『意思疎通』
夜十時過ぎ――サクシードは廊下で、浴室に向かうファイアートとばったり会った。
「話は済んだかい」
「ああ」
サクシードが感づかれないように苦心していると、ファイアートは気づかないふりをして言った。
「ちょっといいかい?」
仕方なく頷くサクシード。
廊下の壁に横並びに寄りかかって話をする。
ファイアートはあくまでも淡々としていた。
「レンナのこれからのことなんだけど――君に行きつくところまで行ってもらおうってことで、みんなの意見が一致した。問題は?」
「……俺もそのつもりだ」
「あ、そう。皆まで言わなくてもわかると思うけど、今度の件はレンナが心身を貫かれる感覚が最高の切り札になる。……最後まで手抜かりなしのエスコートをよろしく」
「ファイアートはそれでいいのか?」
「いいも何も、初めっから言ってたろ、かわいいからお薦めだって」
「——かわいいだけなら惚れないがな」
「ちなみにどのあたりで惚れたの?」
「俺の幸せについて言及した時だな」
「ふーん、サクシードの幸せ、ねぇ」
だいぶ的外れな話をしているな、とファイアートは思った。
サクシードの言動の起点は幸せじゃない。自分の弱さとの戦いだ。
それでよく、この強情な男をオトせたものだ。
あっぱれとしか言いようがない。
「ま、僕も助太刀するよ。僕がメーテスの王子の下りで気づいてると思うけど。レンナは名家出のお嬢様だよ。段取りが必要だろ?」
「そうだな、頼む」
「うん。こんな火急の件が浮上しなかったら、君……レンナに告白もしないで、実戦に向かってただろうからね」
「……」
「僕もやきもきさせられるはずが、スッキリ解決して拍子抜けだよ」
「悪かったな、180度方針を変えて――」
「思ったより、君が柔軟なんで驚いてるよ」
「知らないで見過ごしていたら、俺にとってもっと厄介なことになってた」
「ああ――守るつもりが守られてたなんて、痛恨の極みだよね」
「その点だけは生命の樹に感謝するよ」
「ホントだね」
苦笑して、その場は収まった。
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
男同士の暗黙の了解が、サクシードの負担を減らす助けになった。
翌日——繁緑の四月民恭の三日。
この日のサクシードは凄まじいという言葉がぴったりだった。
訓練開始のウォーミングアップ、百メートル走では、直線コースを全力で走り、戻ってくるときもほぼ走っていた。
筋力トレーニングでも、全然休まず間断なく行う様は、鬼気迫るものがあった。
組手をすれば、誰もが目を奪われるほどの切れ味で、次々と技を決めていき、先輩訓練生に「参った」と言わしめた。
汗も拭わず一心不乱に訓練に打ち込む姿に、日頃よく思っていないゲルツでさえ感じるものがあった。
「飛ばすな、あいつ……」
ゲルツが呟くと、取り組み相手の仲間が反応した。
「何考えてんですかね」
「重圧跳ねのけようとしているように見えるな」
フェアな判断を下すゲルツ。
「鳴り物入りだから、ポーズは取っておかないといけないじゃないんすか」
「いや、そうじゃねぇ。何かあったな」
「どうせ彼女とケンカしたとか、他愛ない悩みですよ」
取り組み相手がバカにした瞬間、ゲルツの逆関節が決まった。
「ちょっ、ちょ、ゲルツさん!」
慌てて力を緩めてもらおうとすると、ゲルツは熱く言い放った。
「馬鹿野郎! 腐った目でもの見てんじゃねぇぞ!」
「!」
「鳴り物入りだろうが何だろうが、やつは俺たちよりも若いんだ。思い詰める時だってあるさ。そこは肩叩いてやるのが男だろうが!」
「す、すみません……」
リーダー、ガルーダはその成り行きを聞いて、ゲルツも話のわからないやつじゃない、と見直したのだった。
誰がサクシードの相手をするか、じゃんけんをしていた先輩訓練生は、ガルーダが前に進み出たのに心底安堵した。
「!」
荒い呼吸をついていたサクシードは、ガルーダが前に立っているのに気づいた。
「気合い入ってるじゃねぇか、新入り! 今のおめぇの相手は他のやつらじゃ役不足だ。俺が相手してやる、全力でかかってこい」
「——はい!」
サクシードは、間合いを五メートルほど取った。
ガルーダの気迫が全身から立ち上っている。
習ったばかりの空技では、対抗できないと悟る。
体当たりでぶつかっていくしかなかった。
「でやぁっ!」
正拳を振り上げて突っ込む。
その突きはもちろんガルーダに躱されて空を切った。
「あいつ、何考えとんじゃ……!」
「恐っとろしい向こう見ずだぜ」
遠巻きに見ていた訓練生らは、サクシードの無謀をなじった。
だが、それが正解だったのだ。
ガルーダの正拳が面白いようにヒットする。
嬲られている、と言ってよかった。
サクシードは体を折り曲げ、唾液を吐きながら、それでも膝だけは折らなかった。
その目。
越えられない壁を這いあがろうと必死にもがいている。
計算のない、何もかもかなぐり捨てた顔。
最後は頭から突っ込んでいった。
見切ったガルーダは、横に躱して太腿と肘で挟み撃ちにして、とうとうサクシードの首の急所に手刀を打ち込んだ。
「ガハッ」
叫んで、サクシードはようやく止まった。
マットに沈む体。
一部始終を見守っていたサラート教官は、ジャンティとイーリアスに医務室に連れて行くよう指示したのだった。
正午を知らせる時報が訓練ドームに鳴り響いた――。




