第二十三話 没落貴族の食卓
「う、うわぁ……」
『肝試し』って、こういうことか!
ミーヤは前世で何度も行った、テーマパークのホラーハウスを思い出した。時刻は折しも夕暮れ刻。暮れなずむ空を背景に、ヒュー、ドロドロドロという、古典的なBGMが聞こえて来そうだ。
人気がなく、明かりの消えた大きな建物というのは、それだけで薄気味悪く見える。ましてや、この屋敷は人の手が入らなくなって久しい。いくつもの雨水の筋が壁を這い、古びたカーテンが窓を塞いでいる。
「なかなか買い手がつかなくて、荒れてしまって恥ずかしいわ。今はこっちしか使ってないの」
屋敷とは対照的に明るく言いながら、イレーヌが指し示した手の先には、こじんまりとしたログハウス風の小屋があった。窓には温かいオレンジ色の灯りが揺れている。
「庭師の家族が使っていた小屋なの。弟と二人で暮らすには、不便はないのよ」
ミーヤはフルフルと頭を横に振った。
「かわいくて、すごく、すてき」
多人数の小人とお姫様が住む、森の家のようだ。ミーヤの憧れのツリーハウスにも近いものがある。そもそも毛玉の森の住処は寒々とした洞窟なのだ。人工物ならそれだけで文句があろう筈がない。
熱のある赤い顔でニコニコと笑うミーヤの手を、くしゃりと顔を歪めたイレーヌがギュッと握って小屋の戸を開ける。
「姉上、お帰りなさい」
迎えてくれたのは巻き毛の金髪が麗しい、声にわずかに幼さの残る少年だった。
「ただいまヨシュア、お客さまなのよ。洗濯下女仲間のミーヤ」
ミーヤがぺこりと頭を下げると、少年は椅子から立ち上がり『ようこそ、レディ』と貴族の礼をした。
「お、おせわになります」
ミーヤはわたわたと、もう一度深く頭を下げた。今日は『毛玉様』とか『レディ』とか、大層な呼ばれ方をする日だ。
「ミーヤはちょっと具合が悪くて熱があるの。今日は温かいスープを作りましょうね」
「はい、姉上」
ヨシュア少年は、イレーヌによく似た穏やかな笑みを浮かべてキッチンへと向かった。
イレーヌはミーヤを客間へと連れて行き、パリッと清潔なシーツの掛かったベッドへ寝かせてくれた。
「わたくしは庭で野菜や薬草を収穫してくるわね。ミーヤは夕食が出来るまで、良い子で寝ていてね」
毛布を首元まで上げて、ポンポンとお腹の辺りを叩く。元々面倒見の良いイレーヌだが、いかにも『お姉さん』といった世話焼き具合に、ミーヤは毛布を鼻の上まで上げてこっくりと頷いた。目元が赤く染まっているのは、発熱によるものだけではない。
パタンと品よく扉が閉まると、ミーヤはフウッと大きく息を吐き出した。
隠す素振りもないイレーヌの肩書きは『元男爵令嬢』。事情があって没落してしまった元貴族だ。
その事情がどんなものなのか、ミーヤは知らない。こんなにも寂れたお屋敷に、姉弟たった二人で住んでいるのだ。気軽にホイホイと聞けるようなものではない。
しばらく目を閉じていると、またトロトロと眠気が来た。その眠気に飲み込まれる前に、ドアが控え目にノックされた。
「ふぇ、うはい!」
ミーヤは飛び起きて返事をした。今生ではノックされるのもそれに返事をするのも初めてだ。洞窟にはドアがないし、森の生き物はノックしない。
寝ぼけ眼を擦りながは、ドキドキしてワクワクして待った。
ちなみに洗濯部屋では、扉は常に開け放たれている。閉じると湿気が籠るからだ。
「ミーヤ、起きてる? 夕食の用意が出来たの。食べられそう?」
ドアを細く開けたイレーヌが心配そうに顔を見せた。
少し休んだことで、身体はずいぶんと楽になった。ミーヤはコクコクと何度も頷いて、そそくさとベッドを降りた。
キッチンのテーブルの上には湯気を上げたスープ鍋があり、野菜のこっくりと煮えた良い匂いがする。
「根菜のスープと、夏野菜入りの薄パンよ。無理しなくて良いから、食べられるだけ食べてね」
『こっちは全部飲まなくてはダメよ』と差し出されたのは、どうやら薬草茶らしい。
「わぁ、ご馳走……!」
キラキラと目を輝かせるミーヤに、弟のヨシュアが得意そうに言った。
「スープはぼくが作りました。この野菜も、エレンさんに手伝ってもらって種から育てたんですよ。栄養たっぷりだから、きっとすぐに元気になります」
「エレンも……ヨシュアもすごい」
意外なところで農家の末娘さん、エレンの名前が出て来てミーヤの目が丸くなる。馴染みである第一次産業の担い手は、こんなところにまで伸びている。
根菜を細かく刻んで作ったスープはトロ味があって、口に含むと野菜の優しい甘さが、昨夜の冷たい地面の感触を洗い流してくれた。
ミーヤはモリモリと力が湧いて来るのを感じた。
すっかり満腹になって、二杯目の薬草茶をフウフウと吹きながら飲んでいると、ヨシュアがふと思い出したように言った。
「姉上、父上の話を聞きましたか?」
「……ええ。あの人は、罪を償うことから逃げ出したようね……」
突然、込み入った話がはじまってしまった。ミーヤは咄嗟に『薬草茶に夢中です。全然聞いてません』モードを発動した。このモードは妹尾美弥だった頃に、時々発動せざるを得ない場面があった。
大人たちは子供の前で、案外不用意に『大人の話』をはじめることがあったのだ。
「屋敷に帰って来るのでしょうか?」
「それはないわ。ここにあの人が惜しいと思う物なんて、何ひとつ残されていないもの」
イレーヌの言葉に、わずかにピクリと肩が揺れてしまう。この屋敷に残されたもの……。その中にイレーヌやヨシュアは含まれているのだろうか。
ミーヤは飲み干した薬草茶のカップを持ったまま、タヌキ寝入りを決め込んだ。この話は、イレーヌかヨシュアがミーヤの目を見て話してくれるまで、知らないふりをすべきだと思ったからだ。
「陛下の御沙汰は確かに我が家には致命的だったけれど、正しいことだとわかっているわね?」
「はい……。ぼくらを連座で罰しなかっただけで、充分な温情だと理解しています」
ヒューゴの尊称が出て来て、ミーヤの肩がまたピクリと揺れる。イレーヌたちの困窮に、ヒューゴが関係しているのだろうか。
心臓の音がドクンと大きく跳ねる。同時に顔に熱が集まるのを感じた。
「……ミーヤ、顔が赤いわ」
イレーヌがフラフラと揺れるミーヤに気付き、額に手を当てる。
「熱が上がってるわね。もうベッドに入った方が良いわ」
「うん。すごく、おいしかった。おやすみなさい」
ミーヤは椅子から立ち上がると、ペコリと頭を下げて客間へと引き上げた。
「父上は、この国に仇成すつもりなのでしょうか」
ドアを閉める瞬間、ヨシュアの途方に暮れたような声が聞こえた。
おそらく、イレーヌたちとヒューゴの利害は相反している。話の内容から察するに、二人の父親はヒューゴに断罪され、その罪を償わずに逃げ出したのだ。
ミーヤはヒューゴの仕事が国を治めることだということは理解しているのだけれど、具体的に何をどうしているのかは、さっぱりわかっていない。
ミーヤは、ぶり返した熱でまた重くなった身体をポスンとベッドへと投げ出した。
もう少し情報が欲しい。イレーヌの父親はどんな罪を犯したのだろう。ヒューゴは二人の窮状を知っているのだろうか。
けれど、知ったところで自分に何が出来るというのか。
ミーヤは洗濯下女で、皇帝陛下のペットの毛玉なのだ。
その晩、キッチンの灯りは遅くまで消えることはなく、ゆらゆらと揺れていた。
連続投稿、ここまでです笑 また頑張って書きます。気長にお待ちください!




