二話
【蒲田】
「四番、サード、蒲田」
「はい」
最高気温三十八度、甲子園の一塁側ベンチ前で俺は気合いが入っているわけでもなく、気怠くもない返事をする。本当はあまり気乗りしなかったが、全国大会の初戦ということもあり、チームメイトの士気が下がるといけないので、できる範囲で大きな声を出す。
現在俺は高校一年生。夏の高校野球全国大会で背番号五番を背負って、チーム打線の主軸となる四番という大役を任された。地方予選のときからフル出場で全試合四番だったからもう慣れたといえば嘘ではないが、やはり全国大会でこれだけの大勢の観客とメディアが注目している中だと、緊張感も格別だ。
緊張?この俺が緊張してるだって?そんなわけない。小学生、中学生と上級生に混じって当たり前のように試合に出てきたし、今回も大丈夫だろう。
だいたい俺の人生、そこまで野球に愛情を注いできたわけではなかった。野球を始めたきっかけは…覚えていない。物心ついたときからバットを握っていた気がする。これが野球だとわからないうちにバットやボールを触っていて、初めて野球チームに所属したのが五歳の時だった。父親が監督をしている少年野球チームに入り、小学生と一緒に練習をしていた。俺の父親は高校時代野球をしていて、打てば四番打者、投げればマックス百五十キロ越えのストレートを投げるような、プロ注目の選手だったらしい。高校三年生の夏の地方予選の決勝戦で、父親は再起不能の怪我をしてしまい、プロ野球選手の夢を諦めなければならなくなり、その後の全国大会も全く出場できなかった。
そんな父親自身が届かなかった夢を、今は息子の俺に託している…といえば聞こえは良いが、俺の自我が芽生える前に野球のイロハを脳内に植え付けていたり、「お前はプロ野球選手になるんだ」と昔から過度に期待というか、洗脳していたり。今思うと、父親は俺を自分の叶わなかった夢を叶える為の道具としてしか見ていなかったのかなと思う。まぁ直接父親から聞いたわけではないが。
そんなきっかけで野球を始めたもんだから、試合に出てもそんなに熱くなった記憶がない。ごく一部を除いて…
高校野球の全国大会で強豪校の一年生四番バッターだとメディアに持ち上げられても、イマイチ高揚感がない。ベンチを温める役割であろうが、チームの主軸を任されようが、同じような熱で試合に臨める自信が俺にはある。まぁ父親の期待に応えるという意味では試合に出た方がいいのだろう。現状の野球をやっている理由としては、父親に認めてほしいという過度な承認欲求に突き動かされているのが大半なのだろう…か?
どこかで聞いたことのある表現であるのはさておき、スタメン発表も終わり、試合開始までチームメイトはベンチで談笑している。俺の周りには誰もいない。それもそのはず、同じ学年でベンチ入りしているチームメイトは俺だけ。特別仲の良い先輩もいない。この学校に入ってから、先輩を敬ったこともないし、敬語も使ったことがない。そんな奴がチームの主軸だなんて、可愛げが無さすぎる。絡みづらいのも納得がいく。だいたい俺は体育会系特有の上下関係というやつが大っ嫌いだし、一年や二年早く生まれただけで、言葉遣いや態度を変えないといけないなんておかしすぎる。
…これは俺の思うことなのか?誰かの受け売りか?
よくやく試合が始まった。俺のチームは後攻。3塁ベースの近くまで小走りで行き、グラウンドの土の状態を確認する。その後軽く肩を回す運動をした時、相手チームのランナーコーチが3塁側のファウルグラウンドまでヘルメットを被って走ってくる。
あのランナーコーチ…どこかで見たことあるような…?