一話
【柏木】
「今日のヒーローは蒲田くんです。一年生にして中学公式戦で十本目のホームランが今日のサヨナラアーチとなりました…」
三年生の最後の試合で大活躍した一年生のチームメイトがヒーローインタビューを受けている。その様子をベンチの片付けをしながら聞いている俺。中学一年生にして、二個年上の三年生の公式戦で大活躍しているあいつはたいしたもんだ。
中学二年生の俺はいわば試合にも出られない雑用係。というか野球すらできない。中学一年生の時にボールの投げ過ぎで、右肘の軟骨が欠けてしまい、肘に爆弾を抱えてしまったのであった。ボールを投げることはおろか、バットを振ることもできない。医者にはもう野球ができない身体だと言われている。手術はしたが、ちょうど成長期という時期に骨に異常をきたしたもんだから右肘が伸びなくなり、かなり歪な見た目の腕となってしまった。
「なんで俺だけがこんな目に…もっと野球がやりたいのに…」
野球が大好きな少年ならそう思っただろう。でも俺はそんなことちっとも思っていない。強がりでもなんでもなく。必死にリハビリを頑張って後で見返してやる。という気もなかった。実は俺、そんなに野球が好きじゃない。そんなに野球がうまくなかったので、試合に出たとしてもあんまり活躍をした記憶がなかった。どちらかというと雨で練習が中止になった時、家で一人でやる野球ゲームの方が好きだった。一人でやっていると、上手いとか下手とか気にしなくていいし。チームで練習をするとエラーや三振をすると監督に怒られるし、チームメイトには迷惑かけるし。おまけにボールをグラブで捕ったときには突き指するし、挙句の果てにはピッチャーでもないのに、再起不能の肘の怪我までしてしまって…
じゃあなぜそんな怪我までして野球チームに所属しているのか。簡単に言うと、人気者の仲間になりたかったのだ。日本ではトップレベルの人気スポーツの野球。高校野球の全国大会の観客数と声援を想像すればそれが如実にわかるだろう。学生レベルのスポーツであれだけの注目度は、はっきり言って異常。そんな世界に片足だけでも突っ込んでいたいという思いで、小学生の頃野球を始めたんだっけ。いや、友達に誘われたからだったっけ。はっきり覚えていない。始めたきっかけはどうあれ、野球チームに属している現状の理由としては、過度な承認欲求に突き動かされているのが大半だろう。
そんな俺の曲がりくねった野球に対するモチベーションからすると、むしろ怪我してることが好都合になる。ノックを受けなくてもいいし、バッティング練習にも参加しなくていい。怪我してても野球を諦めず、リハビリを頑張っている努力家だという体裁も保てる。まぁ練習終わりにやるベースランニングは多少面倒だったが。
一人でやる走り込みや筋トレはあまり苦ではなかった。一年近く、怪我のリハビリと称して続けている筋トレのおかげで身体が引き締まってきている。野球で活躍するモチベーションよりも、自分の見た目が変わっていくモチベーションの方が今は勝っている。
三年生の最後の大会が終わった秋、いよいよ俺たちの世代が新チームとなる。変わらず俺は故障者リストに登録されているため、別メニューでリハビリを行っている。いつものように十キロのランニングから始まり、チーム専属トレーナーと一緒に身体全体のストレッチをしてから、ダンベルのトレーニングを行う。なかなかハードなトレーニングだが、一年も続けていると、ここまでしないと逆に身体が気持ち悪い。
「柏木!」
監督が俺を呼ぶ声が聞こえる。現役の中学生の野球少年に負けないぐらいよく通る声だ。
「はい!」
俺も一応野球少年。その監督の声に負けないような声量で返事をし、ダッシュで監督の元に向かう。
「こいつ、今日から故障者リストに登録することになった。お前がいつもやってるような別メニューを教えてやれ。」
監督からそう聞いた後、監督の隣に目線を移すと、なんとそこにはあの蒲田が立っていた。
身長は中学一年生にして百八十センチ近くあって、体重はおそらく八十キロぐらい。投げては百三十キロぐらいの速球を投げ、打てばホームランを量産。一年生にして、誰よりも野球のセンスがあるからか、上級生に対しても敬語を使わず、呼び捨てやあだ名で呼んだりし、横柄な態度をとっている様子が見受けられる。性格はあまり褒められたもんじゃない。こいつに謙虚という要素を付け加えたら完璧なんだけどなぁと何度妄想したことか。
そんな蒲田が故障者リスト?どういうことだ。監督曰く、右肘の違和感だそうだ。いくら身体が大きいからといっても、まだ中学一年生。中学野球をやっていくだけの身体がまだできていなかったのだろう。俺より重症ではないにしろ、同じような部位を怪我している。先輩として何か経験談を伝えることができるだろうか。いや、そんなことはできない。故障者リストに登録されたとはいえ、相手は将来のスター選手候補。野球人生をほぼ怪我人として過ごしてきた俺の話なんか聞く耳を持たないだろう。
そんな妄想も早々に切り上げ、俺は蒲田と共に、故障者用の別メニューを行うため、トレーニングブースへ向かう。さすがに故障者リストに登録されたとなると、蒲田の表情もいつもより暗い。というか俺がこいつに教えるようなことなんかあるのか?むしろどうやったらそんな身体を作ることができるのか俺に教えて欲しいくらいだ。
ひとまず別メニューの説明を蒲田に話そうとしたその時、暗い面持ちの蒲田が重々しく口を開く。
「柏木さん」
そういえば忘れていた。こいつ俺に対してだけ敬語で名前に"さん"付けで呼ぶんだった。俺より野球が上手いチームメイトの上級生がいるのにも関わらず。ちなみに俺は体育会系特有の上下関係というやつが大っ嫌いだ。一年や二年早く生まれただけで、言葉遣いや態度を変えないといけないなんておかしすぎる。だから蒲田に敬語を使われることにはあまり嬉しさを感じなかった。むしろ他の上級生と同じように接して欲しかった。ちょっとぐらい横柄なほうが俺にとっては丁度良い。
「どうした?」
俺が蒲田に聞き返すと、とんでもない一言が返ってきた。
「俺、野球やめたいんす」