第十七話 洗濯下女のお仕事
正式契約が成立したらしいミーヤとヒューゴ。
特別サービスで人間の姿になってしまったミーヤは、ヒューゴの部屋を抜け出します。
なんとか洗濯場までたどり着いた、そのあとからのお話です。
ミーヤが人間の姿になってヒューゴの部屋から逃げ出したその晩。
心配した女将さんがミーヤを離さなかったので、お宅に泊めてもらうことになった。毛玉の時はあれほど森に帰りたかったミーヤだが、人間の姿になったら、その気持ちは少し落ち着いたようだ。
帰巣本能が毛玉の時に強く出ることは、そう不思議ではない。それに毛玉の姿に戻るには、愛されポイントを消費する。せっかく『特別措置』とやらでポイント無料で人間の姿になれたのだ。
(買い出しもしたいし、繕い物もあるし、それに……!)
ミーヤにはやりたいことも、やらなければならないことも、楽しみにしていたこともある。
(毛玉用のツリーハウスを作りたい!)
そのためには、明日は洗濯下女の仕事をして、日払いのお給料をもらわなくてはならない。若干人見知りのミーヤだが、日が暮れてから人間の姿で森へと帰るリスクも考えて、女将さんの好意に甘えることにした。
女将さんの家である乾物屋兼自宅は、狭くて物がたくさんあって、大きな声で話す人たちばかりなのでとても賑やかだった。
子供たちは全員ミーヤより年上で、突然の客にも嫌な顔をせず、けれど構い過ぎもせずにいてくれた。ミーヤは食卓の端っこの席で、異国風味の家庭料理をお腹いっぱい食べて、女将さんと一緒のベッドで眠った。
ミーヤが寝ぼけて『おかあさん……』と寝言を言ったのを聞いて、女将さんが咽び泣いていたことをミーヤは知らない。
翌朝は嫁に行った娘さんのお古のワンピースを着て、ヒョロリと背の高い次男坊のエスコートで城へと出勤した。久しぶりの洗濯下女の仕事なので、ミーヤはやる気満々だった。
裏庭の干し場で、真っ白に洗い上がったシーツの両端を、元令嬢と片方ずつ持ってパンッと皺を伸ばす。
この時に息が合わないと良い音が出ない。『パンッ!』と改心の音が鳴ると、思わずふふふと笑い声が漏れるほど気持ちがいい。
背の小さなミーヤは、掛け声と共にジャンプする。精一杯両腕を伸ばしてシーツの端をギュッと握って、元令嬢の掛け声を待つ。
「行くわよ! せぇーの!」
パンッ!
小気味良い音と共に細かい水滴が散り、陽の光を反射してキラキラと光る。今日は天気が良いので小さな虹が出来た。
ミーヤはこの作業が大好きだ。
洗濯下女の仕事は、山のように運び込まれた汚れ物の仕分けからはじまる。
素材、汚れの種類、汚れの程度によって細かく仕分けする。数種類の浸け置き、すぐに洗わなければいけないもの、染み抜き作業が必要なもの……。
刺繍の入った貴婦人の下着やハンカチ、シルクのシャツやスカーフは特別な洗濯液で繊細な揉み洗いを行う。
食べ物の油汚れが多いテーブルクロスなどは、重曹を溶いたお湯に浸け置きしてから、丁寧につまみ洗いだ。
口紅やインクなどの染料の汚れは、濡らさずに専用のオイルをつけた布でトントンと叩いて染み抜きをする。騎士や兵士の制服に多い血液汚れには、根野菜のすり下ろし汁を使う。
染み抜きはひたすらに根気と、諦めない根性を必要とする作業だ。ミーヤは染み抜きが得意だ。
『こりゃ、落ちないんじゃないかい?』と女将さんが呆れる頑固な染みも、辛抱強くトントンと叩く。汚れが広がらないように当て布を変えながら、夢中になってトントンする。
じゃぶじゃぶと濯いで、無事に染みが取れた洗濯物を広げた時には、清々しい達成感が胸いっぱいに広がる。
汚れの少ないものや普段使いのシーツ、従業員用の制服などは洗濯液を溶いた水を張った大きなタライにポンポンと放り込まれる。
ゴシゴシと擦れば良いだけの洗濯は、下女たちにとっては気の置けない作業だ。冬以外の季節には、洗濯桶に入って踏み洗いもする。
この踏み洗いの時に、下女たちは時折り歌をうたう。作業歌がいくつかあるし、即興で歌うこともある。
スカートをたくし上げて歌いながら、踊るように足を踏む。一番歌の上手いのは女将さんだ。少しハスキーな声が、ソウルフルで迫力がある。即興歌はちょっと愚痴っぽい。
農家の末娘さんは非常に足腰が強いので、踏み洗いの時は大活躍だ。踵を使ってタンタンとタライの底を叩くようにリズムを刻む。乗って来るとみんなで手拍子を交えて盛り上がったりもする。楽しい職場だ。
洗濯下女は、城の中の仕事でありながら人気がない。汚れ物を扱う、洗濯場は冷える、手が荒れる、腰が痛くなるとなれば、それも無理はない。華やかさとは無縁だし、最底辺だとバカにされたりもする。
けれどミーヤはこの仕事が気に入っているし、下女仲間がとても好きだ。
* * *
「ねぇねぇ! お城で大事件が起きたらしいよ!」
ミーヤたちが午前中の仕事を終えて、裏庭で賄いのランチを食べていると、好奇心が旺盛でコミュ強な農家の末娘さんが調理場で情報を仕入れて来た。
「昨日、皇帝陛下が襲撃されたんだって!」
「ええ? 大丈夫なのかい?」
「陛下はご無事だったらしいけど、まだ騎士や護衛たちが、城内を走り回ってんだってさ!」
「襲撃者が、まだ城内に潜伏しているのかしら?」
「物騒な話だねぇ。あんたたち、一旦洗濯場に戻りな! あたしは女中頭様に指示を仰いで来るよ。ここだって城内には違いないからね」
女将さんが賄いのパンを、三口で全部を口に入れ走って行った。
(へーか……大丈夫かな? ……大丈夫だよね……? どうしよう……)
ミーヤはズクリと、胸の奥の方が重苦しくなった。
どうしようも何もない。毛玉のミーヤも、洗濯下女のミーヤも、天下の皇帝陛下のために出来ることなど何もない。
そもそもミーヤは、この世界に毛玉として生まれてきてこの方、自分よりも大丈夫ではない存在には会ったことがない。常に自分が『あまり大丈夫ではない』状態だったのだ。他人の心配などしている場合ではなかった。
洗濯場へと戻っても、ミーヤは何だか落ち着かない気持ちを持て余してしまい、賄いのパンを持ったまま、部屋の中をウロウロと歩き回った。
「ミーヤどうしたの? 食べながら歩いたら、ちょっとお行儀が悪いわよ?」
元令嬢に嗜められて、ストンと隣に腰掛ける。パクリと口にパンを入れても、少しも唾液が出て来ない。無理やり飲み込んだら、喉の奥にくっついて動かなくなった。
涙目になり、慌てて水で流し込んでいると女将さんが帰って来た。
「どうやら城が慌しいのは、陛下の襲撃とは別件らしいよ。でも、危険があるかも知れないから、今日はもう帰って良いってさ」
日給は一日分もらえるとあって、下女たちは大喜びで帰り支度をはじめた。
「ミーヤ、今日も良かったらうちへおいで。うちの家族はみんな無神経だけど、その分細かいことは気にしないからね。あんた一人分の食い扶持なんぞ高が知れたもんだ」
ミーヤは嬉しくなってコクコクと頷いた。
でも。
「ありがとう。きょうは、かえります」
ミーヤはゆっくり、ひとつひとつの言葉を丁寧に口にした。今回は毛玉でいた時間が長かったために、なかなか上手く舌が動かないのだ。
その様子は見る者の目に、あたかも深い事情を抱えて必死に耐えているように映った。
女将さんはグッと喉が鳴るのを堪えて、殊更に朗らかに言った。
「そうかい? でも、また遊びにおいで。なんなら、うちの子になっちまいなよ! いつでも大歓迎さね!」
ミーヤはポッと頬を赤くして、またコクコクと頷いた。
帰り支度を終えていた下女たちは、順番にミーヤをギュッと抱きしめてから帰って行った。中には小さな飴玉や小銭を握らせてくれる者もあった。
ミーヤは『あれ? なんで?』と疑問には思ったが、有り難く頂くことにした。もらえるものは、病気以外は何でももらう主義だ。
ミーヤは洗濯部屋を出ると城門へは向かわずに、裏庭を更に奥へと進んだ。人気のない場所まで来ると背中の翼を出して、パタパタと城壁の上へと上がった。
遠くからでも、ヒューゴの様子を確認しようと思ったのだ。
読んで頂きありがとうございます。
次話では、人間姿のミーヤとヒューゴのニアミスがあるみたいですよ!
少しでも楽しんで頂けると幸いです。




