【すき焼きが食べたい】後悔
「ねえ」
「どうかした? 今更怖くなった」
大量の敵を前にして怯えている彼女を見て私は、安心させるために少し茶化しながらそう言った。安心してくれればいいと思ったけど、この状況ではその言葉は弱くて、
「……かもね」
顔に影を残したまま彼女はそんな言葉を低い声で返してきてしまった。
だけど、私はそんな彼女の顔が見たくなくて、本当は言いたくもないある言葉を彼女の為に吐き出すことにした。
「誰にだって、恐怖を感じる瞬間くらい、あるよ。怖いなら、やめたっていい――でも、やらなくちゃ……ね」
だけど、その言葉を言った後にやってくるのは目の前でぐつぐつ煮える地獄への恐怖。臆病な私は、すぐにさっきの言葉をなくしちゃうような一言を漏らしてしまう。
「そうか」
「ねえ、もし過去に戻ってやり直せるとしたら、君はどうしたい?」
こんな場所では似合わないかもしれないけど、少しでも彼女を安心させる事が出来ればいいな……そんな事を思う資格すらないかもだけど、ただ私が憧れた彼女には頑張って欲しいから、そんな無責任な事を言ってしまった。
「過去に……?」
「そ、過去に。いろいろあるじゃん? あの時ああしといたらなあとか、そういうの」
「そだね。ボクにもいろいろある」
「ウチもさ、もうちょっと遊んでたらよかったなーとか、親孝行してあげればよかったなーとか」
脱線していく話題のおかげか、彼女はいつもの調子を取り戻したのか少し笑ってくれた。
「結構遊んでたけどね」
「それはそうだけど――もー調子狂うな。まあそんなわけで、ちょっと気になっただけ。いろいろ後悔したことはあるけど、それでも今の自分をちゃんと褒めてあげたいし」
あははと、自分も釣られるようにして笑って過去の事や今の自分の心中を彼女に向かって話していく。
「スオウらしいな」
「はい、この話おしまい。それじゃあ」
「ボクは、ボクはすき焼きが食べたいな」
今更か……あぁ、もっと早くその言葉を私は聞きたかったな。
「……ん、どうかした? というかなしてすき焼き?」
「いや、過去に戻って何がしたいかって。ボクはすき焼きが食べたい。君と一緒にハフハフ言いながらすき焼きが食べたいなって。脂がのった肉をとろっとろの卵に絡めて食べるの。とってもあまじょっぱくておいしいのを、一緒に食べておいしいねっていうんだ」
「……いいね、それ」
そんな彼女の独白に本当に遅いなと思いながらも、私もそう思ってしまったから同意してしまった……もう遅いのに。
「デザートはゆずと抹茶のアイス。口の中ちょっとやけどしたところにしみるんだ。そして、そしてさ」
「うん、うん。わかるよ、それ」
彼女が感じる辛さも、ずっと一緒にいた私は分かる。
だけど、もう遅いから、止めて欲しい。
「そんなこと、してみたかったなあ…………」
きっと彼女は今食べるかもしれなかったすき焼きの味を噛みしめているからこそ、煙たい天井を見ているのだろう。
「……なんかごめんね、あとありがと。そう言ってくれて」
「スオウ!」
ごめんと、そう言いたいように叫ぶ彼女。
あぁ分かってしまった。もう彼女はこいつに挑む勇気がないんだろうという事を……しかたないな、許してあげるよ。
だから私は、
「あはは、そんじゃあねー。さよなら」
彼女をこの場から返すことにして、一人で悪魔の釜に挑むことにした。
ぐつぐつと煮える地獄の釜……数多の野菜達が沈み、辛みを奪い続けた修羅道。
あぁ、私も辛い食べ物苦手だし、食べれないんだよなぁ。
最後にそんな事を考えながら私は器と箸を取り、何種類もの唐辛子を使って生み出された激辛キムチ鍋を一人で完食することにした。