『いつの間にか』
「……」
アニスの剣幕からいって、レンナにはPOA入りを反対していることをはっきり言ったのだろう。
だが、事情を聞かされたはずのレンナには、柔和な笑みがあるだけだ。
「前に連絡した時点では、姉貴ははっきり反対してた。その勢いでおまえに話したんだな」
「ううん。でも、私だってお姉さんの立場だったら、弟がPOAに入ろうとしていたら、その情報が十分になかったら。必死になって止めると思う。反対するのは無理ないわよ」
「そうだな……姉貴は俺が説得するよ。かなり心配させているし、あまり丈夫でもないからな」
「そうしてあげて。サクシードがどれだけ訓練に万全を期しているのかを知れば、お姉さんもきっと考え直してくれるわよ」
サクシードはレンナをじっと見つめた。
「——ありがとう。ごめんな、姉弟のことに巻き込んで」
「いいの、私でよければ。それに、これも世話人の務めだから、気にしないで」
「……」
細い肩、優しく温かい言葉だけを紡ぐ唇、自分を見つめる真摯な眼差し。
深い思いやりを差し出されて、サクシードはレンナの肩に手を置いた。
「サクシード?」
するとそこへ――
バンッ。
いきなり予告もなしにドアが内側に開いて、ラファルガーが入ってきた。
二人を見るなり、さらっと言う。
「あ、悪い。本を返しに来た。すぐ出て行く」
サクシードはもうレンナの肩から手を下ろしていたが、自分が何をしていたのか、突然わかって、カッと赤くなった。
レンナも顔を赤らめたが、肩を竦めてくすぐったそうに笑った後、ラファルガーに聞いた。
「ラファルガーはレポートの作成?」
「ああ、提出期限が迫ってきたからな」
「サクシード、ラファルガーはね、ここから西側にあるサンドプッセ川の研究をしているの。とても詳細で手が込んでいるレポートなのよ」
「今朝、話を聞いた。ラファルガーなら文句のつけようのない、完璧なレポートを提出しそうだな」
「作業そのものは地味なんだがな」
ラファルガーは平然と話を合わせた。
「それで、夜中に突然、下宿を出て行って標本を採りに行ったり、蜘蛛の巣だらけになって帰ってきたり。人が変わったように活動的になるのよね」
「へぇ」
「勢い余って、高そうなシャツをびりびりに破ったり、泥だらけになってくるのは困りものね」
「思考が研究に絶えず向かっていると、あまり身なりに構わなくなるんだ」
「せっかくの男前が台無しだな」
「実は元々、無頓着なのよね」
その時、階下からレンナを呼ぶファイアートの声が。
「レンナー、電話!」
「はーい! じゃあ私は行くね」
そう言ってレンナは、男二人にして書庫室を出て行ってしまった。
「忙しい時にマラソンに付き合わせて悪かったな」
「いや、一人だったらしようと思わないことができて、いい刺激になった。おかげでレポートも順調だ」
「それならいいんだが……」
「そんなことより――こっちこそ邪魔して悪かったな」
出し抜けに言われて、サクシードが動揺する。
「な、何を言ってるんだ」
「俺が言うのもなんだが……勢いを殺すより乗っかった方が、自然なんじゃないか」
「ファイアートみたいなことを言うんだな」
「君のような男が恋に落ちるのは見ものだからな」
「面白いか? 俺が気持ちを持て余すのが」
「——持て余す、というより、レンナのことは張り合いになってると思うんだが、違うか?」
「……」
その通りだった。
レンナは目新しい日常、そのものの象徴として、サクシードの生活を潤していた。
「こうなったら肚を決めて取り掛かった方がいいだろう」
「POAの先輩もそうけしかけてたな」
「それはあくまでも他人の意見だ。君はどうしたいんだ?」
「——わからない」
こんな気持ちは初めてだ、とサクシードは思った。
「……さっきも、考えるより先に、手の方が動いていたふうだったな」
「……!」
「君もPOAの訓練で大変だろうが……この状況は予め仕組まれたものだ。万世の秘法然り、恋愛も予測の範囲内。その上で要求されているレベルアップも目指していけ、そういうことじゃないのか」
「難しいな……」
「別に今すぐどうにかしろとは言ってない。訓練期間が明けたら、POAの任務に就くだろ? そうなれば、恋愛にうつつを抜かすわけにはいかないんじゃないのか。限られた時間の中で……レンナから受け取るものは大きいと思うぞ……つまりは万世の秘法からお題が出たのと同じだな」
「……わかった、俺も初心者同然だが。レンナと前向きな関係を築いていこうと思う」
プッとラファルガーが吹き出した。怪訝な顔をする サクシード。
「とことん真面目だな。でも隙だらけだ。ファイアートには油断するなよ、恋の曲芸師だからな」
「なるほど、確かに」
ファイアートに対する、二人の評価が一致した――。




