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第71話 向日葵の女神と/月の天使と/俺と

「ごめん、日向――俺は、君と付き合うことは出来ない」


 しん、と静寂が訪れた。


 生徒たちのざわめきも、二人の少女の声も、今は何も聴こえない。聖夜祭の終わりを思わせる、静かな夜がそこにある。


『お二人から、お伝えしたいことがあるみたいです』


 スピーカーから流れる、槍原の声。


『もっと悠人パイセンの言葉を聞きたいから屋上まで来て欲しい、とのことです』

「……分かった」

『え、えっと、ではこれで『聖夜の告白』を終了します! 参加者の皆様、青い魂の叫びをありがとうございましたーっ!』


 終了の宣言と共に周りが騒がしくなり、俺は校庭を抜け出して校舎に入る。


 屋上に繋がる扉の前には、どこか心配したような顔をする槍原がいた。


「校庭にいる生徒の皆さん、大騒ぎですよ? 気持ちは分かりますけどね、『向日葵の女神』の告白を断ったんですから」

「……悪いな、槍原には色々と迷惑をかけて」

「いーですよ、これくらい。尊敬する先輩たちのためですもん。……でも、月乃先輩じゃなくて日向会長まで告白なんてなぁ。やっぱり、あの二人には敵わないです」


 小さく笑い、槍原は階段を下りていく。

 一人残された俺は深呼吸をするが、早くなる鼓動はちっとも落ち着かない。


 この扉の先に、日向と月乃がいる。

 緊張だってしてるし、不安だって無いといえば嘘になる。だけど、迷いはない。

 これが俺の選択だって、胸を張って言えるから。


 扉を開けると、冷たい夜風が俺の頬を撫でた。

 そこにいたのは、フェンスに寄り添って街の灯りを眺める、日向と月乃。二人の少女が、まるで待ちかねたように俺に振り返る。

 日向は、穏やかな笑顔を浮かべて俺に語り掛けた。


「初めての告白だったのにな。フラれちゃったね」

「……ごめん。日向の気持ちなら、気づいてたんだ。だって日向は、小さな頃に遊園地で出会ったユキちゃんなんだろ?」

「……もう隠す理由なんてないよね、私の初恋なら、悠人君に告白しちゃったもん」


 一歩ずつ、ゆっくりと。日向が俺に歩み寄る。


「私は悠人君と出会えたから、変わりたいって初めて思ったの。悠人君はこの世界で誰よりも特別な人だから……初恋、だったんだよ?」

「……ありがとう。日向にそう言ってもらえるの、すごく光栄だし嬉しい」

「でも、残念だなあ。悠人君のこと、本気で好きだったのに。……でもいいの、私よりも好きな人がいる、ってことだもんね」

「それは違う。日向と月乃のどっちが好きか、なんて理由で日向を拒んだわけじゃない――俺は、日向も月乃も、同じくらい好きなんだ」

「……えっ?」


 日向も、そして月乃も、驚いたように俺を見つめる。


「悠人君。今、なんて……?」

「俺は、日向も月乃も好きだ。どちらかなんて選べないくらい、二人に夢中なんだよ」


 それは、紛れもない俺の本心だった。

 今の俺には、日向と月乃のどちらの方が好きだから付き合う、なんて決め方は出来ない。


 きっと、日向と月乃のどちらかと恋人になれば、付き合うことの出来なかったどちらかを想って後悔するのは分かっているから。日向と月乃、どちらかを傷つけて添い遂げる未来なんて、俺はいらない。


 だから、何度だって言ってやる。

 俺は日向も月乃も、恋人になりたいって本気で願ってるくらい、好きなんだ。


「だから、俺が日向と付き合わないのは、日向より好きな人がいるからじゃない」

 言葉を失っている日向を、見つめ返す。

「日向は、俺の大切な家族だから。……俺は、日向と付き合うことは出来ない」


 それが、俺の答えだった。

 同級生でもなく恋人でもなく、日向とは家族として共に生きたい。


「日向は俺の初恋の人で、今でもその想いを忘れることは出来ないけど。それでも、日向は俺にとって大切な人だから。今までみたいに、一緒に日々を過ごしていきたい。そのためには、日向と恋人になることは出来ないんだ」


 倉庫で日向に押し倒されてしまった、あの日。俺は、日向のことを家族以外として見ていることに激しい自己嫌悪をした。お前はまだ恋愛感情を引きずっているのかって。……でも、そうじゃなかった。


 初恋の人であることも、家族であることも。俺にとっては、切り捨てちゃいけない大切なことなんだ。


「だから、ごめんなさい。俺は、日向とは付き合えません――だけど」


 覚悟と共に、俺は日向に告白をする。


「恋人としてじゃなくて、これからもずっと、家族として傍にいてください」

「――――――」


 日向は何も言わない。夢現の中にいるように、立ち尽くすだけ。

 もしかしたらそれは、日向の望む答えではなかったのかもしれない。だけど、日向だって今まで言えなかった想いをぶつけたんだ。

 俺だって、もう日向の気持ちからは逃げない。


 やがて、日向はささやかな笑みを浮かべながら、ぽつりと呟いた。


「そっか、私よりも月乃ちゃんのことが好きになったわけじゃないんだ。……悠人君は今でも、私のこと好きでいてくれてるんだ」


 日向は優しい笑みを俺に向けていて……その頬に、月の光に照らされた雫が伝う。

 日向の表情から笑顔が消えて、ぽろぽろと涙を零していた。


「良かった――家族のままでも、悠人君のこと、好きでいいんだよね……?」

「……日向」

「告白を断られた時、悔しくて悲しくて、心が張り裂けそうで。叫びたいくらいだったけど、悠人君が好きだって言ってくれたから……想いを伝えて、ほんとに良かった」


 まるで子どものように、日向は泣きじゃくる。

 恋人になることが出来ない悲しみと、家族になれる喜びと。それは俺が日向に抱いてる感情と全く同じで、だからこそその涙の理由が俺には痛いほど理解出来てしまう。


 だから、だろう。俺は日向を抱き寄せて、そっと頭を撫でていた。

 慰めたかったからか、祝福したかったからか。きっとその両方だ。

 俺は日向の恋人じゃないけど、これくらい構わないよな?

 日向は俺の初恋の人で――いつまでも一緒にいたい家族、なんだから。


 どれだけそうしていただろう。日向の泣き声が小さくなり、俺は彼女から離れる。


「そういえば、さ。……月乃。俺はまだ、月乃の告白には返事をしてなかったよな」


 いつもの透明な表情をする月乃を、真っ直ぐに見つめた。


「改めて言うよ。月乃、俺はお前と――」

「待って。……悠人は、本当にそれでいいの?」


 俺の言葉を遮った月乃は、どこか悲しそうに見えた。


「悠人と日向さんは両想いなんだよね? なのに、血が繋がってるなんて理由で恋人になれなくてもいいの? そんなの……二人が、可哀想だよ」

「……やっぱり優しいよな。本気で俺らのこと、心配してくれるんだから」


 つい頬を緩ませながら、俺は月乃にゆっくりと歩みを寄せた。


「けどさ、日向は俺のたった一人の姉さんだから。それってきっと、恋人と同じくらい大切な存在だって思うんだ」

「……なら、悠人は日向さんの彼氏になれなくても後悔しないの?」

「多分、しないと思う。月乃が俺の彼女になってくれるなら、だけど」

「えっ――」


 月乃が驚いたように息を呑み、やがて、その頬が薄く染まっていく。


「……ずるいよ。いきなり、そんな恥ずかしいこと真顔で言うなんて。そういうの、いつもは全然言わないのに」

「そうだな。好きだって最後に言ったのも、俺から月乃に告白した時以来だもんな。でもさ、俺の月乃に対する感情は、あの時とは全然変わったって思ってるんだ」


 俺は今まで、月乃のことを、『幼馴染』としてじゃなくて、『一人の少女』として向き合えているか、自分でも分からなかった。それくらい、月乃と幼馴染として過ごした日々はあまりに長すぎた。


 だけど、今は違う。

 幼馴染として一緒にいたら見落としていた月乃のことを、たくさん知ったから。


 たとえば、猫カフェに行った時、月乃が好きな人のために尽くせることを知った。

 たとえば、アルバムを見た時、月乃がずっと昔から片思いをしていたことを知った。

 たとえば、日向を選んでも良いと言われた時、月乃が自分自身が傷ついても好きな人に優しくなれることを知った。


 それは、幼馴染として隣にいた俺が今までずっと見落としてきたもので――そんな月乃を愛おしいと心から思う。


「俺は月乃のことが、日向と同じくらい好きだ。日向と恋人になりたいって思うように、俺は月乃とも恋人になりたいと思ってる。それが、今の俺の偽りのない本心だ」

「……日向さんと、同じくらい」

「だから、月乃が告白してくれたその答えを、今ここで改めて言わせて欲しい」


 誠意を込めて、月乃に口にする。

 幼馴染のままなら、絶対に口に出来なかった言葉。


「俺も月乃のことが好きだ――俺と、付き合ってくださいっ」

「――――――」


 その言葉に、月乃は果たして何を思うのか。上空に浮かぶ煌々と冴え渡る月を眺めて……そして。

 ふわりと天使が舞うように、俺を抱きしめた。


「月乃……?」

「やっと――やっと、片思いじゃなくなったんだよね?」


 その表情に、思わず息を呑んだ。

 月乃が――泣いていた。俺に告白を断られた時も、日向のために幼馴染でいようと言った時も涙を見せなかった、あの月乃が。


「悠人に好きだって言ってもらえるの、ずっと昔から憧れてたんだよ? 悠人と結ばれる未来を夢に見てて、やっとそれが叶った……こんなに嬉しいの、初めて」


 その月乃の涙交じりの声は、耳よりもむしろ胸に響くよう。


「悠人が日向さんのこと、誰より好きなのは分かってるから。日向さんと同じくらい好きだって言ってくれるなら、こんなに光栄なことないよ? ……やっと、悠人が振り向いてくれたから」

「……ごめんな、月乃。今までずっと好きでいてくれて、ありがとう」


 震える小さな肩を抱き寄せる。その月乃のぬくもりに、頭の中に甘い痺れが走る。

 幼馴染が恋人になった瞬間って、こんな風なんだ。

 頭の片隅で、そう感動している自分がいる。


「おめでとう、月乃ちゃん。やっと、想いが叶ったんだね」


 その声に月乃が振り向く。月乃の視線の先には、日向が笑いかけていた。


「わたしと悠人のこと、祝福してくれるの? 日向さんは、きっと悲しいはずなのに」

「……うん。悠人君の恋人になれなかったのは、残念かな。こればっかりは、自分に嘘なんてつけないよ」


 それでも、日向の女神のような優しい笑顔は崩れない。


「でもね、月乃ちゃんが悠人君の彼女になって良かった、っていうのも本当の気持ち。月乃ちゃんがずっと悠人君に片思いしてるの、知ってたもん。他の女の子が彼女ならもっと傷ついてたと思うけど、月乃ちゃんが恋人だから、胸の奥があったかいんだ」

「……日向さん」


 月乃の顔に浮かぶのは、微かな笑み。


「その気持ち、少しだけ分かる気がする。もしわたしが悠人にフラれても、相手が日向さんならおめでとうって心から言えたと思うから。日向さんがどんな思いで初恋を忘れようとしてたか、知ってるから」

「そう言ってくれる、って思ってたよ? 私と月乃ちゃん、似た者同士だもんね」


 二人の少女は顔を見合わせて、くす、と笑みを零す。


「それにね、私は世界でたった一人の悠人君のお姉さんだから。悠人君が好きなまま家族でいられるなら、私は幸せだよ? ……だって、悠人君も私のこと、好きだもんね?」

「……ああ、そうだな」


 全身から緊張が抜けたから、だろうか。さっきまであんなに好きなんて言ってたのに、改めて訊かれるとつい照れてしまう。


「ねっ、悠人君に一つだけお願いしても良い? もう一度、私のことが好きだって悠人君に告白して欲しいな」

「えっ、いやでも、その言葉は何度も言ってるような……」

「私のことが月乃ちゃんと同じくらい好き、って気持ちは伝わったよ? でも、ちゃんと告白をされたわけじゃないから。悠人君の言葉を胸に刻みたい……ダメかな?」


 ……恥ずかしい、なんて今さら口に出来ないよな。

 日向と家族として暮らすことを決めた、あの日。俺は日向に好きだってことを伝えたけど、まさか二度目の告白をすることになるなんて。


「――日向」


 俺は『向日葵の女神』である少女に、想いを告げる。


「ずっと前から日向のことが好きで、家族になった今でも、やっぱり初恋は忘れられません――今でも君のことが、大好きです」

「……えへへ、ありがと。私もだよ?」


 幸せそうに日向が微笑む。と、俺の服の袖を、くい、と月乃が引っ張る。

 何かを待ち望むように、月乃が俺を上目遣いで見つめていた。


 そうだよな。日向にも言ったんだから、月乃にも告白しないと公平じゃないよな。

 月乃の気持ちくらい、言葉を交わさなくても分かる。今は恋人同士でも、月乃は俺の幼馴染なんだから。


「――月乃」


 俺は『月の天使』である少女に、想いを告げる。


「小さな頃から一緒にいて、月乃が隣にいるのが俺にとっての当然だった。だけど、これからは恋人として、俺と生きてください――今では君のことが、大好きです」

「……うん。これからは、彼女としてよろしくお願いします」


 そして、月乃は愛おしそうに小さく笑った。

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