第34話 初めてのデート/ユキちゃん/女神は優しい嘘をつく
ぎこちない空気のまま、俺たちが向かったのはコースター系のアトラクション。普段なら日向が色々喋りかけてくれるのに、列に並んでる間、不自然なくらい彼女は無言だった。
やがて俺たちの番が来て、吊り下げ型のシートに固定される。
「うわ、何か空中ブランコに乗ってる気分。浮遊感半端ないな。……日向、大丈夫? なんか、この世の終わりみたいな顔してるけど……」
「……あ、あはは。ちょっと怖いかも。こういうのって、実際に乗ると緊張しちゃうね」
宙に吊るされた姿勢で、コースターが動き出す。コースの頂上を目指してゆっくりと登る、まだカウントダウンの段階。けれど頂上に近づく度に恐怖は増していき――。
ぽつりと、日向が呟いた。
「ねえ、悠人君。もう一度確認するけど、これってデートで良いんだよね? 姉弟じゃなくて、同級生として」
「えっ――うん、そうだな。俺はそのつもりで、日向を誘ったけど」
「じゃあ、ちょっとくらい甘えても、許してくれるよね?」
日向が恥ずかしそうに口にするのと、俺の右手がぬくもりに包まれたのは、同時だった。
日向が、俺の手を繋いだ。
それも指を絡めるような、まるで恋人同士でしかしないような甘い繋ぎ方。
「日向……?」
「怖いから、手を繋いでて欲しい。悠人君が隣にいるって感じられたら、きっと耐えられると思うから。……ダメ?」
ずるい、って思う。
日向にそんなお願いされるような顔されたら、断れるわけがない。
「……あ、ああ。それで、日向が安心出来るなら」
日向と、手を繋いでる。
さっきまでは上昇する恐怖心しかなかったはずなのに、今は右手以外の感覚が消えてしまったように、日向のぬくもりしか分からない。
やがて坂道を上り終え、壮観な景色が視界いっぱいに広がる。
けれどそれも一瞬、世界が反転するように落下を初めて――。
「私のこと、離しちゃやだよ? ……私も悠人君のこと、離さないから」
日向の囁き声が、微かに聞こえた。
……そこから先は、破茶滅茶だった。
半回転したり、あと全回転したり。文字通り縦横無尽に動き回って、どんな風にレールを走ったかすら定かじゃない。
ただ一つ言えるのは、日向の手は絶対に離さなかったってことくらいだ。
コースターを降りた後も、日向は俺の手を離してくれない。
恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだけど、日向は顔を伏せていて声をかけれる雰囲気じゃない。男の俺でも結構怖かったしな……と心配になった時、日向が顔を上げる。
その表情は、無邪気な笑顔だった。
「あー、怖かったぁ! まだ胸がどきどきしてる!」
そこで、ようやく状況に気づいたらしい。日向はぱっと手を離すと、
「あっ……ご、ごめんね。迷惑じゃなかった……?」
「い、いや、全然。繋いでも良いって言ったのは、俺の方だし」
やばい、自分でも分かるくらい動揺してる。
一呼吸置いて、気分を落ち着かせてから日向に話しかける。
「でも、日向が楽しんでくれて良かった。絶叫系、結構好きなんだな」
「うん、友達ともよく乗るんだ。それに、いつかこれに乗りたいって思ってたから、ちょっと感動しちゃった! 子どもの頃は身長が全然足りなくて乗れなかったもん」
「えっ、日向ってこの遊園地に来たことあるのか!?」
日向は、はっと顔を強張らせると、
「う、うん。小さな頃に一度だけ、だけど」
「そうなのか! 俺も子どもの頃に何度もここに来てるから、思い出の場所なんだ。いつか日向と来たいって思ってたから、何か嬉しいよ」
「……そんなに、大切な思い出があるの?」
「うん、まあ。初めて母さんが俺を連れて来てくれたのがこの遊園地だし、小学生の頃は月乃と遊んだこともあるし。それに一度しか会えなかったけど、友達も出来たから」
「……とも、だち」
思い出す。親父に、一緒に遊んで欲しい子がいる、ってここに来たあの日のこと。
まるで迷子になったみたいに、とても寂しそうにしてた女の子。
あの日、この遊園地で出会って、その娘を笑顔にしたくて一緒にアトラクションに乗った。初めは俺の顔も見てくれなかったのに、あれに乗りたいって俺の手を引っ張ってくれた時は、飛び上がりそうなくらい嬉しかった。
あの時にプレゼントしたぬいぐるみ、今でも持っててくれてるかな。
「元気にしてるかな、ユキちゃん。……また、会ってみたいな」
「――――――」
遠い思い出に浸りかけたその時、思わず言葉を失った。
日向の瞳から、静かに一筋の涙が零れていたから。
◇
本当は、泣いたら駄目なのに。悠人君を困らせてしまうだけなのに。
悠人君の口から、ユキちゃん、って言葉が出た瞬間から、涙があふれて止まらなかった。
「そっか――また会いたい、かあ」
覚えててくれた。覚えててくれた。覚えててくれた!
一〇数年間、ずっと想い続けてた男の子が、私のことを忘れないでくれていた。ただそれだけのことなのに、言葉に出来ないくらいの激情に、頭がじんと甘く痺れてる。
悠人君にとって小さな頃の私は、何処にでもいる女の子の一人じゃなかった。
それだけで、全部が報われたような気さえした。
「日向……? まさか――」
愕然としたような表情で、悠人君が口にする。
「ユキちゃん、なのか……?」
果たして、どれだけの時間が流れただろう。遠くから楽しそうな声が聞こえてくるなかで、私と悠人君はずっと見つめ合い――うん、決めた。
ごめんね、悠人君。
そして、私は悠人君に、嘘をついた。
「ユキちゃんって、誰のこと? ……私には、分からないな」
悠人君が、ぽかんと私を見つめていた。
でも、これでいいんだ。
だって、もし私がユキちゃんで悠人君が憧れの人だったって告白したら――私が悠人君が好きだって、バレちゃうかもしれないから。
だから、これからも悠人君と家族でいるためには、きっとこれが一番良いんだ。
「えっ……じゃ、じゃあ、日向がいきなり泣き出したのって……?」
「さあ、どうしてかな。悠人君には教えてあげない」
まるで卒業式の日みたいに、不思議なくらい心が清々しい。
青空の下、私はこの思い出の遊園地で思いっきり身体を伸ばすと、
「ねえ、次は何に乗ろっか?」
指先で涙を拭い、悠人君に微笑みかける。
「まだまだデートはこれからだもん。……今日は、忘れられない一日にしてね?」
悠人君の優しい笑顔を見た時から、分かってしまった。
私はやっぱり、悠人君が好き。
きっとこの気持ちを抱えたまま、私は悠人君と家族として生きていくんだろうな。この初恋がいつ終わるのか分からないけど、また苦しくてどうにかなりそうな時だってあると思う。
けど、今だけは。この瞬間だけは。
悠人君に片思いする女の子として、一緒にいたかった。