第四話 毛玉の向かう先
あらすじ
森に棲む正体不明の毛玉であるミーヤは、月に何度か人間の姿になるので、お城で洗濯下女の仕事をしています。建国記念祭の日、人手不足で駆り出された舞踏会場で、自分がかつて『瀬尾美弥』という名前の小学生だったことを思い出します。
嵐のような一日が終わり、下女たちはようやく洗濯場へと戻ることが出来た。みんな一生懸命働いたので、無事に特別手当も貰えるようだ。それだけではない。それぞれの持ち場の顔役たちから、少しばかりのご褒美を渡されたのだ。
「あたしはお客さま方の、お部屋を整える仕事だったよ! おっかない顔をした侍女様と一緒でさあ……。どうなることかと思ったら、面倒見の良い人だったよ」
農家の末娘さんが、鼻の頭を擦りながら言った。末娘さんは化粧が濃いので、夕方になると顔が痒くなるらしい。
「お土産に、匂い袋を貰ったよ! ほら、すごく良い匂いなんだ!」
目を閉じてスンスンと鼻を鳴らすと、春先に咲く大きな白い花の匂いがした。美弥の知っている百合に似た花だ。ミーヤは野生の毛玉なので、鼻の性能も頗る良い。
他の下女たちも、綺麗な模様の端切れ布や小さくなった高級石けん、咲き終わりの花などを貰って、ほくほくと顔を綻ばせた。お城の人には要らないものでも、庶民には嬉しいご褒美になる。
ミーヤは厨房で端の欠けた焼き菓子や、潰れてしまったシュークリーム、スポンジケーキの切れ端を大きな袋にたくさん貰った。厨房の料理長はミーヤのお腹がキュルキュル鳴っているのに気づいていたらしく、すれ違う度にサンドイッチの切れ端を口の中に押し込んでくれたりもした。
すごく良い人だった。ミーヤは心の中で料理長の更なる活躍を祈っておいた。ミーヤはただの毛玉生物なので、ご利益は期待出来ないけれど。
ミーヤがモジモジと菓子入りの袋を差し出すと、下女たちはみんな全力で遠慮した。
「いいよいいよ! あたしらはお菓子だって食べたことがあるんだから! あんたが全部持って帰って食べなよ!」
下女たちは敢えて聞くことはしなかったが、古びた服を着た痩せっぽちなミーヤに事情があることはわかっていた。
「いっしょが、うれしいの」
普段はなかなか口を開くことさえしないミーヤだが、今日は頑張ってたくさん喋ってみた。人間よりも毛玉でいる時間の長いミーヤは、言葉があまり得意ではないのだけれど、人間だった過去を思い出したからか、いつもより舌の動きが良い。
遠慮がちに人のぬくもりを求めているように見えるミーヤに、下女たちは胸が押しつぶされそうになる。
『ひとりぼっちで寂しいんだ……』
『ひどい暮らしを強いられているのかも……』
確かに普段の森での生活は、人間らしい暮らしとは言い難い。けれど、そもそもミーヤは野生生物なのだ。人間らしくなくて当たり前だ。
「そ、そっか! じゃあ、みんなで頂こう!」
元令嬢が令嬢スキルを駆使して、安物の紅茶を三割増しで美味しく淹れてくれた。水飲み場で借りて来たコップを膝に乗せて、みんなで訳ありのスイーツを囲む。
少しずつ大事そうに焼き菓子をカリカリと食べるミーヤに、全員が齧歯類を思い出したのを本人は知らない。
それぞれが、持ち場であった今日の出来事を話した。外国のお姫様の荷物が馬車に三台分もあったとか、お城の廊下が果てしなく広くて掃除が大変だったとか、ダンスを踊りながら男性の足を十四回も踏んでいる貴婦人がいたとか……。
普段は洗濯ばかりしているミーヤたちにとって、可愛いお仕着せを着て華やかな場所で働いた一日は、非日常的でとても楽しかったのだ。
即席のお茶会のあとは、いつもよりも多いお給金をもらって、みんなニコニコと嬉しそうに帰って行った。
下女たちは日持ちのする焼き菓子には手を付けずに、全部ミーヤに持ち帰らせてくれた。それぞれが事情を抱える職場だ。人を気遣う余裕のない者も多い。
それでもミーヤが飢える時間が少なくなるようにと、全員が配慮してくれたのだ。
ミーヤはその晩、寝ぐらの洞窟で『みんな良い人だなぁ』と思いながら、お腹がじんわり温かくなるような気持ちで眠りについた。
ところが……。
それから一週間が過ぎても、ミーヤは人間になることが出来なかった。今までは、きっちり一週間ではないことはあっても、十日を超えることはなかった。
そろそろ、チビチビと食べていた焼き菓子がなくなってしまう。洞窟の外は三日前から激しい雨が降っていて、食べ物を探しに行けない。
(このまま人間になれなくなってしまったら、どうしよう)
考えると怖くてお腹が痛くなった。ミーヤはなるべくお腹が空かないように、嫌なことを考えないようにと、洞窟の隅っこで丸くなって寝てばかりいた。ミーヤは毛玉なので元から丸いのだけれど。
ようやく雨が上がったのは、それから二日後の夕方のことだ。ミーヤは水を飲みに森の奥の泉へと向かった。近くの小川は降り続いた雨ですっかり濁ってしまっていたからだ。
お腹が空いてフラフラだったけれど、鳥に狙われないように背の高い草の下を慎重に進む。
ところが水溜りにはまったり、羽虫に取り囲まれたりしながらやっと辿り着いた泉には先約がいた。とても綺麗で真っ黒な馬を連れた、立派な身なりをした人間だ。ミーヤはその人に見覚えがあった。
(あ……皇帝陛下だ……!)
それはミーヤにとっては二度目、皇帝陛下にとっては初めてとなる、運命的な出逢いとなった。
そうして、物語は冒頭へと戻る。具体的に言うと第一話目の終わり辺りだ。
自分が元人間、元日本人、元小学生女子だったことを思い出したミーヤは、愛されポイントなるものが存在するこの世界を、育成ゲームだと認識するに至る。
だとしたら、たくさんポイントをくれる陛下から、離れるわけにはいかない。最初こそ、何の役にも立たない黄色い花など生やしてしまったが、次は是非ともじっくり考えて、生き抜くために必要なものを生やしたい。
「あ……でもへーかの喜ぶものの方が良いのかな?」
皇帝陛下が喜ぶもの……?
陛下はこのユラユラ揺れる間抜けな頭の花を、とても気に入ってくれた様子だった。『愛らしい』と言っていたのは聞き間違いではないだろう。
おかげでたくさんポイントが入ってありがたい限りではあるが、鼻血を出すのは人としてちょっとどうなのかと思う。
えらい人の考えることは良くわからない。毛玉のミーヤも、小学生の美弥も、貴族や王族などという人種と関わり合いになったことなどないのだ。
わからないことは他にもたくさんある。育成ゲームだとしたら、ストーリーがあるのかどうか。あるとしたら、そのストーリーのなかでの自分の役割は何なのか。
例えば魔王的なものが現れて、陛下と一緒に戦わなければならないとしたら……?
陛下は間違いなく主人公か、それに近い立ち位置の人だ。あんなに格好良くて、最強生物のオーラを放っていて、国で一番えらい人なのだ。モブキャラとは考えにくい。
「闇堕ちして、へーかが魔王になるのかも……!」
どちらのパターンも怖くてたまらない。もしバトル系の育成ゲームだとしても、せめてマスコットキャラの座に落ち着きたい。
そもそもペット育成ゲームだとしたら、そんな壮大なストーリーはない筈だ。小学生女子だった美弥の頃、隙間時間にそういうゲームをやったことがある。いつの間にか飽きてしまって開くことのないアプリが、ミーヤのスマホにはいくつもあった。
(へーかもそんな感じで、すぐに飽きて森に来なくなるかも知れないし……)
先のことはわからない。きっと今は考えても仕方のないことだ。そう、今考えなければいけないのは、陛下が鼻血を出しながらくれた《愛されポイント》を何に使うべきかということだ。
何しろ今のミーヤは、頭に黄色い花を生やしただけの正体不明の毛玉なのだ。不便だと感じることはたくさんある。
捕食者から逃げるための速く走れる足が欲しい。便利に使える手が欲しい。けれどこのまん丸の毛玉にニョッキリと手や足が生えていたら、ちょっと気持ち悪い気がする。
「よし! 決めた! 生やして欲しいものがあります!」
ミーヤは目を閉じて、心の中でそう叫んだ。