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第二話 洗濯下女ミーヤ

 森で最弱の毛玉であるミーヤが今まで生き延びることが出来たのは、ひとえに週に一度のペースで人間の姿になれるからだ。手や足の生えている人間は、毛玉のミーヤに比べると驚くほど色々なことが出来る。


 ミーヤは初めて人間の姿になった時、迷わず森の入り口にある人間のゴミ捨て場へと向かった。


 ゴミ捨て場ではいつも、使えそうな物を探す。生まれた時から毛玉だったミーヤだが、何故かそのゴミが元々はどんな物だったのかを知っていた。


 水を汲んで溜めておける入れ物、寝床に使えそうなボロ布、人間の姿で着られる比較的状態の良い古着、歯の欠けた(くし)。ミーヤはそれらを集めて、せっせと住処(すみか)の洞窟へと運んだ。


 そうしてゴミの中から古びた裁縫セットを見つけた時、ミーヤは人間の住む街へと行ってみることを決めた。


 (つくろ)った古着を着て欠けた櫛で髪を整えたミーヤは、ギリギリ町娘に見えないこともない。何度か街へと足を運ぶうちに、あまりの人手不足から週に一度だけでも雇ってくれる、城の洗濯下女の仕事にありつくことが出来た。


 そのことはミーヤの今までの毛玉生の中で、一番の幸運だったと言える。


 日雇いの洗濯下女の仕事はキツイけれど、洗い桶を囲いながら他の下女たちのおしゃべりを聞くのは楽しかった。

 それは旦那や姑の愚痴だったり、安くて美味しいパン屋の情報だったり、イケメン騎士の火遊びの話だったりと、森の毛玉でしかないミーヤには、人間の暮らしを知る上で興味深いものばかりだった。


 中でも城で一番えらい人……皇帝陛下の話はとびきり刺激的で浮世離れしていた。


「陛下はいつ見ても(しか)めっ面をしているねぇ。戦場で敵を切り捨てる時しか笑わないって話だよ!」


 顰めっ面でも滅法良い男だけどねぇと、週に三回洗濯に来ている乾物屋のおかみさんが言った。子供が大きくなり手が離れたので下女の仕事をはじめたのだそうだ。


「西国の美しいお姫様がお見合いにいらした時も、ピクリとも表情を変えなかったんですって。そろそろお世継ぎのことを考えないといけないお年頃なのに……」


 元は男爵家のご令嬢だったらしい娘さんが、品の良い眉を寄せながら言う。家が没落して洗濯下女の仕事をしている割に、いつも楽しそうな変わった人だ。


「陛下の機嫌が悪いのは、戦争が終わってしまって人を切る機会がなくなったからだって聞いたよ。そもそも皇帝になったのだって、身内を皆殺しにしたからなんだろう?」


 そばかすを気にしているせいか、やたらと化粧の濃い農家の末娘さんが声をひそめて言った。彼女は文字が読めるのでなかなかの情報通だ。


(そんなこわい人がいる場所ではたらいてて、大丈夫かな……)


 何か言い掛かりをつけられて、遊びの延長で殺されてしまったりしないだろうか?


 自分の人間としての能力と運に少しの自信もないミーヤは、この職場が怖くなった。洗濯板を握る手がガクガクと震える。それを見て、下女たちが一斉に吹き出した。


「ミーヤったら! 私たちみたいな下っ端が、陛下に関わることはないから大丈夫ですわ。私なんか三年も洗濯下女の仕事をしているけれど、陛下の後ろ姿しか見たことがないもの!」


 元令嬢がミーヤの震える小さな背中を、ポンポンと叩いてくれた。洗濯場は城の中にあって、最も権力から遠い場所だ。少しでも地位のある人は、こんな場所に足を運んだりしない。

 だからこそ洗濯下女たちは、お偉いさんに聞かれたら『不敬であるぞ!』とか何とか怒鳴られそうな噂話に、花を咲かせることが出来るのだ。


 この中で唯一陛下の顔を拝んだことがあるのは、乾物屋のおかみさんだけ。街の外へと続く街道沿いに店があるので、陛下のお出かけの際には顔を見る機会があるらしい。


「背筋がゾクゾクするほどの色男だよ。でもちいっとばかし人間味が足りないねぇ。幸せとは縁遠い男さね」


 ミーヤにはそれがどういう感じなのか、さっぱり想像が出来なかった。なんせ毛玉なので『人間味』と言われてもピンと来なくて当たり前だ。

 きっとおかみさんは、女としても人間としてもとても経験値が高いのだ。ミーヤもあのくらい貫禄が出たら、色々とわかるようになるのだろうか? 森では長く生きるということは、強いと同じ意味だ。


 ミーヤ以外の若い下女たちは、みんなうっとりと頬を染めておかみさんの話を聞いていた。訳アリで危険な匂いのする男は、(くちばし)の黄色い小娘にこそ甘い毒を振り撒く。


 ミーヤは小娘ではなく子毛玉だし、黄色いクチバシも持っていないので、うっとりすることも頬を染めることもない。


(いくら良い顔を見ても、お腹はいっぱいにならないからなぁ……)


 弱肉強食の森で、最弱の毛玉として生き残ることに苦労しているミーヤは、ときめきよりも満腹と安眠こそを求めていたのだ。



 そんな雲上の人である皇帝陛下の顔を見る機会が、それからしばらくしてやって来た。




   * * *



 建国記念祭。


 今年は建国四百年目の大きな節目にあたる年で、夏至(げし)に行われる毎年のお祭りとは比べものにならない盛大な催しとなる。


 そのため城で働く者は、舞踏会場で行われるパーティーの準備や他国からの賓客の宿泊のアレコレで大忙しとなった。侍女の数も女中の数も足りなくなって、普段は洗濯場と干し場を行き来するだけのミーヤたちも、急遽あちこちの応援に駆り出されることになった。


 女中用のお仕着せが支給されて全員が歓声を上げる。下女に支給されるのは簡素なエプロンだけだ。


 白い丸襟のブラウスに、紺色のパフスリーブのワンピース。フリルのついたエプロンは真っ白で、太い紐を背中で結ぶとリボンがふわりと揺れた。髪の毛を元男爵令嬢にまとめてもらって、頭にホワイトブリムを着ける。


 ミーヤは基本的には、森のゴミ捨て場で拾った古着を繕ったり、解いて縫い直したりして着ている。週に一度の洗濯下女の日給では、食べる物を買うのにも事欠く。お洒落のことなど考えたこともない。ミーヤの目標は、常に生き抜くことだったのだ。


 けれど、膝丈のスカートがヒラヒラと(ひるがえ)るのは、思っていたよりもずっと素敵なことだった。


「へぇぇミーヤ、あんた可愛いじゃない! 普段は小汚……地味だから気づかなかったけど!」


「うんうん! お仕着せ、ちょっとサイズが大きいみたいだけど似合うよ!」


 こんなに褒められたのも、髪を結ってもらったのも初めてだ。ミーヤは嬉しくて、ペタペタとお仕着せと頭を触った。チョイチョイとお尻を振ると、スカートの裾と背中のリボンがゆらゆら揺れる。顔を赤くして飽きもせずにリボンを揺らしているミーヤを、下女一同がほっこりと見つめた。


 心配になるほど小さく痩せていて無口なこの少女のことを、ミーヤが思うよりも下女たちは気にかけていた。


「ほらほら! あたしらは仕事に行くんだ。はしゃぐのは後にしな! 今日はお偉いさんの目と耳があるんだから、お喋りも禁止だよ!」


 乾物屋のおかみさんの一声で、ミーヤたちは全員が背筋をピンと伸ばした。






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