第50話 月乃とピアノ/子どもの頃の悠人/仲直り
俺が、月乃が電子ピアノを持っていることを口にした時だ。
日向も、それに月乃も驚いたように、
「えっ、そうなの? 月乃ちゃんがピアノなんて、初めて知ったよ」
「そういえば、持ってたかも。悠人、どうして知ってるの?」
「いや、月乃って昔ピアノ習ってたから。その時、よく俺に電子ピアノで曲を弾いてくれただろ?」
「昔って……小学生の頃のたった数か月だよ? わたしだって忘れてたのに、そんなことまで覚えてたんだ」
そんなに驚くことかな。いつもは無表情な月乃が嬉しそうに『きらきら星』を弾いたことを、昨日のように思い出せるのに。
あの時の月乃は、すごいねと俺が褒めるたびに、くすぐったそうに笑っていた。
「でも、そっか。じゃあ、わたしの電子ピアノ貸してあげれば大丈夫だね。多分、今でも物置にあると思うから」
「いいのか? 月乃の私物なのに」
「誰かの役に立てるなら、これ以上の使い方なんてないよ? むしろ、思い出してくれた悠人には感謝したいくらい」
「……そういえば、悠人君と月乃ちゃんって、子どもの頃から一緒にいるもんね」
「うん。小さな頃の悠人って、今よりずっと可愛かったんだよ?」
その瞬間、日向の表情に期待が満ちた。
それこそ、わくわく、って擬音がぴったりなくらい。
「そうなんだ! じゃあ、悠人君って子どもの頃はどんな男の子だったの?」
「ちょ、日向……!」
「えっとね、ヒーローみたいな男の子、かな。それも、不器用なくらい」
大切なものにそっと触れるように、月乃は優し気な表情を浮かべる。
「困ってる人がいたら放っておけない優しい人だったんだけど、必要以上にその人のこと助けようとしてた。たまに、横断歩道を渡れないお年寄りがいるでしょ? 悠人は一緒に渡ってあげて、そのまま一緒にバスに乗って隣町のお家まで付き合ってあげたりとか」
「わぁ、悠人君らしいね!」
日向さん、感心してくれるのは嬉しいんだけど、俺には加減が分からないただのバカとしか思えないんだよな……。
「悠人、いつも言ってたよね? ボクはお母さんみたいな人になるんだ、って。作文で将来の夢について書いた時も、宇宙で一番優しい人になりたいって――」
「いつの頃の話だよ!? それ俺が六才の頃のエピソードですけど!」
あんまり、小学生の頃の話はして欲しくないんだよな……。当時は理想の自分になりたくて必死だったけど、今思えば空回りしてたこともたくさんあっただろうし。
こんなの日向も呆れるだろうな……そう、思っていたのに。
日向は思い出を懐かしむような、感慨深そうな表情をしていた。
「そっか。じゃあ、悠人君は夢を叶えたんだね」
「俺が、夢を?」
「悠人君くらい生徒会を頑張ってる人、私は知らないから。生徒会って誰もやりたがらないのに、奉仕活動とか後輩の面倒見たりとか、自分からしてくれるでしょ? ほら、優しくなりたいって夢、叶えてるよ」
「……俺なんてまだまだだよ。母さんみたいに強くて優しい人になんて、俺は全然なれてない」
「そうかなぁ。私から見たら、悠人君って誰よりも優しいけどね。それこそ宇宙一」
「日向、さり気なく俺の古傷を抉ってない……?」
「うん、わたしもそう思う。ヒーローだもんね、悠人は」
「月乃まで! ここに俺の味方はいないのか……」
日向がくすくすと笑みを零し、月乃が頬を緩めた。
良かった。さっきまで重い雰囲気だったのに、いつもの感じに戻ってきた。
「そういえば、まだ飲み物入れてなかったね。用意するから待ってて?」
「いいよ、俺が持ってくるから。日向は会長だし、仕事で忙しいだろ」
「いいのいいの、今日は月乃ちゃんが来てくれてるんだから。月乃ちゃん、甘い飲み物の方が好きなんだよね? ココアでいいかな?」
「うん、ありがと。おねがいします」
ぺこりとお辞儀をした月乃に、日向は柔らかい笑顔を浮かべキッチンに向かう。
月乃が俺に近寄り、こっそりと話しかけた。
(さっきは、怒っちゃってごめん。悠人、日向さんに恋人がいるかもって、ショック受けてるように見えたから。ちょっと、やきもち焼いちゃった)
(い、いやいや、謝るのは俺の方だよ。月乃に誤解させちゃったみたいだから)
そこで一瞬だけ恥ずかしさを覚えるが、躊躇いを振り切って口にする。
(幼馴染だけじゃなくて月乃と一人の少女として向き合いたいって言葉、嘘じゃないから。それだけは、信じて欲しい)
(じゃあ、日向さんに恋人がいても別に構わないよね?)
(………………………………)
(うそつき)
(嘘なんかついてませんっ! それとこれとは別の話なんだって!)
これ、一応仲直りはした、ってことでいいのかな……?