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第九話 診療所にて

あらすじ


餌場で蛇に噛まれてしまった毛玉のミーヤ。毒に苦しみ『愛されポイント』で何とかなるかもと思い、ヒューゴ(皇帝陛下)に会いにいつもの泉へと向かいます。倒れているところをヒューゴが見つけてくれて、獣医師の診療所へと連れて来てくれました。




「おやおや、驚いた。皇帝陛下ですか!」


 ヒューゴがドンドンと遠慮なくドアを叩くと、顔見知りの獣医師が驚いた顔をして迎えてくれた。


 獣医師とヒューゴは多少の面識がある。戦場で足を痛めた馬を、何度か診てもらったことがあったのだ。腕も知識も熱意もある、評判の良い人物だ。


「馬がどうかなさいましたか?」


 診療所の前に繋いだ馬に視線を向けながら言う。


「いや……。森の生き物を診てもらいたい」


「森の生き物……? 野生動物ですかね?」


「野生ではあるが……良くわからない」


「はっ? ま、まあお入り下さい。その生き物はどこに?」


 ヒューゴがシャツのボタンを外して、手拭い布を取り出し診察台の上に置く。獣医師が、その壊れものを扱うような手つきに目を丸くする。


(人間よりも、馬への態度の方が余程優しいお方ではあったけれど……)


 目の前の『冷酷皇帝』と呼ばれている人物の様子に、驚きを隠せない。


 皇帝の紋章の入った上等の手拭いの中から、コロンと転がり出る。ミーヤは朦朧とした半覚醒状態で、本能的に診察台から逃げようとした。


「こら! あんなに弱っていたのに無茶をするな!」


 ヒューゴがその大きな手で、そっと受け止める。


 その声を聞き、獣医師の手が一瞬止まった。


(『こら!』って言った。無口で無愛想で、業務連絡と状況説明以外はほぼ口を開かない皇帝陛下が『こら!』って……!)


 以前ヒューゴが馬に話しかけているのを見たことがあったが、衝撃はその時の比ではなかったらしい。


「怪我をしている。傷口があり、その部分が腫れ上がっている」


 ヒューゴの口調が、いつもと変わらないものへと戻る。先程の()()()()らしくない言動に自覚はない。


「傷ですか……。そちらに消毒液がありますから、まずは手を洗って下さいね。陛下の御身も大切ですよ。手に傷はありませんか?」


 獣医師が再起動してまたテキパキと動き出す。彼は権力者の事情に深入りするつもりはない。獣医師という職業と、妻を心から愛しているからだ。


 ヒューゴは「ああ、問題ない」と返事をして、手の中の生きものを獣医師に渡した。チラチラとミーヤを気にしながら、獣医師の指示に従い手を洗う。


「これは……何という動物ですかな?」


 獣医師がミーヤの傷口を診ながら言った。


「俺も知りたいと思っている」


 獣医師は「おや……この花は取れませんね」とか「この背中の翼はいったい……」などと言いながらも、傷口付近の毛を手速く刈ってゆく。


 ミーヤがゆるく、精一杯の抵抗を示す。毛を刈る刃物も、ツンと鼻を刺す消毒液の匂いも、明るい診察台の上も、何もかもが怖かった。それに毛を刈られてしまっては、自分のアイデンティティが怪しくなってしまう。『毛なし玉』ではもはや妖怪じみている。


「傷口が膿んでいますね。この様子だと、蛇に噛まれたのだと思います。どんな蛇に噛まれたかわかりますか?」


 血清の投与には、蛇の種類の特定が必要なのだと獣医師の説明が続く。


「分からん。動けなくなっているところを見つけた。蛇か……。許せんな……」


 ヒューゴの青い瞳がギラリと怒りにゆらめく。獣医師は体感温度が急激に下がるのを感じた。蛇たちの今後が心配になる。森を焼いたりしてしまうのだろうか……。『冷酷皇帝』の数々の噂話を思い出し、喉の渇きを覚える。


「と、とりあえず、傷口を切開して膿を取り除きますね」


 ミーヤがそれを聞き抵抗を強めた。病院で『切る』と言ったら、痛いことをされるに決まっている。

 ジタバタと暴れ、一瞬の隙をついて獣医師の手からすり抜けた。


(痛いのはイヤ! 痛いのはイヤだもん!)


 ミーヤは自分でもこんなチカラが残っていたのかと驚くほど無茶苦茶に跳ねて逃げた。ところが、あとひと跳ねで診察台から逃れられるというところで、目の前が真っ暗になって失速した。


 落ちた先にはヒューゴの手があった。


(へーか、へーか! 助けて! 痛いのはイヤなの!)


 ミーヤは朦朧となりながら、ヒューゴの手にすりすりと頭を(こす)り付けた。鳴き声を持たないミーヤには、それが精一杯の救助要請だったのだ。


 ヒューゴがピキリと固まる。警戒心が強すぎて、今まで手を触れることさえ許してくれなかった毛玉が、自分からこちらへと跳ねて来て、スリスリと甘えるように身を寄せているのだ。


 ヒューゴはずっきゅんっと胸が鳴った気がした。


『いつか、俺の手から菓子を食べてくれるだろうか?』

『そのうち触らせてくれる日が来るだろうか?』


 いつか心を開いてくれたら……いつか懐いてくれたなら……。そんな想いで、せっせと餌付けに精を出していたのだ。


 そんな場合では無いと思いつつも、嬉しくて顔が緩んでしまう。


 ミーヤにしてみれば、痛いことをされそうな獣医師から逃げたいだけなのだが。患畜には余り感謝されない、獣医師とは難儀な職業だ。


「痛く……しないでやってくれぬか」


「は?」


「なるべくで構わぬ。怯えている」


「ええ……ですが……」


 この先の治療を考え、それはなかなか難しい注文だと言葉を途切れさす。


 獣医師は、僕も怯えていますという言葉を呑み込んだ。力及ばずこの毛玉が死んでしまった場合、自分はどうなってしまうのだろうか。妊娠中の妻の顔が、脳裏に浮かんでは消えた。


 獣医師としての全てを賭けて、この毛玉を回復させなければならない。


「では、全身麻酔を施します。暴れないよう、押さえていて下さい」


 準備をしている間、ヒューゴがポツリポツリと毛玉に言葉をかけているのが聞こえて来た。


「大丈夫だから落ち着け。獣医師殿は怖い人ではない。すぐに痛くなくなる。我慢したら、チョコレートをたくさん用意してやろう。早く元気になれ。お前がコロコロ転がるのと、チョンチョン跳ねるのを、俺にまた見せてくれ」


 ミーヤがピクリと反応した。もちろんチョコレートという言葉にだ。ヒューゴはとても良いことを言ってくれているのに。


 現に、獣医師は『チョンチョン』と『コロコロ』が非常に気になりはしたが、素直に感動していた。色々な噂が聞こえては来るけれど、小さな毛玉を思いやる様子はとても微笑ましいものだった。保身のために全力で治療をしようとしていた自分を恥じたくらいだ。


(やっぱりチョコより『愛されポイント』だ! へーか、森へ帰ろう。お医者さん、怖い!)


 ミーヤはヒューゴのシャツの中へ潜り込んだ。断固治療拒否の構えだ。


「余り動くと蛇毒が全身に回ってしまいます」


 獣医師が麻酔の注射を持って、困ったように言った。


「こ……」


 ヒューゴが口元を手で覆い、口ごもる。


「こ……?」


 獣医師がおうむ返しで問いかける。


「このまま……治療を頼む」


 キリリと言い放つが口元がいつになく緩み、声にもニヨニヨとした響きが隠せていない。獣医師は、見てはいけないものを見てしまった気がして、視線を彷徨(さまよ)わせた。


「お召し物が汚れてしまいます」


「構わぬ。ここから出すのは忍びない」


 獣医師は俯いて必死に笑いをこらえ、さようで御座いますかと口の中で呟いた。そして皇帝陛下の超高級シャツの上から、中の毛玉へプスリと注射針を刺した。







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