第十話 退院
《タイプAノーマル型毛玉 固有名『ミーヤ』。保有愛されポイント300億。保有ポイントを全て消費して、ヒューマンモデルへの進化が可能です。ただし『愛されポイント』の種類に相違が見られるため、ヒューマンモデルを維持出来る時間は僅かとなります。愛されポイントを使いますか?》
『はい/いいえ』
それがミーヤへの、最初のアナウンスだった。
生まれたばかりでまだ自我の覚束ない子毛玉の頃の話だ。
ミーヤは『はい』を選んだ。それがミーヤの意志による選択だったのか……今となってはわからない。何しろミーヤはそのアナウンス自体を憶えていない。
ミーヤが毛玉として生まれながらに保有していた、膨大な『愛されポイント』は、妹尾美弥が十歳までに家族からもらったものだ。
美弥が理の境界線を超えて毛玉のミーヤとして生まれた際、何故そのポイントはリセットされなかったのだろう。そもそも現実の地球には、そんなポイントなど存在しなかった筈なのに。
ともかくミーヤは、ほぼ生まれたばかりの子毛玉の頃から、一ヶ月のうちにほんの数日ではあるが、人間の姿を手に入れた。これが絶妙に、功を奏した。
中身は十歳だが、人間のミーヤは十四・五歳の少女の姿だったのだ。中身通りの十歳だったなら、森で生き残れたか微妙なところだ。乳児の姿であったなら即詰んでいただろう。
ミーヤはその当時、まだ前世のことは思い出してはいなかったが『時々少女の姿になる、思考回路は十歳の毛玉』という非常にアンバランスな存在で、森でガチサバイバル生活を余儀なくされることとなった。
まさにハードモード異世界転生である。だがミーヤは前世の記憶が戻った今も、自分は毛玉だと認識している。あくまで毛玉が本体なのだ。そう考えると、野生動物が生存競争を逞しく生きてゆくのは、当たり前の話なのかも知れない。
人間の姿の時に洗濯下女として働くのは、感覚としては、子狐が手だけ人間になって町に手袋を買いに行っているようなものだ。毛玉として生きてゆくことが大前提で、不足を補うために人間に化ている。
そんな心持ちなのだ。
だから人間の街に住もうとか、完全に人間になれたら良いのになどとはあまり考えていない。ミーヤの目標はあくまで、生き延びて早く大毛玉になり、仲間がいる毛玉パラダイスを探しに旅立つことだ。
さて、蛇に噛まれて毒をその身に受けてしまったミーヤ。ヒューゴに獣医師の診療所へと連れて行ってもらい、何とか生を繋ぐことができた。
現在入院一週間目である。
ヒューゴは日に何度も様子を見に来てくれた。ミーヤは『皇帝陛下って、案外ヒマなんだな』などと思っているのだが、そんなことはない。食事や睡眠時間を削って執務を片付けて、短い休憩時間を使い診療所を訪れているのだ。
日に日に目の下の隈が濃くなってゆくヒューゴに、見かねた獣医師が言った。
「熱も下がりましたし、傷口も綺麗です。連れて帰って大丈夫ですよ」
ミーヤはケージの中で獣医師の言葉を聞いて飛び起きた。チョンチョンとケージの中を跳ね回る。一時は潰れたパンケーキのようにヘタってしまったが、今は何とか毛玉状態まで持ち直している。食欲も戻って来て、跳ねることもできるようになった。
(やった! 森へ帰れる!)
治療中はツライことばかりだった。
苦い薬を飲まされるし、注射は痛いし、傷口の周りの毛を刈られて大きなハゲは出来るし……。
なんとか乗り切ることが出来たのは、他ならぬヒューゴのおかげだった。
苦い薬を飲んだあとには甘い小さな飴を口に入れて『よく我慢したな』と褒めてくれる。注射の前にはちゃんと効能の説明をしてくれて(獣医師は生暖かい目で見ていた)、終わればヨシヨシと撫でてくれる。
ケージの中にはフワフワの綺麗な色の布を敷いてくれたし、容体が落ち着いてからは、ケージごと散歩に連れ出してくれたりもした。まさに至れり尽くせりだ。
ミーヤは具合が悪くて気が弱くなっていたし、ケージに閉じ込められて心細かった。その状況で、この甘やかしは効果抜群だった。
『へーかの好感度を上げなくちゃ!』などと画策していたミーヤなのに、まんまと自分のヒューゴに対する好感度が上がってしまったのだ。
「陛下、この生物は新種の可能性が非常に高いのです。翼を持っているのに鳥ではないし、既存のどの生物にも分類出来ない」
退院の許可が出て、いそいそとケージを片付けはじめたヒューゴに、獣医師が興奮した様子で言った。
獣医師はミーヤにとっても、非常に興味深いことを言っていた。
翼は『愛されポイント』で生やしてもらったものなので、自分が鳥ではないことはよくわかっている。だが、獣医師の言葉は、この世界でも『愛されポイント』をもらって姿を変える生き物が、当たり前ではないことを示しているのではないだろうか?
(育成されるのはわたしだけ? それとも、へーかが特別で、そういう力を持っているの?)
ヒューゴが特別と言われれば、なるほどと思う。なんせ恐ろしい噂の絶えない、訳アリっぽいイケメン皇帝陛下なのだ。ゲームや物語になりそうな事情を二、三個抱えていても何ら不思議ではない。
「治療のついでに、少し検査をさせて頂いてもよろしいですか?」
獣医師がワクワクした様子で言った。
既にミーヤは血を抜かれたり、口の粘膜を採取されたり、頭の花を調べたりされている。それだけでも痛くて不快だったのに、この上何をされるか考えると途端に怖くなる。
(か、解剖されちゃう! せんせい嫌い! へーか助けて!)
ミーヤは獣医師の手をすり抜けて、ヒューゴのシャツの中にポスンと隠れる。マッドなサイエンティスト臭のする獣医師と、風邪を引いた時の前世の母親よりも甘やかしてくれるヒューゴでは比べるべくもない。
「医師殿、世話になった。だが、検査は必要ない。元気に跳ねている。それだけで充分ではないか。新種だろうが絶滅危惧種だろうが、それは人間の都合であって、毛玉本人には意味のないことだ」
ヒューゴがシャツの胸元から顔を出し、プイプイと獣医師を威嚇するミーヤをヨシヨシと宥めながら言った。
無口なヒューゴの長台詞である。為政者のカリスマをたっぷりと乗せた、甘いバリトンで吐き出される説得力のある言葉だ。
ちなみにヒューゴは、いつでもミーヤが飛び込めるように、診療所を訪れる時はシャツのボタンを大きく開いている。どうやらミーヤがシャツに飛び込む一連の流れが、非常に気に入ったらしい。
「頭の花が気にならないんですか?」
獣医師が食い下がる。
「とても似合っていると思うが?」
なぜかドヤ顔のヒューゴ。
「己や周囲に危険が及ぶ花ではないのだろう? ならば問題はない。可愛らしいだけだ」
論点が微妙に噛み合わなくなり、獣医師がため息を吐いた。
「わかりました……。ですが、もう少し傷の経過を見たいので、週末にでも往診に伺いますね。お城でよろしいですか?」
「ああ。門番に話を通しておく。私の私室は東宮だ」
頷くヒューゴを見て、ミーヤが金色の目を大きくする。ミーヤは当然のように森に帰れると思っていたのだ。
森に帰ったら、ツリーハウスを作ろうと思っていた。蛇や猛禽類から身を守れる素敵な巣を作る計画を練ることは、退屈な入院生活の密かな楽しみだったのに……。
(わたし、お城に行くの? へーかの飼い毛玉になるの?)
やがてミーヤは思い知ることになる。ミーヤは自分が思っていたよりもずっと、森に生きる自由を愛する毛玉だったということを。
毛玉の帰巣本能は、思いのほか働きものだった。




