第15話 俺の幼馴染/それはまるで魔法のように/ぎゅっとして?
今度は、確かに聞こえた。
好き、と。
その瞬間、頭の中は真っ白に塗り潰されて、何も考えられなかった。
俺も、そして月乃も何も言わない。月乃は夢見るような表情で俺を見つめていて……やがて、どれだけたっただろう。
まるで、止まった時間が動き出すように。月乃の顔がみるみる真っ赤になっていく。
「~~~っ!」
あたふたと慌てる月乃。そして、まるで恥ずかしさに耐えかねるように、突然ソファにダイブをするとクッションに顔を埋めた。
「つ、月乃……?」
「な、何も言わないで。今は、悠人の声を聞くだけでどきどきしちゃうから。……こんなつもりじゃなかったのに。悠人と一緒に料理したかっただけなのに」
じゃあ、やっぱりさっきの言葉って本心……?
途端に、全身がかあっと熱くなるのを感じた。月乃が、俺に告白をした? 小さな頃からずっと一緒にいた、幼馴染なのに?
「え、えっと、ごめん。もう一度確認するけどさ……俺のこと、好き、って言った?」
こくり、と月乃が頷いた。
「悠人、ずるいよ。あんなに優しく笑いながら撫でるなんて。頭の中ぼーっとしちゃって……気が付いたら、好き、って言っちゃってた」
「……そ、そっか」
やばい。まともに月乃の顔が見られない。
だって、月乃が俺に恋心を寄せてるなんて、今まで一度だって考えたことない。俺と月乃はお隣さんの幼馴染で、それ以外の関係なんて想像もしてなかった。
俺たちにしては珍しいほどの沈黙が流れ、やがて月乃が口を開く。
「小さな頃から、気づいたら悠人と一緒にいたよね。悠人は頼り甲斐があって、傍にいるだけで落ち着いて……いつの間にか、悠人のこと考えると胸がきゅってなるようになってた。幼馴染のままなんて嫌だなって、悠人とは、もっと特別な関係になりたいって」
「……知らなかった。月乃が、俺のことそんな風に見てたなんて」
「わたしも、悠人が好きってこと頑張って隠してたから。……だって、もしわたしが告白しても悠人は振り向いてくれないって分かってたから」
月乃は身体を起こし、切なそうにクッションをぎゅっと抱き締める。
「だって、悠人が好きなのはわたしじゃなくて、日向さんだから」
思わず目眩を覚えるほど、その一言はあまりに衝撃だった。
「……はは、何だよそれ。俺が、日向を好きだって?」
「だから、日向さんが悠人のお姉ちゃんだって知った時、ついにやけちゃうくらい嬉しかった。だから、料理を勉強しようって思ったの。もしかしたら、悠人が振り向いてくれるかも、って思ったから」
「だから、俺は日向に特別な感情なんて……まあ、いいか。今更どっちでもいいからな。仮に片思いしてても失恋確定なわけだし。もう日向に対して未練なんて微塵もないよ」
「嘘ばっかり。悠人、今でも日向さんのことが好きなくせに」
その月乃の一言が、まるで凶器のように俺の心に突き刺さる。
「っ! 何、を……!」
「分かるよ、それくらい。わたしは、十年以上も悠人と一緒にいる幼馴染なんだよ? ……まだ、日向さんのこと忘れられないんだよね。悠人って一途だもん」
嫌な汗が背中を伝う。月乃は、俺の全てを見抜いている。
「悠人の気持ち、分かるよ。ほんの数日前まで同級生だった女の子が、今日からお姉ちゃんですって言われても納得なんて出来ないよね? まだ恋は終わってないのに、片思いすら許されないなんてとっても辛いよね?」
誰にも見せることの出来なかった傷を、月乃が撫でる。
それは俺が心の何処かで求めていた慰めで、月乃の一言一言が胸に沁みるように響く。
「ねえ、悠人――わたしじゃ、ダメ?」
それは、まるで天使のような優しい言葉だった。
戸惑う俺に対し、月乃が浮かべるのは柔らかい微笑み。
「悠人が日向さんのことを好きなのは、知ってるよ? だからこそ、日向さんのことを忘れるために、わたしと付き合って欲しいの。恋人が出来れば、日向さんへの恋心も冷めるかもしれないでしょ?」
「なっ――それ、は……」
「それとも、悠人はわたしのこと、嫌い?」
「そんなことない! そんなことない、けど――」
本当に、それでいいのか。
日向を一人の少女ではなく姉として見たい、というのは俺の切なる願いだ。そのために他の女の子と交際するのは、確かに合理的だと思う。
でもそれは、月乃の気持ちと向き合ってるって言えるのか?
月乃がソファから立ち上がり、ぐい、と座っている俺に詰め寄る。
俺を押し倒す寸前のような姿勢のまま、月乃は頬を染めて口にする。
「悠人、好き」
「つ、月乃……っ!」
「好き」
「………………」
吐息さえかかりそうなほどの距離に、心臓が止まってしまいそうだ。
俺にとって月乃は、かけがえのない存在だ。誰よりも大切な幼馴染だ。
そんな女の子に、好きだ、って言われて嬉しくないはずがない。
だけど……だけど。
「ごめん、月乃。……俺、月乃とは付き合えない」
月乃が、息を呑んだ。
罪悪感で胸が苦しい。でも、この感情だけは誤魔化しちゃいけないと思う。
月乃は俺の幼馴染だから。上っ面だけの言葉なんて、言いたくないから。
「月乃の言う通りだよ。俺、まだ日向のことが好きなんだ。だから、月乃の気持ちには応えられない」
「……でも、悠人は日向さんのこと、忘れたいんでしょ? だったらわたしと――」
「そんなの絶対に駄目だ。好きな人がいるのに月乃と付き合うなんて、お前の気持ちはどうなるんだよ」
「それでもいい。悠人と付き合えるなら、わたしのこと好きに利用してもいいよ?」
迷いなんて微塵もないその言葉に、思わず言葉に詰まった。
「わたしは、悠人にとっての特別になりたい。そのためなら、わたし以外に好きな人がいても構わない。……わたしなら、悠人がして欲しいこと全部してあげるよ?」
それは、悪魔の囁きにすら聞こえた。
もし、月乃の優しさに甘えたのなら。俺は日向への恋を終わらせることが出来るのかもしれない。月乃と幼馴染以上の関係を築くことが出来るかもしれない。
でも、俺の決意は変わらない。
「いつか、月乃は言ったよな。俺のこと、片思いを忘れられない女々しい男だって。多分、それ当たってるんだ。……俺さ、もし月乃と付き合っても、日向のことを思い出しちゃうと思う」
俺を見つめる月乃の瞳を、真っ直ぐ見つめ返す。逃げない、絶対に。
「小さな頃から一緒にいた誰でもない月乃だからこそ、そんな中途半端な気持ちで付き合うなんて絶対に嫌なんだ」
「……そんなに、日向さんのことが好きなの?」
「ごめんな。月乃の言う通り、忘れなきゃいけないんだと思う。だけどさ……初恋、だったんだよ。好きだって感情が芽生えた女の子、日向が初めてだったんだ」
初恋は魔法に似ていると思う。気が付けば一人の少女に夢中になっていて、その娘のことを思うだけで無敵だった。日向が振り向いてくれるなら、何だって出来る気さえした。
でも、この世界に魔法使いなんていないから。
かけられた魔法を解く術は、俺も、そして日向でさえも知らない。
「情けないよな。日向が家族だって分かった日から、初恋は諦めるって決めたはずなのに。日向の顔を見るだけで、あの頃のこと思い出しちゃうんだ。月乃の気持ち、本当に嬉しいのにさ。俺は……俺は――!」
そう、口にした瞬間だ。
柔らかく包み込むように、月乃が俺の身体を抱きしめた。
「もういいよ。ちゃんと話してくれて、ありがと。……悠人、辛かったよね。それくらい、日向さんのこと好きだったんだもん」
「……ごめん、月乃」
「謝らなくていいよ。だから、そんな泣きそうな顔しないで? ほら、いいこいいこ」
ぽんぽん、と。子どもをあやすように、月乃が俺の頭を撫でる。
「……もう子どもじゃないんだから撫で撫では止めてくれ、って言ったのに」
「悠人もさっきわたしにしたから、そのお返しだよ?」
ほんとに、月乃は優しい。泣いてしまいそうなくらい。
「でも、フラれちゃったね。残念、悠人のことずっと好きだったのに」
「……ごめん」
「別にいいよ? わたしも、まだ悠人のこと諦めてないもん」
「えっ……?」
「自分でもびっくり。いつまでも日向さんのことを好きな悠人を一途だって呆れてたけど、わたしも同じだったみたい」
月乃が俺から離れる。月乃の表情に浮かぶのは、告白を断れた少女とは思えないような、はにかんだ笑み。
「だって、悠人は日向さんへの初恋を忘れて家族になりたい、って思ってるんだよね? もし悠人が日向さんへの想いが冷めたら、その時はわたしにもチャンスがあるでしょ?」
くす、と月乃は笑みを零す。
「今はまだ悠人の恋人になれないけど、その時になったらまた告白してもいい? ……悠人が他の女の子と付き合うかも、って考えるの、もう嫌だもん」
躊躇いなく口にする月乃に、俺はただ目を見張るばかり。
同じなんだ、俺も月乃も。
お互い恋が実らないと理解していて、それでも想い人が忘れられない。違うのは、俺は必死で忘れようとして、月乃は必死で叶えようとしている。
誰かに恋い焦がれる衝動は、人を何処までも突き動かすものなのかもしれない。
「なあ、月乃。一つだけ約束させてくれないか?」
一度だけ大きく深呼吸をして、はっきりと言葉にした。
「俺は、日向と家族として暮らせるように努力する。でも、俺が日向と一緒にいるときっと月乃は不安になると思うから。俺が初恋を忘れるまで、月乃のどんなお願いも断らないって約束させて欲しい」
それが、月乃のために出来る俺なりのケジメだ。
日向を忘れられない俺のせいで、月乃には悲しい思いをさせてしまったから。だから、月乃が俺にして欲しいことなら、全部叶えてあげたかった。
「どんなことでもいいの? じゃあ、キスして?」
「……ご、ごめん。どんなお願いも、っていうのはやっぱ無しで」
「約束して五秒で撤回するのは、どうかと思うな」
「し、仕方ないだろ! まさか、そんなハードル高いこと言うなんて思ってなかったし。美味しい料理が食べたいとか、それくらいのことかと……」
「冗談だってば。本気で悠人にキスして欲しい、なんて思ってないよ? まだ日向さんが好きなのに誰かとキスなんて、出来ないもん」
ぐぬぬ……。なんか、弄ばれた気分。
「で、でも、出来るだけ月乃の頼み事は叶えるつもりだから」
「そうだなあ。じゃあ……ぎゅってして?」
俺にもたれかかるように、そっと月乃が倒れ込む。
このまま、背中越しに抱きしめて欲しいってことだろうか。
「こんな風に悠人に抱きしめてもらうの、憧れてたんだ。それとも、これもダメ?」
……べ、別に、これくらい普通だよな? だって俺たち、幼馴染だし。
「そ、そんなことない。えっと、こうか……?」
ぎこちなく、大切な宝物を傷つけないように丁寧に。月乃の身体を抱きしめる。
ふわりと香る、甘い匂い。手のひらに伝わるあたたかいぬくもり。
不思議だった。どれも小さな頃から知っているのに、こんなに動悸が激しくなるなんて。
やっぱり、月乃に好きだと言われたから、だろうか。
「ありがと。こうしてどんなお願いも聞いてくれるなら、フラれるのも悪くないかな。この世界でたった一人、わたしだけの特権だもん」
「……俺みたいな普通の高校生にどんなことでもします、って言われても喜ぶ人、いないと思うけどな」
「そんなことない。少なくとも、わたしにとっては特別だよ? 今まで悠人は、わたしのこと幼馴染としてしか見てくれなかったもん。こんな風に恋人らしいことが出来るなんて、夢にも思ってなかった」
そうかもしれない。確かに俺は、月乃のことを一人の少女として見たことはあまりなかった。それくらい、小さな頃からあまりに一緒にいすぎた。
「覚悟してね? 悠人が日向さんのこと忘れるまで、たくさん甘えるから」
月乃の体温を感じながら、ふと思う。
いつかまた、月乃は必ず俺に告白をするだろう。
もし、その時。日向への恋心を諦めていたなら――俺は、月乃と幼馴染以上の関係になるのだろうか。
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幼馴染から一人の少女へ。悠人と月乃は大きな変化を迎えました。ここから月乃の甘々が急加速するかも?
次話からは日向のエピソードが始まります