『サクシード、帰還す』
神界暦2986年蒼水の三月秘史の十九日——日曜日。
エスクリヌスから客船『ローズアルバ号』に乗って、パラティヌスに向かう青年がいた。
五年前の同じ日に同じ船に乗った、サクシード・ヴァイタルだった。
革ジャンにデニムという出で立ちは変わっていないが、その服の下の肉体は長い戦歴を物語るように傷ついていた。が、致命傷は負っていなかった。
『世界の大変革』後——彼は『後悔の塔』攻略戦に、POAの一員として参戦した。
警備兵として『万世の秘法』の拠点、『笑話の里』が堕ちた悪党の受け入れで混乱化するのを防ぎ、一方で『後悔の塔』の動向に睨みを利かせていた。
そしていよいよ『後悔の塔』が瓦解する時が来た。
『万世の秘法』がわざと放置していた修法作物を奪取し、そのプラスの気で正気に近づくにつれ、内部分裂が起きたのだった。
結果、POAに投降する者が後を絶たず、立て籠もった他の者を兵糧攻めする形となり、そこへPOA軍が突入した。
怨嗟渦巻く『後悔の塔』は、壮絶な飢餓にうめく地獄と化していた。
『世界の大変革』の後は因果界の者たちの宇宙法則は、『生命の樹』によって「天寿を全うすること」に変更されている。つまり「死ねない・殺せない・逃れられない」ということである。
籠城した『呪界法信奉者』らは、飢えているのに死ぬことも苦しむ仲間を殺すことも出来ず、死の極限状態に置かれたのだった。
こうして『後悔の塔』攻略戦は、POAが『呪界法信奉者』を『笑話の里』近郊に保護することで決着した。
サクシードはその一部始終を見届け、POA医療班に引き継ぎを終えたのを潮に、POA上層部より任を解かれた。
POA本部への帰還命令が下された。
少ない荷物をまとめ、必要な人々に連絡し、船のチケットを手配したのが奇しくも五年前と同じ日。
地獄を見た後なので、意気揚々というわけにはいかないが、区切りはついた。
本当はテレポートして一瞬で待っていてくれる人々の許に帰れるのだが、サクシードはそれをしない。
五年の間、住んでいた下宿とは、手紙だけしか取り交わしていない。
電話はおろか、様子を透視することさえ自ら禁じていた。
そのため、送られてくる手紙は自然、恨み節を帯びることもあった。
待たせている恋人、レンナの、始終下宿の様子を記すに徹した手紙が怖い。
それで彼は五年分の手紙を読み返す作業をしていたのだった。
「……」
下宿人五人分の手紙は相当な量で、届いた順にまとめてあったが、レンナの手紙は別にしてあった。
それを最後に読み終えた頃、船内アナウンスがパラティヌス南端国メーテスへの到着を告げた。
サクシードはあの日と同じように、手紙をボクサーバッグに入れ直すと、船室を出て、船が埠頭に着岸するのを見ていた。
懐かしい、メーテスの港街。
主街道を中心に、階段状に建つ赤茶色の屋根とクリーム色の壁の建物群が遠くまで続いている。
(変わってないな……)
サクシードはまずそう感想を漏らした。
視点を転じて、港に小さく見えている人の群れに着目する。
あの中に、あの日と同じように、レンナが出迎えてくれるはずだ。
会うのが怖い気がした。隔てを置いたのは自分の方だったから。
「納得するまで帰ってこなくていいわよ。蓮の台ということにしておくわね」
彼女が旅立つサクシードに手向けた言葉は、現実のものとなった。
あの言葉の真実を知る時が、刻一刻と迫ってくる。
五年前、嵐のような一日をエスクリヌスで送った、次の日の朝。サクシードは滞在ホテルの辞書で、謎の言葉『蓮の台』について調べてみた。
『蓮の台』——極楽に往生した人の座る蓮の花、とあった。
サクシードにはすぐにわかった。
再会するのが今世ではなくても、天上では結ばれましょう、という意味だ。
目眩がした。
そんなに俺を信じきっているのか、と。
自立してから書き溜めた四冊の雑記帳をレンナに預けたのは正解だった。
あれがなかったら、レンナが独身を通してしまう。
今さらではあるが、男としてやるべきことがあるのに気づいたのだった。
心言と呼ばれるテレパスで呼んでみたいような気もしたが、まずその姿をこの目で確かめたかった。




