『花森』
四人がお互いの意思を確認していた頃、サクシードたちは書庫室のテーブル席に座って、もどかしい時を過ごしていた。
レンナがどう振舞っていいかわからず、会話は途切れがちだった。
サクシードは、ドギュスト部長が万武・六色のレクチャーをレンナに託したことを伝えた。が、レンナは真っ赤になって、テーブルに視線を落としたままだ。
やがて、サクシードは安心させるように言った。
「弱ったな……レンナがそんなんじゃ、気軽に頼み事もできないよ」
「! ごめんなさい」
「どうしたらいつものレンナに戻ってくれる?」
「……あの……」
「今日はこの辺にしておこうか?」
「ま、待って!」
レンナの思いがけず大きな声に、サクシードは目を丸くした。
ここで打ち切ったら、明日から挨拶すら難しくなる。
レンナは目の回る思いをしながら、必死に言った。
「サクシードが疲れてないんだったら、因果界に往かない?」
「因果界に――?」
怪訝な顔をするサクシード。
「そ、そう。意識の位相の変え方、覚えてる?」
「ああ」
サクシードは優位になっている自我を引っ込めるイメージで、《《こうであろう》》因果界のイメージを強化した。そして、意識をスーッと手放して、イメージに《《委ねる》》。
これが、意識の位相の変え方だった。
所謂、テレポートである。
次に目を開いた時には、月に照らされたレピア湖が映った。もちろん、因果界のだ。
遅れてレンナがテレポートしてきた。肩にはストールが掛かっていた。
「寒くないか?」
「……うん」
真っ直ぐレンナを見下ろしてサクシードは言ったが、彼女が何を考えているのか、わからないままだった。
「座りましょうか」
レンナは先ほどより、ずいぶん落ち着いたらしかった。サクシードの左の草地に横座りになった。
サクシードも片膝を立てて座る。
「……静かだな」
「こんなことになるなんて思ってなかった」
レンナは突然、話を切り出した。
「あなたから告白されて……お世話しながら生活に張り合いができて、今よりずっと親しくなって、じりじりした気持ちで豊穣の十月まで時間と競争する毎日になるって信じてた」
「レンナ……」
「もうそれは当たり前のことじゃないのね……」
「時間ならもう少しある。実はドギュスト部長と話し合って、訓練期間を延長してもらえることになった」
「ホント?」
「君のことが決着するまでは、ここを離れない」
「——ゴメン、確信犯」
「えっ?」
「生命の樹に話を聞いてから、真っ先にそうしてほしいと思ったの。利己主義だよね」
膝を立て顔を伏せるレンナ。サクシードは言った。
「いや、防衛本能が強いだけだろ。それだけとてつもない試練だということだ」
くるっと顔を横に向けて、レンナが笑った。
「サクシードに言わせると、何でも修行になっちゃうのね」
その愛らしさを見つめながら問う。
「違うか?」
「ううん、違わない。私も……変わらなくちゃ!」
手を組んで前に伸ばしながら、レンナは一息ついた。
優しく笑いながら、サクシードは突然、舵を切った。
「告白しておいて正解だったと思うよ」
「えっ?」
「これがただの下宿人と世話人の関係だったら、俺は君に遠慮していたと思う。いや、事情も知らされずに、助けにもなれずにいたかもしれない。——全部うまくいってるんだな」
サクシードは手を伸ばして、そっとレンナの頬を包んだ。
「サクシード……?」
青春、大いに結構。
ドギュスト部長の言葉が浮かんで消えた。
レンナが頬を包んだ手の上に自分の手を重ねる。
「……あったかい」
(何もわかってないんだな……)
男としてできることは限られている。それが今回の試練の切り札になることは、サクシードもよく理解していた。
「おいで、レンナ。少し歩こう、川の方まで」
「う、うん」
形勢逆転。サクシードが何を考えているのか、レンナにはわからなかった。
サクシードがレンナの手を握った。
何も言葉はいらなかった。手から伝わる優しい温もりが二人を満たした。
くっきりした上弦の月が、二人の行く手を照らしている。
やがて、花森と呼ばれる小さな森に入っていった。
新緑の季節には二週間ほど早いため、影絵のような枝々が地面で踊っている。
しんとして、生き物の気配もない。
二人は小さな川の小さな橋を渡って、真ん中まで来て立ち止まった。
見ると、川上の方がぼんやり薄明かりがあった。
「? あれは何だろう」
「桜の木よ。もう蕾が膨らんでいるのね。それでぼんやり白く光ってるんだわ」
「桜か――」
「近くまで行ってみる?」
「いや、咲いた頃にまた来よう。ここに座って。俺が後ろを支えているから」
「うん」
素直に言うとおりに橋の低い木の欄干に座るレンナ。その肩を抱いて腕で支えるサクシード。
(あっ)
やっとレンナがサクシードの意図に気づいた。これでは逃げられない。
ピクッと体を震わせるレンナを受け止めるサクシード。
「今なら逃げてもいいんだぞ」
テレポートして逃げろと言っているのだ。
「……上手なのね」
責めるように言ってみる。
「他は知らんが――君をどう扱っていいかは、よく知ってる気がする」
「……」
肩を抱いたまま、サクシードが反対の手をレンナの細い顎に添えて、くいっと上向かせた。
「今夜のことは忘れない」
「……私も……」
「……」
静かに顔を右に傾けて、サクシードはレンナにキスした。
ズキッと痛む胸。そのあとの溶けて広がるような甘美さ。
感触を確かめるように、何度も口づける。
いつ恋に落ちたのか、サクシードははっきり覚えている。
初めて口論になったとき、レンナは言った。
「もし私に世界を守る力があったら、わからないようにあなたを守るわ。あなたの幸せは私の幸せに繋がるもの」
あの時はどんな意味が隠されているのか、わからなかった。
その言葉通り、レンナが守ってくれるその先に、サクシードのすべてがかかっている。
レンナにかかる負担を軽減し、試練を乗り越えさせること。
それがサクシードに与えられた命題だった。
だが、そのために自分の進路を曲げた時、サクシードははっきり悟った。
すべてをかけて、レンナを守る。
この決意の前に、何者も立ち塞がらせない。
喩え、それが名のない力であろうとも。
肩を抱く手に力がこもる。
守って見せる、必ず。
サクシードは全身でレンナへの愛を表現していた。
その気持ちは痛いほどだった。
熱い想いが胸板に置いた両手を通して伝わってくる。
そして、心臓の鼓動——。
私を知っているの……? どこで会ったの……?
私の過去世は、あのウェンデス様の透視能力を持ってしてもわからないのに。
けれども、この人は、私がそう言ってもスルーしてしまうだろう。
今が大事なんだ、と言って。
ポロンと涙が零れ落ちた。
「好きだ、レンナ」
「……はい……」
サクシードは涙をそっと指で拭ってやって、レンナを抱き上げた。
そして、下宿の書庫室にテレポートしたのだった。




