第51話 TUKINO‘Sキッチン/日向さんと一緒に/先生
聖夜祭の準備が終わったのは、夕方頃だった。
俺と月乃がいることでどれくらい助けになったかは分からないけど、仕事を終えた後の日向は機嫌が良さそうな顔をしていた。
いつもなら、時間があるなら月乃の食事を作るのが俺の日課なのだが……。
「もうこんな時間か。今から月乃の夕食作ったら、結構時間かかっちゃうかもな」
「あんまり無理しなくてもいいよ? わたしだって、もう料理出来るから。良かったら、悠人の分も作ってあげようか?」
「月乃が作れるレシピって肉じゃがくらいだろ? 毎回食べて飽きたりしないのか?」
「……あんなにご飯に合うのに?」
月乃に不思議そうな顔をされた。えっ、そんなに俺おかしなこと言ってます?
ぽつり、と日向が呟くように口にする。
「月乃ちゃんの料理、かぁ」
「そういえば、日向って月乃の料理食べたことないもんな。気になるか?」
「えっ――う、うん。私も料理は趣味だから、ちょっとだけ」
「……じゃあ、日向さんもわたしと一緒に、ご飯作ろ?」
俺も、それに日向も呆気に取られた。
「わたしも、日向さんの料理を食べてみたい。料理が上手って悠人がいつも言ってるから、どれくらい美味しいのかずっと気になってた」
「……月乃ちゃんと、一緒に」
やはり、月乃に対するぎこちなさが残っているのか、日向の顔には迷いが見える。
……しかし、
「まだ料理初心者だから、迷惑かけちゃうかもしれないけど。……ね、ダメかな?」
「……う、ううん! 全然、ダメじゃないよ。うん、一緒に作ろっか?」
月乃の甘えるような視線に、日向が慌てて頷いた。どうやら、天使のお願いには女神も敵わないらしい。
数分後、エプロンを付けた月乃が、自分の家から食材を持ってくると、
「そういえば、いつも使ってる濃口醤油が無かったから、今日は薄口で作らなきゃ。いつもは大さじ二杯で作ってるから……一〇杯くらいでいいかな?」
「そ、それは多すぎじゃないかな。それに、薄口でも分量は変えなくても大丈夫だよ」
「……? どうして? 味が薄いんだから、いつもより多めに入れなくちゃ」
「だって濃口と薄口って、味の濃さは変わらないよ?」
「っ!?」
ぴしゃーん、と雷が落ちたが如く月乃がフリーズした。
「えっ、でも、醤油って濃いのと薄いのがあるって……えっ?」
「それは色のことで、醤油を使い分けるだけで料理の見た目が全然変わるの。むしろ、薄口の方が濃口より塩分が多いくらいなんだから」
「もしかして、景品表示法違反……?」
「違反じゃない。全然違反じゃないから」
とんでもないこと言い出した月乃に、日向は無理やり話を変えるように、
「じゃ、じゃあ、私は月乃ちゃんの肉じゃがに合う副菜を作ろうかな。多分和食になると思うから、月乃ちゃんはご飯を炊いてもらってもいい?」
「ん、分かった」
炊飯器を開けようとした月乃に、俺は声をかける。
「あっ、月乃。一応だけど、洗剤は使っちゃ駄目だからな」
「洗剤!?」
俺の一言に、日向が驚愕した。
「一回だけ、俺が米を洗ってくれって頼んだら洗剤を入れて米を研いでたことがあったんだよ。米を洗うって意味が分からなかったみたいでさ。あの時のお米、泡でもこもこしてたっけなぁ」
「つ、月乃ちゃんって、そんなに料理のこと知らなかったの……?」
「これでもかなり上達したんだけどな。何しろ、少し前までは包丁すら握ったことなかったから」
日向は唖然としていたが、やがて何かを決意したように、
「うん、決めた。ねえ、月乃ちゃん。もし良かったら、今日は私が料理する副菜のレシピも教えてあげるから一緒に作ってみない?」
「いいの? わたし下手だから、日向さんの足引っ張っちゃうかもしれないよ?」
「全然気にしないよ、完璧な料理なんて誰も作れないもん。月乃ちゃんが料理に興味を持ってくれるなら、そのお手伝いをしたいだけだから」
「……日向さん」
日向の柔らかい笑顔を、月乃は言葉を失ったように見つめている。
「ありがと。これから料理をするときは、先生、って呼んでもいい?」
「先生、かあ。うん、女神って呼ばれるよりしっくり来るかも。……良かったら、薄口醬油を使った肉じゃがのポイントも教えてあげよっか?」
「そんなのあるの?」
「薄口は濃口に比べて、香りとコクが軽めになってるから素材の味を生かすレシピの方が向いてるんだ。ショウガとかガーリックで味付けするのも面白いよ」
「そんな作り方あるんだ……。勉強になります、先生」
肩を並べてキッチンに向かい合う二人の少女に、ほっと胸を撫でおろす自分がいる。
良かった。数時間前まで、日向が月乃によそよそしくしてたのが嘘みたいだ。
けど、不思議なものだ。目の前で、俺の初恋だった元同級生と、俺に告白した幼馴染が仲良く一緒に料理を作ってるなんて。
それはきっと、幸せな光景なんだろうな、と思った。