第62話 お化け屋敷/君の温度/悠人がいるから
「ありがとうございました~! 副会長さんに悠人さん、聖夜祭楽しんでくださいね!」
給仕さんに見送られ、月乃と一緒に色とりどりの模擬店に目移りしながら廊下を歩いていると、ふと気になる看板に足を止めた。
スプラッターハウス――どうやらお化け屋敷らしい。
「気になるの? いいよ、悠人が行きたいなら一緒に行こ?」
「いいのか? 月乃って、こういう怖いの大丈夫だっけ」
「多分、悠人がいてくれれば平気だと思う」
実は、生徒会の前評判では「今年のお化け屋敷はヤバいらしい」なんて噂があって、俺も興味はあった。
月乃も大丈夫だって言うなら、挑戦してみようかな。
このお化け屋敷は着席型と呼ばれるものらしく、席に着いた後に他のお客さんと一緒に楽しむタイプのものらしい。
受付を終えて薄暗い教室の中に入ると、用意された椅子には既に数人のお客さんがいた。
他の人と同じように、俺と月乃も空いた席に座る。
どうやら怪奇現象の起こった教室をイメージしてるらしく、黒板を埋め尽くすほどの血の手形や、割れた蛍光灯がぶら下がっている。
その時、ぎゅっと、腕に柔らかい感触。
まだ何も始まってないのに、隣にいた月乃が俺の腕に抱きついていた。
「あのさ。それって、何か怖いことが起きたらするやつだと思うんだけど」
「……? もう十分怖いよ?」
そんな無表情で言われてもちっとも説得力がない。
「もしかして、抱きつかれるの迷惑だった?」
「い、いや、そんなこと全然ないけど……」
むしろ、月乃は平気なのかな、とすら思った。
月乃の体温と柔らかさが腕に伝わって、頭がくらくらしそう。恐怖のせいなんかじゃなく心拍数が上がっていって、心音が月乃に聴こえないか心配すらしてしまう。
いっそお化け屋敷なんて始まらず、ずっとこのままでもいいのかも。
そんなことを考えていたら、先程まで流れていた音楽が止まる。どうやら、今から始まるらしい。そう思った直後、ひっ、と別の席から女子の悲鳴が聞こえた。
反射的に俺も目を移し……いったい、いつからそこにあったのだろう。
天井から、傷だらけの顔をした学生服の男子が逆さ吊りにされていた。
「……~~~っ!」
驚き過ぎて、声すら出なかった。
それなのに、月乃は俺に抱きついたまま、けろっとしていた。
(あれ、本物の人だよな? 微動だにしてないけど、役者魂凄すぎるだろ……)
(うん、びっくりした。本格的だね)
……その割には、平常運転過ぎない?
もしかして、この空間で一番怖がっていないの月乃なんじゃないか。
あそこにいる女子生徒なんて顔を覆って震えてるのに――いや、待て。様子がおかしくないか。
「あ……うぁ……!」
女子生徒は椅子から転がり落ちて、慌てて俺は声をかけた。
「だ、大丈夫ですか!? 気分が悪いなら保健室まで――」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ……もう手遅れですから」
…………へ?
女子生徒の返答に呆気に取られたのも束の間、彼女は俺の方に向く。
その顔面に二つの瞳がなく、本来目がある場所からは血が滴っていた。
「うおぉ……っ!」
今度こそ、悲鳴が出た。
完全にやられた、まさか参加者に紛れてたなんて……!
俺が恐怖に固まってる間に、女子生徒は失くなった眼球を探すように床を這う。参加者たちは絶叫し、あっという間に阿鼻叫喚の地獄になった。
それなのに、だ。
どうして、月乃はさっきから顔色一つ変えていないのか。
(……だ、大丈夫か? 怖すぎて失神してるわけじゃないよな?)
(してないけど、悠人こそ平気? 今、変な声出てたよ?)
……絶対におかしい。どうして月乃は、こんなにいつも通りなのか。
(さっきから気になってたんだけど、月乃は怖くないのか? 俺なんて入ったこと後悔してるくらいなんだけど……)
(怖いよ? 一人なら、絶対に無理だったと思う)
(……一人なら?)
こく、と月乃が頷いた。
(だって、今は悠人がいるから。悠人なら、どんなことがあっても絶対にわたしのこと守ってくれるよね? だから、怖いけど怖くないよ?)
……あー、うん。そういえば、そうだった。
月乃って昔から、俺がいるとホラー系怖がらないんだっけ。
子どもの頃の肝試しもそうだ。月乃は俺とペアじゃなきゃやだって言って周りを困らせて、いざ一緒に行ったら終わるまで表情一つ変えなかった。
俺がいるなら平気だけど、俺がいないなら平気じゃない。それが月乃だった。
それはいいんだけど……。
(じゃあ、さっきより距離が近くなってるのって……)
(ここのお化け屋敷、すごく怖いから。悠人が傍にいるって感じてないと、不安)
だから、こんなに月乃との距離が近いのか。
月乃の頬も、腕も、太ももも。全身がくっついていて、まるで今にも押し倒されてしまいそう。月乃と重なった部分が、熱を帯びていく。
(あのさ、も、もう少し離れてくれると助かるんだけど……!)
(悠人からちょっとでも離れたら怖くて泣いちゃうけど、いい?)
(それはよくないけど! ……なんか、照れるんだよ。こんなに近くに、月乃がいると)
(……そっか。もう昔みたいに、幼馴染だけじゃないもんね)
薄暗い闇の中、ほのかに月乃が笑っているような気がした。
それからの恐怖体験は、俺を絶句させるものばかりだった。ここだけの話、月乃のぬくもりで怖さを半減出来たから、耐えれたんだと思う。
それでも終わった頃には、俺を含めた参加者みんなの顔が青ざめていた。
「やっと助かった……。ああ、もう。学園祭レベルじゃないだろ、これ」
息も絶え絶えに参加者たちが退席するなか、たった一人月乃だけが、いつもと変わらない表情で俺の腕に抱きついている。
「次はゆっくり出来るとこにしよう、絶対。これ以上刺激を求めたら俺の心臓持たない」
「………………」
「月乃?」
いつまでも立ち上がろうとせず、月乃は俺の腕を抱きしめるばかり。
その頬は、まるで恥じらいを覚えるように、朱に染まっていた。
「もう、終わっちゃったんだ。……怖かったけど、もう少しこのままでいたかったのに」
「そ、そっか。じゃあ、少しだけ休もうかな。ちょっと頭がくらくらするし」
「……ごめんね。悠人とこうしてられるの、今だけだから」
外に出れば、俺たちは幼馴染として振舞わなければいけなくて。
だから、誰も見ていない今だけは。月乃と特別な時間を過ごしたかった。
……もっとも、数分後には苦笑いをしたスタッフに声をかけられたけど。