第23話 女神の不覚/身体、拭いて欲しい/家族なんだから
翌日、日向が起きていないことに気づいた俺は、日向の部屋をノックした。
「日向、大丈夫か? やっぱり体調が悪いのか?」
「……待ってて。今、行くから」
扉が開き、俺は目を丸くした。
体温を測るまでもない、明らかに体調は悪化していた。表情はぼーっとしてるし、額には汗の玉が浮かんでいる。
それなのに、日向はまるで何でもないように、学生服に着替えていた。
「朝ご飯、遅くなっちゃったね。ごめん、簡単な料理でもいいかな……?」
「そんなのいいって。待ってろ、すぐにタクシー呼ぶから。すぐに病院に行こう」
「……うん、そうだね。ただの風邪なら、ちょっと頑張れば学校に行けるもんね」
「えっ――まさか、こんな状態なのに学校に行くつもりなのか?」
「……? だって、今日は生徒集会でしょ? 生徒会長の私がいないなんて、他のみんなに迷惑をかけちゃうもん」
その日向の弱々しい笑顔に、俺は言葉を失っていた。
本気だ――日向は真剣に、自分より生徒会の方が優先だと考えている。
「気持ちは分かるけど、無理は絶対に駄目だ。もしただの風邪でも、医者が止めるようなら学校は休んだ方が良い」
「でも……」
日向が歩き出すがたった一歩でよろけ、慌てて俺は身体を支える。
「ほら、まともに歩くことも出来ないじゃないか。生徒集会なら副会長の月乃に任せて、今日は寝てた方が良いって」
「…………」
もう、日向から反論はなかった。苦しそうに瞼を閉じるだけだ。
その後、日向に付き添って病院で診察してもらうと、幸いにもただの風邪だったらしい。
けれど症状は悪く、体温は39℃近くもあった。頭痛や咳が酷く、医者からは自宅で安静にするよう言われたらしい。
家に帰った後、俺は濡れたタオルと飲み物を用意して、「日向、入るぞ」と一言口にしてから部屋に入る。
ベッドの上では、パジャマ姿の日向が息を荒くして横になっていた。
冷えたタオルで額の汗を拭くと、日向がぽつりと口にした。
「……気持ち、良い」
「そっか、良かった。飲み物も持ってきたけど、すぐに飲むか?」
こくり、と日向が頷き、ストローが付いたコップを差し出す。
よっぽど熱で水分を失っていたのか、あっという間に飲み干した。
「……ごめんね、悠人君。本当にごめん」
苦し気に、それでも日向が言葉を紡ぐ。
「私のせいで、学校を休ませちゃったね……」
「俺がいなかったら、誰が日向の看病をするんだよ。日向の体調が急変したら大変だし、傍にいるのは当たり前のことだろ」
「でも――」
「でも、とかだけど、とかそういうの禁止。一番辛いのは日向なんだから、他人の心配なんてしなくていいよ。あと、ご飯はどうする? 朝食も口にしてないだろ?」
「……今は、何も食べれないと思う」
「そっか、じゃあお腹が空いたらいつでも言ってくれ。喋るのがつらいなら、スマホで呼び出してくれてもいいから。風邪、良くなるといいな」
そう言い残し、日向の部屋から出る。
担任の教師には、「日向の看病を出来る家族が俺しかいないから休ませて欲しい」と説明するとやけにあっさり認めてくれた。日向と俺が家族であることは連絡済みだし、真面目に生徒会をしている悠人ならサボりはしないだろう、とのことだ。優しい先生で良かった。
あと、保護者である日向の母親への連絡も先生がやってくれたみたいだ。
それから数時間後、スマホにメッセージが届く。相手は日向だ。
――今なら、ちょっとは食べれるかも。
その文面を見た瞬間、気が付けば俺は雑炊を作っていた。そのスピードたるや、多分俺の料理生活の自己ベストを更新してたと思う。
「ごめんね、悠人君。いただきます」
「いや、俺が食べさせてあげるから、日向はそのままでいいよ」
「えっ? でも……」
「無理は良くないって。日向、動くのも辛いだろ?」
「……うん。じゃあ、お願いしようかな」
スプーンを日向の口元まで運ぶと、ゆっくりと食べ始めた。
ほっとした。ご飯が食べれるくらいには良くなってるみたいだ。
「……おいしい」
「良かった。考えてみたら、俺の料理食べてもらうのこれが初めてだな。まさかこんな形になるなんて思ってもみなかったけど」
けれど、日向は夢現の中にいるように、もぐもぐと口を動かすのみ。
やっぱり、意識とか朦朧としてるのかな。それくらい高熱だったし。
実際、日向が食べれたのは半分くらいだった。
「うん、よく食べれたな。他に何かして欲しいこととかあるか? 俺に出来ることなら、何だってするけど」
「……じゃあ、一つだけお願い、いい?」
「どした、何でもいいぞ」
「身体、拭いて欲しい。汗でべたべたして、気持ち悪い」
身体を、拭く。
その一言に、ほんの一瞬だけ俺の頭はフリーズした。
「えっと、それは額とか腕とか、男の俺でも問題ない場所……?」
「……背中が良い。私だと、届かないから」
マジか。
俺が日向の身体を拭く。胸の中で呟いてみても、全くリアリティがなかった。恋人でもない俺が、そんなこと許されるのだろうか。
けれど、俺が動揺している間にも、日向はパジャマのボタンに手をかける。
「ま、待った! 日向はいいのか? だって、俺は男子高校生なわけだし……!」
「……?」
けれど、日向はぼーっと不思議そうにするだけ。駄目だ、多分これ高熱のせいでまともに思考できてない。もしかしたら、汗を拭きたいってことしか考えられないのかも。
慌てる俺を気にも留めず、日向は一つ、また一つとボタンを外し……やがて。
白い肌を露わにするように、日向は下着姿になった。
「~~っ!」
「……お願い、悠人君」
日向が俺に背を向ける。上質な絹を思わせるような、綺麗な日向の背中。
何を考えているんだ、俺は。
日向のためだろ。雑念なんて捨てろ、今はただ無心で日向の世話をしろ。
「じゃ、じゃあ、拭くからな?」
持って来ていた冷たいタオルを、そっと日向の背中に当てる。
日向の肌、柔らかいけどやっぱりすごく熱い。
そう思った途端、日向の口から甘い言葉が零れた。
「んっ――ありがと。冷たくて、気持ち良い」
「……そ、そっか」
日向に聞こえるんじゃないかってくらい、心臓の音がうるさい。
それでも必死で平静を装い、日向の手が届かないであろう場所を優しく拭いていく。その度に日向は「はあっ……」と、まるでリラックスするような吐息を零した。
俺にとって息が詰まるくらい長く感じるけれど、ほんの短い時間。
日向の背中を拭き終わり、やっと俺は一息をついた。
「これで、どうかな。出来れば、他の部分は自分でやって欲しいんだけど……」
「……うん、分かった」
多分、日向は胸の辺りを拭こうとしたのだと思う。
日向はブラジャーのホックに指をかけ、俺は弾かれたように叫ぶ。
「ちょい待った! それは流石に俺が部屋を出た後にしてくれ!」
今の日向って、こんなに思考力が下がってるんだな……。とにかく、日向が身体を拭くなら部屋を出なきゃ。
っと、そうだ。その前に、昨夜日向が着てたパジャマを洗濯しないと。
床に投げ出してあった汗で濡れたパジャマを手に取り――それはもう、石のように固まった。
パジャマに隠れて、汗で濡れた下着が置いてあったからだ。
一緒に暮らしてもう一ヵ月以上経つけど、こんなにはっきり見たの初めてだ。
「え、えっと、パジャマを洗濯しようと思ったんだけど、下着も洗った方が良いか……?」
「……うん、お願い」
やっぱり、今の日向ならそう答えるよな……。何だか、今日はどぎまぎしてばっかりだ。
でも、俺がやらなきゃ。日向の傍にいるのは、俺しかいないんだから。
「ごめんね、悠人君。もう、私の看病はいいよ? 後は一人で出来るから」
「そんなの無理だ。今の日向を見て、放っておけるわけないだろ」
「でも、これ以上迷惑かけたくないから」
……迷惑、か。
「それに、悠人君まで風邪になっちゃうよ? そんなの、私には耐えられない」
「俺は全然構わないけどな。だってその時は、日向が俺の世話をしてくれるだろ?」
日向が、夢見心地のような表情で俺を見つめた。
「きっと俺が風邪をひいたら日向は看病してくれるって思うし、俺はそんな日向にたくさん感謝をすると思う。だからさ、日向が風邪で倒れても迷惑だなんてちっとも思わないぞ。俺たち、家族なんだから」
日向に安心して欲しくて、俺は精一杯優しい笑顔を浮かべる。
果たして、どれだけ俺の言葉が届いたのだろう。
「……ありがと」
ぼーっとしたような日向の表情に、わずかに笑みが浮かんだ。
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