第26話 食卓/むかしむかし/今度の日曜日
宜しければ、ブックマークと評価をして頂ければ励みになります
日向の風邪が完全に治ったのは、それから三日後のこと。
月乃ちゃんに、改めてお礼がしたいんだ――そう日向に頼まれて、俺たちは月乃を誘って三人で食事会をすることにした。月乃には世話になったし、俺も賛成だった。
まあ、本音を言えばちょっと不安ではあったけど。
何しろ、月乃は日向が俺の初恋の人だってことを知っているわけで。ちょっとしたことで修羅場な空気になったり……なんて、月乃に限ってないよな?
テーブルにあるのは、色とりどりの寿司。月乃が家に来るならちょっとは豪華にしようと、俺と日向が半分ずつ出して購入したものだ。
月乃はいつものクールな表情で、しかし目を輝かせながら、
「いつもご飯は家で食べてるから、お寿司なんて久しぶり。ねえ、悠人。もしこんなお寿司が食べたいって言ったら、作ってくれる?」
「そうだなぁ、これだけ立派なやつならまずは板前に入門しないと難しいかな」
「そっか。頑張ってね、応援してるから」
なんか激励されてしまった。えっ、俺寿司職人になるの?
しかし、改めて不思議な光景だなって思う。
一人は学校のみんなから絶大な人気を得る、俺の初恋の人である向日葵の女神。
もう一人は神秘的な雰囲気だと周りから噂され、俺の幼馴染である月の天使。
そんな二人と食卓を囲む日が来るなんて、自分でも意外だ。
ふと日向を見ると、彼女はどこか消沈したように目を落としていた。いつもと違う、元気のない姿。
そんな日向に、月乃が声をかける。
「日向さん、体調が戻って良かったね。生徒会のみんなも喜んでたよ?」
「……うん、そうだね」
日向が、部屋に飾ってあるバスケット型の花束に目を向ける。これは生徒会のみんながお金を出し合って、日向に快気祝いとしてプレゼントしたものだ。
けれど、日向は申し訳なさそうに花束を見つめている。
まるで、これだけの信頼を裏切ってしまった、と言わんばかりに。
「日向さん、どうしたの? せっかくのお寿司なのに、落ち込んでるみたい」
「……悠人君と月乃ちゃんに、改めて言いたいの」
手元に箸を起き、日向が頭を下げる。表情が分からないくらい、深々に。
「二人共、迷惑をかけちゃってごめんね。本当なら、風邪くらい私一人で治すべきだったのに。二人の手を煩わせちゃったことが情けない。これからは、こんなことがないようにするから」
ぽかん、とした表情を浮かべる月乃。
けれど俺は、何となくこうなるんじゃないかって思っていた。
「この前も言ったけど、俺も月乃も何とも思ってないんだ。だから、どうしてそんなに謝るのか、俺には分からない」
「そんなことない。月乃さんは私の代わりに生徒集会に出てもらったし、悠人君は家事をしてくれた。全部、本来は私がしなきゃいけないことなのに」
さっきから、胸のざわめきが止まらない。
ただ看病をしただけなのに、過剰なくらい謝罪をする日向。その姿は俺の知っている、誰にも愛される向日葵の女神からかけ離れていた。
そこで、俺は以前から疑問だったことを日向に尋ねる。
「少し気になってたんだけど、日向が風邪に罹ったのって聖夜祭の準備で忙しかった頃だよな?」
躊躇いながらも、口にした。
「もしかして日向は、自分の体調が悪いってことに気づいてて、それでも無理をして生徒会の活動をしてたんじゃないのか?」
「…………そんなこと、ないよ」
そう口にする日向の目は、明らかに視線を逸らしていた。やっぱり、日向は笑ってしまうくらい真面目な性格なんだ。
こんなにも、嘘をつくのが下手なんだから。
きっと日向だって、休んだ方が良いことに気づいてたはず。それでも無理を通して、こうして風邪で倒れてしまった。
「聖夜祭の準備も、それに風邪をひいたことも。どうして一人で何とかしようとしたんだ? 日向が責任感が強いってことは知ってるけど、俺には無理をしてるように見える」
「……そう、だね。多分、ちょっとだけ背伸びしちゃったのかな」
何かを諦めたように、日向は口にする。
「あーあ、残念だな。私のちっぽけなとこなんて、月乃ちゃんにも生徒会のみんなにも、それに悠人君にも見られたくなかったのに。そのために今まで頑張ってきたのにな」
「……日向さん?」
呆気に取られる月乃に、日向は困ったような笑顔を浮かべる。
「ずっと昔の話だよ? あるところに、小さな女の子がいたんだ。その子は生まれた時からお父さんがいなくて、だからかな、自分が誰にも愛されない子どもだって思ってたんだ」
突然の昔話めいた語りに、俺も、それに月乃も言葉を失くしていた。
思い出すのは、ぬいぐるみを手にして日向が口にした、いつかの言葉。
――えっと、昔の話だよ? 子どもの頃、あんまり友達がいなかったから。
その女の子って、もしかして……。
「でもね、ある日女の子は気づいたの。誰にも愛されないなら、誰かに愛されるように頑張らなきゃって。だから、その女の子は努力した。家事を覚えてお母さんに喜んでもらえた。勉強をたくさんして先生に褒めてもらえた。笑顔の練習をして友達と仲良くなれた」
三人だけの部屋に、日向の声だけが響いている。
「でもね、その子はある日、ふと思ったの。もし私が他人にとって理想の優等生じゃなくなったら――」
そして、俺は確かに見た。
向日葵の女神とは思えないくらい、寂しそうな笑顔。
「――みんな、私のことを嫌いになるんじゃないかって」
ああ、そっか。そういうことか。
俺は日向のことを、ずっと特別だって思ってた。生まれながらに真面目で、頭が良くて、優しくて。だからこそ優等生になったのだと思い込んでた。
でも、違うんだな。
日向はみんなに愛されたくて、努力した末に優等生になって――だからこそ、失うことを誰よりも怯えている。
待てよ。じゃあ、日向が生徒会に入ったのも、それに生徒会長に憧れてたのも――多くの人に求められる存在になりたいっていう、理想のため?
「なんて、あくまで例え話だけどね。世の中にはそんな女の子もいるから、私も無理しちゃったのかなって。でも、大したことじゃないから。あんまり気にしないで?」
「……わたしは、日向さんのこと、嫌いになったりしないよ?」
ぽつりと、月乃が消え入るような声で口にする。
学校の誰も見たことがないって思えるくらい、その表情は悲し気だった。
「日向さんが優等生だからとか、そんな理由で一緒にいるわけじゃないよ。日向さんが好きだから友達でいたいの。それじゃ、駄目?」
「……ありがと、月乃ちゃん。その言葉は嘘だって思わないし、とっても嬉しいよ?」
けれど、困惑したような日向の笑みは崩れない。
「でもね、多分その女の子はこう言うんじゃないかな。……私が今まで頑張ってきたのは、誰かに愛されるためだから。その努力を辞めて他人に甘えちゃったら、それまでの自分を否定することになっちゃう、って」
「……そっか」
「ごめんね、月乃ちゃん。なんか、空気が重くなっちゃったね。そんなことよりご飯食べよ? お寿司なんて滅多に食べれないしね」
けれど、そんな日向の声が、俺にはひどく空っぽに聞こえる。
ただの同級生だった頃の俺は、日向のことを完璧な優等生だって尊敬してた。けれど、家族になった今、こうして日向が誰にも見せなかった心の陰と向き合っている。
日向が風邪で倒れて、今夜だけは傍にいて欲しいと言ったあの日。日向が流した涙を見た時から、ずっと考えてたことがある。
俺が、日向のために出来ること。
同級生でも、生徒会の仲間でもなく――家族である俺にしか出来ないこと。
「なあ、日向。頼みがあるんだ」
「……? どうしたの?」
「悠人……?」
日向と月乃が、不思議そうに俺のことを見つめる。
正しいかどうかは分からないけど、俺なりの答えならもう出した。
日向の不安とか、寂しさを終わらせる方法。
俺と日向が、本当の意味で家族になる方法。
「――今度の日曜日、俺とデートしてくれないか」