第70話 もう一人の少女/それでも私は/付き合ってください
中断されて騒がしくなった校庭は、日向の登場によって更に混乱に陥っていた。
「なあ、あれ生徒会長じゃないか? どうしてあんなとこに……?」
生徒全員が、校庭を見下ろす日向に戸惑っている。この高校の生徒で日向を知らない人なんていない。どうしてここに生徒会長が、と誰もが疑問に思っていたはずだ。
『――二年A組、朝比奈日向です』
少女らしい澄んだ日向の声色は、息を呑むくらい真剣味を帯びていた。
『月乃さんの告白がまだ終わっていませんが、その前に、私から告白したいことがあります――私にも、好きな人がいます』
たったその一言で、校庭にいた全生徒がざわついた。
生徒会長にして『向日葵の女神』の日向に好きな異性がいる。その事実に誰もが驚きの声をあげていた。
その騒ぎの中で俺は、全身が熱くなるのを感じながら、屋上にいる少女を見つめている。
日向、来てくれたんだな。
なら、俺も相応の覚悟で彼女の言葉を受け止めなければ。
日向だって、大きな決断をしてそこに立っているのだから。
『その人とは小さな頃にたった一度出会っただけで、それからずっと離れ離れで暮らしていました。でも、私は彼のことを忘れたことは一度だってありません。だってその人は、私にとって生まれて初めて憧れた人ですから』
人々のざわめきが収まらないなか、日向の静かで真剣な声が校庭に響く。
『その頃の私は、他人に嫌われることに怯えてる臆病な女の子でした。……だけどその人は、他人と向き合うことから逃げてた私に優しくしてくれました。何度も何度も、私を笑顔にしようとしてくれました。たった一度、初めて出会っただけの関係なのに。その時に私は初めて思ったんです。私もこんな人みたいになりたい、って』
大切な思い出を語るかのような、優しさに満ちた日向の口調。次第に、一人、また一人と生徒が日向の声に耳を傾け始めた。
それは、俺も変わらない。日向の言葉を一つも聞き逃したくない。
『私も変わりたい。あの人みたいに誰かを照らす太陽みたいな存在になりたい。そう願えたから今の私があります。そして、この高校に入学して奇跡的にその人と再会した時に気づきました。私が小さな頃から彼に抱いていた感情は、恋と呼ぶべきものだったんだって。……だけど、その気持ちを彼に伝えることを、私は諦めていました』
まるで自分の感情が制御不能になるように、少しずつ日向の声が震えていく。
『何故なら、私は知ってしまったから。その人は私にとって、世界でたった一人の特別な存在だって。だから、彼に対する気持ちはずっと隠していました。同級生として日々を過ごして、あの頃とちっとも変わらない笑顔を向けられて胸が高鳴っても、私は見ないフリをしていました。きっと、それが幸せだって信じていたからです。だけど……だけど、私は――』
やがて、日向の声は掠れて消える。
突如俯いて沈黙してしまった日向に、生徒たちがざわめき始めた。何かあったのかと、日向を心配する声が耳に入る。
そして、日向は顔を上げて――その瞬間、俺は確かに見た。
遠くから俺を見つめる、あふれ出る想いを胸に秘めた日向の表情。
日向がマイクを投げ捨てる。まるで屋上から俺に会いに来るような速度でフェンスから身を乗り出し、深く息を吸った。
夜空の下、少女が叫ぶ。
「それでも私は、悠人君のことが好き―――――――――――――――っ!!!」
ありったけの想いを込めて叫んだ日向の声は、はっきりと俺に届いた。
その場にいた誰もが衝撃的な告白に呆然とするなかで、日向は止められない感情に身を委ねるように俺に言葉をぶつける。
「今までずっと言えなかったけど、出会った時からあなたが好きでしたっ! 家族として傍にいようって決めたのに、悠人君と暮らしているとやっぱりどきどきしちゃって、あなたへの気持ちを忘れるなんて出来ませんでした! 私は悠人君のお姉ちゃんかもしれないけど、あなたは私の初恋の人だから! 家族でも同級生でもなく、恋人として悠人君と一緒にいたいっ!」
空に響き渡る日向の告白に、生徒たちがざわめき始める。
「ゆ、悠人ってあれだよな、最近家族だって判明した同学年の。日向がそいつを好きって……ええっー!?」
「じゃあ、日向さんってたまたま弟君を好きになっちゃったんだ……。でも、恋人になりたいなんていいのかな……?」
困惑の声があった、悲観の声があった、同情の声があった。
それでも、日向の告白に血が燃えるように身体が熱くなる自分がいる。
日向がどんな気持ちで今までその想いを隠していたのか、俺には分かる気がする。
俺も、家族である日向のことが好きなんだから。
校庭が混乱を極めるなかで、日向の隣に月乃が並び――きっと、ここにいる生徒で気づいたのは俺だけだと思う。
まるで、告白を果たした少女を祝福するように、月乃が日向に微笑んだ。
けれどそれも一瞬、月乃は真剣な表情を浮かべて、屋上から俺のことを見つめる。
叫ぶ。
「わたしも――ずっと前から、幼馴染だった悠人のことが好きっ!」
それは、『月の天使』らしからぬ、精一杯の告白。
こんな必死に叫んでる月乃なんて、俺でさえ初めて見る姿だった。
「悠人は、わたしのこと幼馴染としか思えなかったかもしれないけど、ずっと悠人のことが好きだった! だけど悠人には好きな人がいて、振り向いてもらえないって分かってたから、ずっと幼馴染でいいって自分に言い聞かせてた! だけど、もう自分に嘘をつくなんて嫌だから――悠人と、幼馴染以上の存在になりたいっ!」
月乃の告白は、生徒たちを更に混乱させるに十分だった。
「つ、月乃まで!? 日向と同時に告白とか、こんなことあるのか……?」
校庭が揺れていると錯覚しそうなほど、生徒たちはざわめいている。
だけど、それでも。少女たちの懸命な告白は誰にも止められない。
「もしかしたら、私の告白は悠人君を困らせてしまうかもしれない! だけど、もしこのまま悠人君が誰かと結ばれたら、きっといつまでも後悔するから! そんなの絶対に嫌だから! ずっと言えなかったけど、私と――」
「悠人にわたし以外に好きな女の子がいるのは分かってる! だけど、悠人が好きだって気持ちをもう隠したくない! 幼馴染だけじゃなくて、悠人にとって特別な人になりたいから! だから、だからわたしと――」
「「――付き合ってくださいっ!」」
二人の少女の告白が、重なるように夜空に響き渡る。
果たして、日向と月乃の言葉がどれだけ人々に響いたのだろう。ざわざわしていた生徒たちは、今や固唾を飲んで見守っている。
だとすれば、俺がするべきことは一つだけだ。
人込みの中で足を踏み出し、俺に気づいた生徒たちが慌てたように道を譲る。俺のことを知っているのか、中には噂をする人もいた。
人の波を抜け出し、俺も日向や月乃と同じように声を張り上げた。
「ありがとう、二人の気持ちは嬉しいです――でも、ごめんなさい! 俺は、あなたとは付き合えませんっ!」
その返答に校庭がどよめく。日向と月乃は真剣な表情のまま、何も言わない。
あなた、とは誰のことなのか。その先の言葉を、二人の少女は待っているから。
だから、俺ははっきりと告げた。
胸が張り裂けるような思いで、しかし確固たる決意をもって。苦悶した末に出した俺の答えを。
「ごめん、日向――俺は、君と付き合うことは出来ない」