2-26
自室へ戻るとカリィが掃除をしていた。
「おかえりなさいませ」
「ええ。カリィ、あなたに不安な思いをさせてしまった。申し訳ない」
「いえ、そんな事は…全然大丈夫です」
彼女はそう言って笑顔を見せた後、掃除を再開する。
大丈夫と言うが、暴走時、彼女が見せた不安な表情を私は忘れない。
魔法禁止期間中、何をすべきか考えなければならない。
「カリィ!屋上の洗濯干すの手伝ってえ!」
メイドの一人が戸口から大声でカリィを呼ぶ。
「…あ、すみません…」
私がいると知らなかったのだろう。口を押さえるいる。
「掃除終わってからでいいから」
「はい、分かりました」
「失礼しました…」
「いいえ」
メイドはお辞儀をして去っていった。
「失礼します」
「ご苦労さま」
掃除を終えたカリィが部屋を出ていく。
部屋には私一人。
机の上には、魔法陣が書かれた紙が散在していた。
それを全部、抽斗にしまう。
今は必要ない。
自分の研究よりも隊員達をどう指導していくか、それが目下の問題。
ベッキーが魔法を暴走させてしまったのは、私の指導が間違っていたことに他ならない。
二系統の魔法を同時に扱っていけない、という基本中の基本がきちんと伝わっていなかったのだ。
ベッキー達は魔法士のとして、出遅れている。
そこで私は魔法力にの扱いに慣れてもらうため、論理的、体系的な知識は教えずに、すぐに基本的な魔法のみを教え、実際に魔法を発動させる訓練を実施した。
魔法力の扱いに慣れてくれなければ、先には行けないとそう思っていたのだ。
しかし、それは間違っていた。
ただ魔法を教えただけではいけなかった。
魔法とはどういう物なのか、論理的、体系的な知識を教え、彼らがそれを理解しなければ魔法士として成長できない。
私自身がそうであったように。
しかし、論理的、体系的知識を教えるのは難しい。
ここには教本がないから。
シファーレンを追放される時、魔法に関する書物は没収され持ち出すことはできなかった。自分の研究を記したものでさえも…。
私自身が研究した分は、頭の中にあるから問題ない。
「せめて初期の教本あれば…」
ないものねだりをしても始まらない。
「ないなら…作るしかない」
しかし、作るとなると紙とインクがいる。
私用の分はある。これで何とか一冊分くらいは…。
魔法を勉強し始めにもらった教本は、初期の分とはいえかなりの厚さだった。 紙は無駄にできない。できるだけ簡潔にして紙の消費を抑えよう。
しかし、隊員達の分は…どう見ても足りない。
紙があるのは…執務室だろう。
これ以上の迷惑をウィル様達にかけたくはないが…。
「さすがに、ただでもらうのは…何か対価になるものを…」
何かあったはず…。
チェストから鞄を引っ張り出す。
「確か、中に…」
鞄の内側にはポケットがあり、そこに王都で買った水晶を入れていた。
小さな水晶の原石三つ。大きさは小指の半分程度。
「あった…」
旅費に困ったら使おうと持ってきたが、ぎりぎり間に合い、鞄に入れたままチェストにしまってあったのだ。
買った理由はまだある…。
一つ数十ルグ、三つで百ルグに満たない物では何の足しにもならないが、何ももって行かないよりはいいだろう。
「失礼します」
「やあ、エレナ。どうかした?」
「ちょっと頼み事ありまして…」
「頼み事?」
ウィル様は何か書き物をしてたようだ。
リアン様、シンディも作業中の模様。
「紙とインクを分けていただきたい」
「ああ、構わないよ。シンディ?」
「かしこまりました」
シンディが立ち上がる。
「出来れば、その…沢山…」
「…沢山?」
「何に使うの?」
リアン様が少し訝しげに私を見る。
「魔法の教本を作ろうかと」
「教本?」
教本を作らなければいけない考えに至った経緯を説明した。
「なるほど、そういう事なら好きなだけっと言いたいけど…どれくらい余ってたかな?」
シンディが棚から紙の束を持ってくきた。
便箋程度の大きさで厚みは人差し指ほど…多いとは言えない。
「ここにあるのはこれだけです」
「僕達も使うから…えっと、半分くらいなら…」
そう言ってシンディを見る。
「あの…まだ書かなければいけない書簡がありますので…書き損じも考慮にいれますと、お分けするん分はあまり…その、申し訳ありません」
「いえ…」
シンディは頭を下げる。
「ここ執務室以外に保管はしてないのかな?」
「あるにはあるのですが…その…」
ある?。
彼女は気まずそうにリア様を何度も見る。
「何で私を見るのよ?私の部屋にはないわ」
「そうではなくて…」
「何なのよ。はっきり言いなさい」
躊躇うシンディにリアンは苛立つ。
「はい。保管場所は書斎です…」
「え…」
「あ…」
「申し訳ありません」
書斎…。なるほど、リアン様には言いづらい。
「はあ…」
リアン様はため息とともに、こめかみを押さえる。
「んー…」
彼女の事を考えると、無理強いはできない。
「紙はいりません。別の…」
「書斎開けちゃっていいわ」
え?。
ウィル様とシンディも驚いてリアン様を見る。
「よろしいのですか?」
「いいもなにも必要なんでしょ?ここで私が拒否したら、意地悪してるみたいじゃない?」
「そんな事は…」
「まあ、いいから。早く持って来なさい。私はここで待ってるから」
「ありがとうございます」
リアン様に頭を下げた。
一応、ヴァネッサも呼び書斎を開ける事となった。
「あんた達、リアンに何て言ったの?」
「何と言われても…」
私が状況を説明する。
「それだけ?」
「そう」
「ふーん…」
彼女はそれ以上は何も言わず腕を組むだけ。
私達の前でガルドが、書斎のドアに打ち付けられていた板を取り外していく。
板を外し終わった書斎のドアの前、一同が立ちすくむ。
「何やってんの…入りなよ」
「ヴァネッサから」
ウィル様は苦笑いを浮かべヴァネッサから入るようお願いする。
「誰からでもいいでしょ…」
ドアノブを掴んだままヴァネッサは動きを止める。
「ヴァネッサ?あの…」
動かない彼女にウィル様は声をかけるが、ガルドが彼の肩に触れ、首を横に振る。
ヴァネッサは大きく息を吸った後、ドアを押し中へ入る。
書斎の中は暗い。西側に窓はあるが、シュナイダー様が亡くなった当時破られおり、風雨が入らないよう板で塞がている。
私は杖を光らせ、中へ入った。
部屋の中央に大きく立派な机と椅子、その後ろに本棚がある。
机と椅子には埃がつかないよう布が被してあった。
ヴァネッサは東側の壁を見つめたまま動かない。
「ヴァネッサ、大丈夫?」
「シュナイダー様はあそこで息を引き取った…」
「…」
壁にはシミがある。その下の床には布が敷かれている。そこには血の跡があるのだ。
ガルドが敬礼している。
私もシンディもその場を動かない。いや、動けない。
「紙は見つかった?」
ヴァネッサの言葉で皆が動き出す。
シンディが机の抽斗を開け、紙を探している。
「手伝う」
彼女の手元を杖で照らす。
「ありがとうございます」
「僕も探すよ。魔法で何か発光されてくれないか?」
「何か…」
と言われ…そうだ。
手の中の水晶に気づく。それを発光させ、ウィル様達に渡す。
「ありがとう」
「あんた、いつも石持ち歩いてるの?」
「これは石ではなく、水晶」
「え?そうなんだ。何で水晶なんか…」
ウィル様は興味深げに、発光させた水晶を見ながら尋ねる
「これは王都買ったもので、紙の対価にと…」
「対価?別にいらないよ?」
「紙は大量の必要ですので、お納めください」
「ああ…うん…」
ウィル様は気乗りしないようだ。
「あんたが水晶に興味があったなんてね」
ヴァネッサは意味ありげに笑顔で訊いてくる。
「水晶自体に興味はない」
「じゃあ、何で買ったの?」
「水晶は魔法との相性がいいから。何か役に立つと思って」
水晶には魔法を封じ込めたり、魔法力を溜め込む事ができる
その辺に落ちてる石でもできるが、水晶と比べる雲泥の差がある。
水晶以外の宝石類や鉱物と比べても、水晶が一番相性がいい。
「へえ…」
「封じ込めてどうするんです?」
「必要な時に発動させる。予め封じ込めておけば、発動までの時間を大幅に削減できる」
「なるほど」
ガルドが感心する。
「ありました」
シンディは抽斗から紙は束を取り出す。
量は執務室の三倍はある。
「ヴァネッサ、本棚の本は全部シュナイダー様の蔵書?」
「それ日記だよ。趣味の蔵書はあんたの部屋にある」
「日記か…かなりあるね」
「竜騎士になる前から書いてた分らしいよ」
「そう…」
「持ってくるか迷ってましたよね」
ガルドがそう話す。
「国のほうで保管してもらったらどうですかって言ったら…」
「こんな恥ずかしい物、保管する価値なんぞないわ!って、持ってきた」
ガルドの言葉に続いてヴァネッサが話す。
「燃やす、という選択肢は?」
「それはしたくなかったみたいだね」
紙は見つかったので、書斎を出る。
紙の他にインクやペン等、使える物は持ち出した。
「ガルド、元に戻して」
「はい」
ガルドがドアに板を打ち付ける。
「久しぶりに入ったね、ここ」
「はい…」
誰に言ったわけでもないヴァネッサの言葉にガルドが答える。
「申し訳ない。嫌な事を思い出させてしまって…」
「エレナ、あんたが謝る事じゃないよ。必要だから開けただけで、いい思い出じゃないのは、みんな変わらない」
そう言うが、ヴァネッサ一番辛い事は誰もが知っている。
「ここの書斎、僕が使っちゃだめなの?」
ウィル様の思いがけない言葉にその場の全員が彼を見る。
「ウィル様にとっては何でもない場所だが、俺達にとっては絶対に忘れちゃだめな、悔やんで悔やみ切れない事が起きた場所なんです」
「何でもないなんて、思っていないよ。ただ閉ざしておくより開放して、花を飾るなり掃除したり、僕じゃなくても誰か使った方がいいんじゃないかな…」
ウィル様の話を黙って聞いていた。
ガルドが何か言いたろうな表情をしていたが…。
「シュナイダー様はどう思うかはわからないけど…少なくとも納得はしてくれると思う」
ヴァネッサは話終わったウィル様と書斎を交互に見る。
「こんな事でいちいち暗い顔してたら、あの人はいい顔しないかもしれないね…」
「隊長?」
「いいんじゃない?」
「ああ、そう?…反対するものと」
ヴァネッサは特に気にする素振りは見せない。ガルドは眉間にシワをため息を吐く。
「いいけど、リアンにはあんたから言いなよ」
「ぼ、僕から!?」
「言い出したはあんたでしょ?」
「そうだけど…」
「なら、あんたが言いなよ。じゃあね」
ヴァネッサは笑顔で去って行った。
「そんな…ガルド、君から…」
「自分は管轄外なんで…」
「ガルド、早く来な!まだ訓練は終わってないよ!」
「はい!…という事で、失礼します」
ガルドは敬礼して足早に去ってくいく。
「ええ…」
ウィル様は呆然と立ち尽くす。そして、私とシンディを見る。
「あの…わたくしは…」
「いや、分かってる…僕が言うよ」
彼はため息を吐きつつ、私達ともに執務室へ戻った。
執務室へ戻った後、ウィル様は書斎の件についてはリアン様には言わなかった。
というより、言えなかったとうべきか…。
「やっと帰ってきた…」
「ごめん。遅くなって」
「ヴァネッサとガルドがいたみたいだけど?」
「うん。僕じゃ書斎のドアを開けれそうもなかっから来てもらった。それだけだよ」
「そう、で紙は見つかった?」
「見つかったよ。この通り」
シンディが机の上に書斎で見つかった紙を置く。
「こんなにあったんだ」
私は執務室にあった分の紙を頂いた。それとインクとペンも。
「では、これをお納めください」
「いや、だからいらないよ」
「何?」
「水晶です」
水晶と魔法の関係性を説明した。
「へえ、魔法をね…。これ高いの?」
「いいえ。高くはありません」
「意外に多く見つかったし、そもそももらう気はなかった」
「しかし…頂いくばかりでは心苦しいです」
「それじゃ…一つだけ、貰いましょ」
リアン様が三つの内、一番小さい物を取り、残りを私に返してくれる。
「これでいいでしょ。あげる、いらないで争う事はなくなる。こういうの、妥協?っていうんだっけ?」
「そうだね。エレナ、これで手を打とう」
「分かりました」
双方が譲りあう事で、話がまとまる。
「それでは、失礼します」
「うん。教本作りがんばって」
「はい」
自室へ戻り、さっそく教本作りに取り掛かった。
が、初期の教本を思い出しながらの作業はかなり骨が折れる。
できるだけ分かりやすく、且つ簡略化しなければいけないし、誤字脱字にも気をつけなければいけない。
一冊完成させるのに五日もかかってしまった。
「残り五冊…」
目が痛い。
一冊できれば、あとは写し書きするだけだが…。
「写す?…写すだけなら…」
写しだけなら、私じゃなくいい。
本人達にやってもらおう。書くことで覚える事もできる。
魔法禁止期間が終わった。
今日からは通常となる。
朝食後、すぐに宿舎とむかう。
「…ということで、教本を使用した座学をする事にした」
「嘘でしょ…」
「嘘ではない」
私の説明を聞いたベッキーが頭を抱えている。
「ベッキー、学校の勉強も苦手だったよね」
「あああ…」
「奇遇だな。俺もこういうの苦手だ…」
ガルドがため息を吐く。
「僕は得意な方かな…」
「ウェインはね。わたしは得意じゃないけど、特に嫌でもない。ナミは勉強好き?」
「うん、好き。苦手な科目はなかったよ。運動以外は」
「あああ…」
ベッキーの反応は無視して話を進める。
「しかし、教本は一冊しかない」
「え?どうするんですか?」
「あなた達自身で作ってもらう」
「俺達で?」
「そう」
私はテーブルの上に紙とインク、それと人数分のペンを置く。それと麻ひも。
「私が初期魔法おける論理及び体系を説明する。それをあなた達が紙に書いていく」
「それだけですか?」
ベッキーは意外そうに尋ねてくる。
「それだけ」
「なんだ…」
他にやるべき事があっただろうか?。
「学校では、切りの良い所で試験があったりしますよね?」
「試験?確かに…」
失念していた。
「ウェイン!余計な事言わないでよ!」
「ごめん。でも理解しているかどうか確認しないと…」
ウェインの言う通り、理解できずに先に進めるのはよくない。
しかし、試験問題を作る余裕はないし、試験用の紙もない。
どうする?
「定期試験はあるって分かってるからいいけどさ。先生によっては抜き打ちであったよね?いきなり、黒板の前に呼ばれて。なかった?」
「あったな、そういうの」
「うん、あった」
「ありましたね」
「なるほど」
「ああ…もう…。なんで!余計な!事を!言うのよ!」
ベッキーが机を叩いている。
「理解してるか不定期で質問する」
「もう、やだ…」
うなだれる隊員が一人。
「しょうがないよ、ベッキー…」
ナミがベッキーの背中を擦っている。
「理解していない場合は?」
「それは考えていない」
特に必要とは思えない。
ヴァネッサが竜騎士達のお尻を蹴っているが、そんな事はしたくないし私が蹴った所で痛くはない。
「それでは始める。紙、インクは限りあるので節約するように」
隊員の返事で開始した。
座学はやってよかった。
隊員達の成長が早くなったように思える。
ベッキーとガルドは座学は苦手と言っていたが、支障は出ていない。
未だに教えるいう事に違和感があるけれど、私にとっての勉強でもあるので真摯に取り組んでいる。
と、いうのが、ウィル様が領主になってすぐの頃の話。
「この後、色々あってシンシア先生に再開する事が…え?それは後日でいい?そう…」
「エレナ様、もうそろそろ出発しないとぉ…」
「ええ、分かってる。それでは用があるので失礼する」
「失礼しまぁす」
「今日はどこで講義だったかしら」
「今日はサウラーンです」
「だから、リサが来たのね」
「はい。…ちょっと、実家によっても…」
「構わない。遅くならないように」
「はいっ」
エピソード2 終
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