第十一話 名付け
蛇に噛まれて入院していた毛玉のミーヤ。退院してヒューゴと一緒にお城に住むことになった初日。ヒューゴが執務室で、毛玉の名付けに悩んでいる……。
そんな一コマのお話です。
「頭の花からして、女の子……なのか?」
静まり返った執務室に、ヒューゴの独り言が響いた。補佐官のニコルがピクリと反応して顔を上げると、もう一人の補佐官である同僚が、信じられないものを見たという表情を浮かべていた。
ニコルは、おそらく自分も同じような顔をしているのだろうなと思いながら、ヒューゴのいつも通りの顰めっ面をこっそりと眺めた。『女の子』という可愛らしい言い方との違和感が半端ない。
『今の聞いた?』
『ああ、陛下が女性に関する考え事をされている……』
表面上、二人は目を合わせて頷き合っただけだ。だが心の声は通じていた。ニコルも同僚も無口なヒューゴと仕事をするうちに、視線と表情を読んで察するスキルが飛躍的に向上した。
(髪に花を挿した女性……)
城にいる女性といえば、環境を整える『侍女』、文官である『女官』、雑用をこなす『女中』と『下女』がいる。他にも厨房にも女性はいるし、最近は騎士や兵士にもチラホラと女性が採用されるようになった。
だが、頭に花を飾っているとなると、城で働く女性ではなさそうだ。社交の場なら造花や生花で髪を飾ることもあるだろうが……。
『陛下が女性に関心を示すのは初めてじゃないか?』
『そういえばここ数日、休憩時間になると何処かに出かけておられた……』
メモ帳に走り書きで会話する。この職場は彼岸のごとく静かなので雑談向きではない。
(もしかして……女性の元へ通っておられるのか!)
皇帝陛下のプライベートな時間の使い方など、ニコルは今の今まで考えたこともなかった。そもそも独り言から個人的な行動が漏れてしまうなど、あの隙のない上司からは考えられないことだ。
意図せずに、カリスマの塊のような男の油断を見せられて対処に困る。
興味がないといったら嘘になる。だが、なぜ疑問系なのだろう。女性かどうか、判断がつかないということか?
ヒューゴが帝国内の身分の高い令嬢や、隣国の美姫との縁談にも、露ほどの関心すら示さなかったことは、城で働く誰もが知ることだ。
思い当たるとしたら、先日の建国記念祭の舞踏会だろうか? だが、あの日皇帝がどこぞの令嬢とダンスを踊ったという話は、とんと聞こえて来なかった。
舞踏会場からは、挨拶だけ済ませて早々に退場してしまったらしく、ニコルは食堂で相席になった侍女頭に『せっかく飾り立てたのに……』という愚痴を延々と聞かされたものだ。
ここで気安い職場ならば『誰か気になる女性でもいるんすか〜? 陛下も隅に置けないっすねぇ!』などと軽口を叩くお調子者の一人もいるものだが、ここは皇帝の執務室。
ニコル自身も実務能力にはそれなりの自負を持つが、道化を演じるような器用さは持ち合わせていない。
(そんな勇気もないし、皇帝陛下のプライベートなんて、知るのもなんか怖いよなぁ……)
ニコルは凝りをほぐすように首を左右に倒して、下世話な詮索を頭から追い出した。
(さっ、仕事仕事!)
給料も良く、やり甲斐も緊張感もある職場を存外ニコルは気に入っている。
ところが、ニコルが書類へと視線を戻す一瞬の隙をヒューゴの視線が捉えた。高温ゆえに冴えた焔のような青い瞳に射抜かれる。
「君は……確か妻帯者だったな……」
意外が過ぎる質問が来た。これはもしや恋バナの流れか……!
「は、はい! 妻と生後八ヶ月の娘がおります!」
思わず聞かれていないことまで答えてしまった。もし万が一にでも、自分に恋愛相談などされてしまった時のことを考えて緊張してしまったのだ。
「うむ……。娘御の名は?」
「えっ? あ、はい! ニナといいます!」
「ニナか。良い名だ」
「あ……ありがとうございます」
ニコルが皇帝直属の補佐官として勤務し、もうすぐ二年になる。ヒューゴに仕事以外の質問をされたのは初めてだ。
「娘御の名付けは誰が?」
「はっ? えっと、妻と相談して……」
「“ニナ”は朝露の妖精の名だったか……?」
「はい。朝方に生まれた子なので」
「なるほど、興味深いな。女の子に妖精や女神の名前をつける……良い考えだ」
ヒューゴは『うむ……』と呟いたきり、思案顔で黙り込んだ。
しばらくして、おもむろに顔を上げて口を開く。
「“ミーアリーヤ?”ではどうだろう?」
「名前に……で御座いますか? ミーアリーヤ……響きは良ろしいかと……」
恋愛相談……ではない? 恋バナを通り越して、子供の名付で悩んでおられる……? えっ、もう生まれちゃってるの?!
(陛下に、か……隠し子が?!)
執務室の扉付近に立っていた護衛のうちの一人が、表情を変えずに軽く頭を下げて部屋を出て行った。おそらく皇帝陛下専属の、秘書官や従者に報告に向かったのだろう。場合によっては諜報部が動くかも知れない。
護衛の動揺を表に出さない態度は、さすがとしか言いようがない。
(ところで……ミーアリーヤ……なんだっただろう。女神の名前ではないし、星の名前か、花の名前か……?)
ニコルが必死に記憶を手繰っていると、同僚が助け舟を出してくれた。
「陛下、ミーアリーヤという花は別名が“貧乏花”で御座います。名付けには若干相応しくないかと……」
彼は山歩きが趣味なので、野草にも詳しい。
(ミーアリーヤ、花の名前なのか! あの、道端に咲いているポヨポヨした雑草か? あんなの頭に飾ってるの?)
「そのような別名があるのか? なかなか可愛らしい花だと思っていたが……」
「いえ! 私も素朴で可愛らしい花だと思います!」
「うむ……。ミーアリーヤ……ミーア……ミーヤ……」
もちろん、ヒューゴは周囲の誤解や思惑などどこ吹く風で、毛玉の名前を考えているだけだ。響きの良い可愛らしい名前が、ことの他気に入ったようだ。
諜報部のある調査員は、時を置かずにヒューゴが獣医師の診療所に通い詰めていたことを突き止める。
そして獣医師との禁断の関係について調べが進んだり、獣医師の妻が妊娠中であることから複雑な三角関係が想定されたりもした。
だが、そのことがヒューゴの耳に入ることも、獣医師夫妻の生活に波風が立つこともなかったのは、ひとえにその調査員が有能だったゆえのこと。
城に戻った調査員は、ヒューゴの私室で豪華な房飾りの付いたクッションの上でピスピスと鼻を鳴らして昼寝する毛玉を見つけた。
その頭には報告にあった、民草の間では『貧乏花』と呼ばれている『ミーアリーヤ』の花が、呼吸に合わせてゆらゆらと揺れていた。
調査員はガックリと膝を突き……しばらくすると何事もなかったように立ち上がり、城のどこへともなく消えて行った。
ヒューゴは毛玉の名前を頭で揺れる花『ミーアリーヤ』に決め、縮めて『ミーヤ』と呼ぶことになる。
それは偶然なのか、それとも世界の理が求めた必然なのか……、はたまた運命の悪戯だとでもいうべきか。
いや……。
低予算のゲームならではの……又は頭の回らない作者の『ご都合主義』なのかも知れない。
次話はミーヤに視点を変えてみますね。
少しでも楽しんで頂けると幸いです!




