第57話 日向の追憶/二人だけの秘密/ねえ、悠人君
今でも忘れられない思い出がある。
それは、まだ私が悠人君と家族になっていない、同級生だった頃の記憶で。
偶然にも、今みたいに聖夜祭の準備をしている去年の出来事だった。
始まりは、聖夜祭のシンボルである特製アーチが未完成だったこと。
当時は生徒会の副会長主導で制作していたんだけど、完成間近って段階で会長のストップがかかった。何でも、設計図のデザインと違うから修正して欲しかったみたい。
けど、副会長は納得しない。確かに設計図と違うし、数時間もあれば修正出来るけど、聖夜祭の前日に言い出した会長に副会長が反発した。
それはもう、修羅場だったっけ。
会長と副会長の怒声が飛び交って、けど私みたいな下級生が間に入るなんて出来るはずもなくて、おろおろするばっかりだった。
そこで事件が起こった。怒った副会長に同調して、アーチの制作班のみんなが未完成のまま放置してしまった。制作班の一人だったわたしだけが、明日の聖夜祭に間に合わない、って危機感を抱いてた。
でも、誰かに相談してもし会長の耳に入ったら、きっとまた言い争いをしてしまう。もしこれ以上喧嘩すれば、聖夜祭に悪影響が出るかもしれない……そう思って、決めた。
明日までに完成させよう。私一人で、誰にもバレないように。
それが、みんなが笑顔になれる一番の方法だって信じてたから。
だから、下校時間が過ぎた後、誰も来ない倉庫でアーチを作り続けた。いつもみたいにお喋りする友達も、手伝ってくれる先輩もいなくて、心細かったのを覚えてる。
生徒会のみんなは、もうとっくに家に帰ってるんだろうな。
……どうして私がこんなことしなくちゃいけないんだろ。
ほんの少しだけ悔しい気持ちになったのは、否定できない。
だけど、ここで止めたらきっと、自分の理想から遠ざかってしまう気がした。
《《あの人》》みたいに、みんなを笑顔に出来る人になりたい。だから、聖夜祭を楽しみにしてるみんなのために頑張ろう。
そう、もう一度だけ気合いを入れた時だった。
――日向?
芯のある落ち着いた男の子の声に、思わず手が止まった。
驚いたみたいに固まってる悠人君が、そこにいた。
「ゆ、悠人君? どうしてここに……?」
――ちょっと聖夜祭の準備してて、気が付いたら誰もいなかったからさ。俺で最後かなって思ってたのに、倉庫に明かりが点いてたから覗いてみたんだけど……日向こそ、こんな時間までどうしたんだよ。
悠人君の質問に、私は上手く答えることが出来ない。
アーチを制作してるとこを見られたくなかった、っていうのもある。
けどそれ以上に、私の憧れだった《《あの人》》が急に目の前に現れたことに、つい動揺してたんだと思う。
――それ、聖夜祭の特製アーチだろ? どうして日向だけなんだ?
「えっと、副会長さんが会長さんと喧嘩しちゃったでしょ? だから、副会長の指示で他の制作班のみんなが帰っちゃって」
――日向しかいなくなった、と。なるほどな、良かったら会長に連絡しようか? 事情を話したら、誰か呼んでくれるかもしれないし。
「それは、止めて欲しいな。もし会長が知ったら、また副会長と喧嘩しちゃうかもしれないから」
――でも、このままだと日向が一人で作業することになるだろ?
「私なら大丈夫。それでね、悠人君にお願いがあるんだけど……私のこと、見なかったことにしてくれないかな?」
――どうして?
「もし私だけで作ったって知られたら、副会長が非難されちゃうでしょ? それは嫌だな、って。だから、私だけで作ってること、内緒にして欲しいんだ」
――けど、副会長が仕事を途中で投げたのは事実だろ。
「でも、副会長の気持ちも分かるから。制作班のみんなで頑張って作ってたアーチだもん、作り直せって言われたら、誰だってむってしちゃうよ」
――だから、一人でアーチを完成させようとしてるのか?
「明日は聖夜祭だもん、みんなが笑顔で過ごせた方がいいでしょ?」
――……なるほどな。
その言葉を最後に、悠人君は去っていった。
やっぱり、呆れられちゃったかな。
そうだよね、本当なら私一人でやる必要なんてちっともないもん。悠人君が付き合いきれないって思ったって全然不思議じゃない。
さて、頑張らなくちゃ――そう思った、数分後。
コトン、と缶コーヒーが私の隣に置かれた。
悠人君、だった。
一瞬何が何だか分からなかった私に、悠人君は当たり前のように口にする。
――はい、これ。長丁場になるから、良かったらどうぞ。
「えっ……い、いいよ。受け取れないよ」
――もしかして、カフェオレより微糖の方が良かった?
「そうじゃなくて。私のことなら無視して欲しいの。もし完成しても生徒会のみんなには黙ってて欲しいから」
――うん、分かってる。だから、俺と日向だけの秘密だろ?
「えっ……?」
――俺も日向の手伝いするよ。もちろん、俺と日向が完成させたってことは誰にも言わない。それなら構わないだろ?
「だっ……駄目だよ、そんなの。私が好きでやってるだけだから、悠人君に迷惑なんてかけられないよ」
――だったら、俺も好きで日向の手伝いをしてるだけだ。お互い勝手に始めてるだけなんだから、文句なんてないだろ?
「でも、完成しても誰も褒めてくれないよ? 悠人君に得なんて一つもないのに」
――得ならあるよ。少しでも日向が楽になるなら、理由なんてそれだけで十分だ。日向がやってることが、優しさなのかお人好しなだけなのか、俺には分からないけど、一人でやるより二人でやった方が早い、ってのは絶対的な真理だろ?
「それは、そうかもしれないけど」
――だったらそれでいいよ。俺のやったことが正しいかどうかは、日向の手助けをした後に考えることにする。だから、日向が気にする必要なんてちっともないからな?
「……悠人君」
――それに、完成しても誰も褒めてくれないのは日向も同じだから。絶対に俺がいた方が良いと思うぞ? 少なくとも俺だけは、日向が頑張ったことを認めてあげられるから。
そう言って微笑みを浮かべる悠人君に、私は何も言うことが出来ない。
ただ、全身が震えそうなくらい嬉しかった。
子どもの頃、一度だけ遊園地で出会った時の悠人君と、何も変わらなかったから。
「ありがと、じゃあ一緒にやろっか? 良かった、なんか安心しちゃった」
――安心したって、何が?
「やっぱり、悠人君は悠人君なんだなぁ、って。ただそれだけ」
不思議そうな顔をする悠人君に、私は微笑みを浮かべるだけだった。
ねえ、知ってる? 悠人君はずっと昔に、私と会ったことがあるんだよ。
ねえ、知ってる? 悠人君と私は、本当は姉弟なんだよ。
ねえ、悠人君。あなたは私に――初恋を教えてくれた人なんだよ。
そして、聖夜祭本番には、私と悠人君が作った特製アーチが無事設置された。副会長は呆然としてたけど、会長に賞賛と謝罪をされて複雑な顔をしてたっけ。
結局、副会長は特製アーチの制作を途中で放棄したことを告白して、誰が作ったのかは生徒会の間で謎のまま終わった。あれから一年経っても噂すら聞こえてこないってことは、悠人君は本当に私との約束を守ってくれたんだろうな。
誰が完成させたか分からない、聖夜祭の特製アーチ。
その真実は、この世界で私と悠人君しか知らない、二人だけの秘密だ。