レンナ・モラル
「それじゃ母さん、行ってきます!」
レンナは元気よく、母アンジェラに挨拶した。
「気をつけてね。初めて会う人とは、第一印象が肝心ですからね。それから船旅で疲れているのだから、気配りを忘れないで。一緒に住むのだから、私からも挨拶したいのだけど……」
アンジェラは頬に手を当てて娘を心配していたが、レンナはクスッと笑った。
「そんな大げさな。相手は自立してる人なんだし、同い年の私が親を頼っていたら、いきなり差がついちゃうよ。大丈夫、きっと上手くやれるから。母さんはその報告が来るまで待ってて」
「……わかったわ。でも機会があったら家に連れてきてね。もしかしたら、いいお相手かもしれないし」
心配はどこへやら、アンジェラは楽しそうだった。レンナは母の言葉の意味するところを理解しつつも、「は?」と、とぼけた。
「それじゃ、父さんとクロードによろしく」
「いってらっしゃい、しっかりね」
「うん」
レンナは手を振りながら実家を後にし、港へ新しい下宿人を迎えに出かけた。
パラティヌス南端国メーテス――。
商業の盛んな、パラティヌスの海の玄関だ。
王政だが、政治は中央政府が執っているので、実権は持たず名のみである。
人口約七十万人で、これはパラティヌスの総人口の40%に上る。
三十数年前まで自治国家だったメーテスは、広大な港湾を利用した貿易で富を築いた。
その富の象徴として、当時影響力のあった富豪が王家を名乗ったのである。王家は西端に宮殿を築き、街を碁盤の目のように区画分けした。東側は商人と一般市民が住み、西側は王家に連なる親族や優遇された高級官僚などが住んでいた。
しかし、時を経て東側の商人たちが結託して独自に交易ルートを開発し、ついには王家を凌ぎ、実権を王家から取り上げたのである。故に東側の商人たちは、自分たちの街を『暁の街』と呼び、誇らしげに胸を張る。
こうしてメーテスは、以後商業の街として発展する。
それがどうして隣の大国パラティヌスに併合されたかというと、産業と資源、歴史と文化の獲得のためである。
商業国の弱点である、主力産業を欠いたり資源の乏しさを補うには、大国を受け入れるしかない。歴史も浅く、文化の混在した秩序のなさを解消するのに、パラティヌスはうってつけの大国だったのだ。
政治をパラティヌスに任せ、自治権だけを残して、メーテスはさらなる発展を遂げた。
南端国というのは、国として機能していた頃の名残だ。また、対になる北端国セライという国があり、こちらは歴史は古いが交易力がない農業国だ。
メーテスは現在、パラティヌスの首都よりも人口が多く、海の玄関として外国からの有識者、文化人を迎えて活気づいている。
その根底に、暁の光を宿して。
メーテスの東街の出身だが、家が西街にある名門モラル家の長女、レンナ・モラル。
家族はメーテスの自治省議員をしている父・デドロックと婦人奉仕協会会員の母・アンジェラ、そして弟のクロードの四人家族。
だがずっと家族と一緒だったわけではなく、五歳から十二歳までの七年間、北方のウィミナリス国に留学していた。
その経験を活かせば、国の官吏になるための道も用意されていたのに、それはなかったことにしてしまった。
下宿の運営をしているのは、自立するためと、人の世話が好きだったからだ。
それにあたり、いろいろ経験を積んだ。
まず、家のリフォームをするのに、DIYの資格取得。運営費をやりくりする、経理の勉強。食事の提供を考えて、料理店でのアルバイト。食材を調達するのに必要な人脈の確保。サービスを学ぼうと、ホテルで研修もした。
その甲斐あって、下宿は軌道に乗っている。
目的のために、一から努力することを知っている彼女は、下宿人たちからの信頼も厚い。
もう一人くらい仲間が欲しかったところに、知人から紹介されたのがサクシードだった。
経歴以外、詳しいことはわからない。
不安がないわけではなかったが、とにかく温かく迎えようと下宿人たちと決めてきた。
(母さんの言う通り、第一印象が肝心よね)
主街道へ続く、プリムラ通りを下りながら、レンナはまだ見ぬ下宿人に意気込んだ。