どんな早朝よりも幻想的な場所
ーどんな早朝よりも幻想的な場所ー
静かに流れる穏やかな水の音で小さな彼は目を覚ましました。なにやら広い川の中州にいるらしくそこは(大人の人間の)拳大の白い石ころだらけで、広くはない代わりに決して狭くもない、そんな場所でした。そして水辺で冷える空気とはまるで違う、得体の知れない冷気を感じ二度ほど赤い身体が震えました。
頭上には隙間なく白い霞が掛かっていました。それもまた雲や霧ともどこか違う、煙のようなあるいは夢のなかの空白のような霞でした。単色の世界で聞こえるのは静かな水の流れだけ。そこはどこのどんな早朝よりも幻想的な場所でした。寝起きの小さな彼が直ぐに分かったことは、この得体の知れない寒さは霞がもたらしているに違いない、と言うことでした。小さな彼は取りあえず水辺に移動しました。そのとき自分が宙に浮かべない不思議を体験し、そんなことは生れてこの方一度もなかったことだったので本当に不思議でした。考えるでもなく浮かぶ身体がどうしてか浮かばない・・・小さな彼は今ここで怖がってしまったら底なしの恐怖に襲われてしまうかもしれない、と咄嗟に判断したので、とりあえずは何かを叫ばぬよう口元に留意し、水の流れる音がする方へといくつもの白い石の上を踏み歩きました。上を歩いているだけでしたがそれでも白い石は、石からぬ軽さを感じました。
ゆっくり流れている透き通った川底にも同じ様な石がびっしりと敷かれていました。向こう岸は霞のせいで見えないのか、遠すぎて見えないのか分かりませんでした。
そのとき、まるで小さな彼が水辺にくるタイミングを見計らったかのように、すぐ目の前を白い風船が流れてきました。小さな彼は風船を捕まえようとして川に入り両手で掴んだはずでしたが、白い風船はそのまま流れて行ってしまいました……
水音を残し流れ去る白い風船が霞の先に消えると思い出した記憶があったので、クモの子供を呼ぼうとしたのですが、彼は名前を持っていませんでした。そこで「お~い!」と呼びかけました。
思わず声を出してしまったことで、予想していた通りの「底なしの恐怖」が沸き起こってしまった小さな彼は身体を真っ赤にして泣き出しました。そしてもっと大きな声で名前のないクモの子供を呼びました。でもそれは誰にも、どこにも響くことはなく、耳を塞いで大声を出しているようなくぐもった感じでした。自分の声は直ぐそこで行き止まり、寒気のする幻想的な世界にも、心細さを丸ごと圧し潰した恐怖に襲われる身体のなかのどこにも声の行き場はありませんでした。
ついに声が枯れ始めました。川の流れは中洲のパニックになどまるで無関心なほど静かで、水辺に転がる白い石を洗うリズムにも変わりはありません。
頭上にあった霞が小さな彼の真っ赤な身体を包もうとしてその厚みを増し、小さな彼の意識は瀬戸際に追いやられました。そのようにして声の枯れたパニックに最後の火が放たれようとしたときです。ここにきて初めてクモの子供に意地悪したことを声に出して謝ったのです。するとその言葉は耳を塞いだ手を払いのけ、もしかすると向こう岸まで響くような残響を川面に、霞の中に、沢山の白い石に残したのかもしれません……
「意地悪してごめんなさい!!・・さい!!・・・さい!!・・・・さい・・・・・」