その時その引き出しから谷さんがおまんじゅう取り出して…」
横川さんが俺の机の引き出しを指さす。
「うん、間違えた。大急ぎで取引先に向かうんで、間違えてお前の机からまんじゅう取り出しちゃったんだ」
俺は呆れる。
「お前、いくら慌ててたからって、他人の席を自分のと間違えるか」
「いやあ、スマン。しかも戻って来てから俺の引き出しにまだまんじゅうがあったから変だとは」
「それで?」
山口も苦笑いする。
「本田さんが二個くれたのかと。いや、澤村。ごめん」
谷が俺に向かって両手を合わせた。
「まあ、いいよ。まんじゅうくらい」
まあ、勘違いならいいのだ。
「だがまだシュークリームの件があるな」
山口が腕を組んだ。
「お前を巡る愛人問題に絡んでいるのかいないのか」
「そんな問題はそもそも存在しない」
俺の言葉に谷や横川さんや周囲の社員がニヤニヤしている。
中には例によって下を向いて肩を震わせている奴もいた。
完全に俺は社内のおもちゃになっている。
「横川さん、俺のシュークリーム食べたか」
「知りませんよ」
横川さんが心外だという表情で顔の前で手を振った。
「山口、お前シュークリーム盗んだな」
「馬鹿言え。だったら最初から話題にしない」
それもそうか。
「おい、谷」
「な、何だ」
また唐突に指名をされた谷が目を丸くした。
「お前、俺のシュークリーム」
「俺は甘いものが苦手だって言っただろ。俺のさえ横川さんに」
「はい、美味しくいただきました」
横川さんがニッコリした。よく食う奴だな。
「思い出した」
また急に谷が何かを思い出した。こいつ大概のこと忘れてるんじゃないのか。
「本田さんがお前の引き出しに入れようとして、困ってたんだ」
谷の言葉に山口も『ああ』と手を打つ。
「そうそう、賞味期限ギリギリの見切り品だからって」
それを配るか、本田さん。
そこからまた谷が引き取る。
「本田さん、どうしようかって迷って、通りかかった横川さんに『仕方ないね、食べちゃって』って渡したんだ」
「そうでした。それも美味しくいただきました。あれ、澤村さんのだったんですか。アハハ」
こいつどれだけ食うんだ。
「まあ、いいよ。何かの原因で社内イジメが始まったのかと思ってドキドキしたからな。ハア」
俺はため息をつきつつ、少しだけホッとした。
少なくとも悪質な嫌がらせでは無さそうだ。
「ただの勘違いでホッとした」
「アハハ、澤村さんが専務の愛人寝取ったくらいで、おまんじゅう盗んだりしませんよ」
横川さんがサラリと、しかも結構な大声で爆弾発言をした。
俺が目を見開いて固まっているのを見て、山口が吹き出しながら言う。
「プッ、俺は専務が澤村の愛人を寝取ったと聞いたが…プッ!」
谷は真面目な口調でそれを遮った。だが顔は半笑いだ。
「いやいや。ウププ、俺は給湯室で専務の愛人が…ププッ、さ、澤村だという世間話を女子社員から聞いたプーーッ!」
「馬鹿野郎!いい加減にしろ!」
俺はつい立ち上がって大声を出す。
横川さんがビクリと身体を震わせ、山口はさらに爆笑し、谷は俯いて肩を震わせている。
「おい、澤村。横川さんが驚いて涙ぐんでいるじゃないか」
山口が笑いながら俺を咎めた。
「そうです。怒鳴るなんて酷いです。さっきはシュークリーム泥棒呼ばわりまでされて…プッ」
横川さんは目頭を抑え肩を震わせながら言うが、どう考えても笑っている。
「うむ。そういえば俺も谷もお前から泥棒扱いされた」
「そうだそうだ、澤村。お前、よくないぞ」
「…何だ。俺が悪いみたいに」
俺は周囲を見渡すが、目を合わせた奴はみんな下を向いて笑いを堪える。
俺は椅子に腰を下ろし、ため息をついた。
「ハア…大きな声を出して悪かった。まんじゅうもシュークリームも俺の勘違いだ。すまない」
「気にするな、澤村。友達じゃないか」
「そうだ、たとえ愛人問題がこじれても俺たちはお前の味方だ」
「そうです、澤村さん。ファイト!」
ぬおおおおお。
読んでいただきありがとうございました。
第一稿では主人公がもっと酷い目にあっていたのですが、理不尽すぎて書き直しました。
次回はさらに酷い目にあって、その次の次くらいの最終回でハッピーエンドにもっていく予定ですが無茶な気もしてきました。
最後まで彼の運命の流転におつきあいいただけたら笑。