第32話 日向の過去②/小さな少女の冒険/それを恋と呼ばせて
それから、わたしは過ぎた時間を取り戻すように、その男の子とたくさんのアトラクションを巡った。
気球の乗り物にも乗った、汽車のコースターにも乗った、お化け屋敷も怖かったけど入った。ちょっとだけ泣いた。
こんなにたくさん笑ったの、久しぶりだった。
「……遊園地って、こんなに楽しいとこだったんだ」
「そうだよね。ぼくも初めての時は、家に帰っても寝れないくらい興奮してたもん。あの時はお母さんもいて、すごく楽しかったなぁ」
「お母さん……? 今日は、お仕事なの?」
「もういないんだ。お母さん、病気で天国に行っちゃったから」
「あっ……そう、なんだ」
びっくりした。この人も、わたしと同じなんだ。
「わたしもね、生まれた頃からお父さんがいないんだ。事故で死んじゃったんだって。……寂しいよね」
「うん、泣きそうなくらい寂しい。でもいいんだ、今でもお母さんのこと好きだから」
「……えっ?」
男の子が、にっと笑みを浮かべる。
「ぼくのお母さん、世界で一番優しかったんだ。だから、ぼくの将来の夢はお母さんみたいな人になることなんだ。だから、寂しいけど寂しくない。お母さんに会えなかったら、きっとこんな気持ちにはならなかったから」
「……お母さん、もういないのに? 褒めてもらえるわけじゃないのに?」
「うん。だってお母さんの代わりに、ユキちゃんみたいに別の人を笑顔に出来るから」
言葉なんて、何も出てこなかった。
まるで太陽みたいに、みんなを明るくしてくれる人。一緒にいるだけで、心かぽかぽかするような人。
もしわたしがこんな人なら――たくさんの人に、好きになってもらえるかな。
「……ご、ごめん、もう一度だけ名前を教えてもらっても、いい……?」
「えっ、ユキちゃん、ぼくの名前忘れちゃったの?」
「き、緊張してただけっ。嫌いとか、そういう理由じゃないから……!」
「あはは、別にいいよ」
あわあわするわたしに、男の子は優しい笑顔を浮かべた。
「湊悠人、って言うんだ。改めてよろしくね、ユキちゃん」
「……悠人、君」
そっと呟くと、その名前は特別な意味を持つような気がした。
わたしも変わりたい――悠人君みたいになりたい。
そう、初めて思った。
◇
それから、私は日向って名前が似合う女の子になるよう努力した。
誰よりも優しくなろうとした。笑顔の練習もした。清潔感のある身だしなみになるよう気を付けたし、料理も掃除も勉強も頑張って覚えた。
気が付けば、あの頃の私とは別人のようになっていた。お母さんが、先生が、みんなが私のことを褒めてくれて、それが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
ただ、残念なことが一つだけある。
私、こんなに変わったんだよ――そう、ユキちゃんとして悠人君にお礼が言いたかったのに。
(……まさか、高校で悠人君と再会するなんて、夢にも思ってなかったけど)
悠人君、きっと気づいてないだろうな。お母さんが再婚して私の名字は「雪代」から「朝比奈」になったし、何より悠人君と会ったのはあの一回きりなんだから。
でも、私は名前を聞いた時、あの男の子だって一瞬で気づいた。
あの人の名前を忘れたことなんて、一日だってなかったから。
「悠人君、ちっとも変わってなかったなぁ」
あの日、私にふわしばのぬいぐるみをプレゼントしてくれた男の子は、高校生になって生徒会でみんなのために頑張っていて。あの頃と同じ、ヒーローみたいな人だった。
悠人君に出会った時、私の心は遊園地で一緒に悠人君と遊んだ子供の頃に戻っていて……その時、私は気づいてしまった。
あぁ、そっか。そういうことだったんだ。
子どもの頃に芽生えた、悠人君への胸の高鳴りは――あの初恋は、一〇数年経った今でも、ずっと続いていたんだ。
「知らなかったなあ。……まさか、悠人君も私のこと、好きでいてくれたなんて」
忘れるはずがない。初めてこの家に来て、家族になりたいって思いを伝えて。そして悠人君は、私が好きだって言ってくれた。
だけど、私も好きです、っていうその言葉が言えなかった。
本当は、顔が真っ赤になるくらい嬉しかったくせに。感情を押し殺して、悠人君の告白をちゃんと受け止めようとしなかった。
だって、私と悠人君は姉弟だったから。
高校で出会ったばかりの頃は、悠人君とは同級生のフリをするつもりだった。悠人君が真実を知らないなら、他人同士として生きて行こうって決めてた。
でも、悠人君への想いが大きくなる度に、私の気持ちは揺れてしまった。
もっと悠人君の傍にいたいって、思ってしまった。
付き合うことが許されないなら、それでも構わない。ただ悠人君にとっての特別でいたい――だから、今。私は家族として、こうして悠人君と暮らしてる。
二人暮らしを始めてから、私がどれだけ救われたか。きっと悠人君は知らない。
(私の料理を美味しいって言ってくれた。ただいまって笑顔で言ってくれた。家族として寄り添いたいって言ってくれた!)
その一つ一つの言葉を、今でも鮮明に覚えてる。同級生同士じゃなくて、家族として悠人君と繋がったことに、生まれ変わった心地さえする。
……だから。
月乃ちゃんが悠人君に告白したことに、私は何一つ、反対する権利なんてないんだ。
(月乃ちゃんも、悠人君のこと好きだったんだ)
もう、諦めたはずだったのに。
悠人君とは家族として生きていくつもりだったのに。
だから、悠人君への恋心は必死で隠してきたつもりだった。いつか悠人君を家族として見れるようになって、この恋心が消えてしまえばいい。そう真剣に願ってた。
それなのに、悠人君と月乃ちゃんが交際することを想像する度に、胸の奥がちりちりと焼けるように疼く。
だからこそ、明日はきっと忘れられない一日になるんだろうな。
家族としてじゃなくて、一人の少女として初めて悠人君とデートするんだから。
そうしたら――私の初恋も、終わるのかな。
「……悠人、君」
小さな頃、悠人君に会えない寂しさに何度もそうしたように。
ぎゅっと、宝物のぬいぐるみを抱きしめた。
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