第二話「それは借り物の力」 Part2 of 4
所謂、高級という言葉がつけられるだろう服飾店。
サンドレス《夏仕様のドレス》を筆頭に、夏仕様の衣服を飾るショーウィンドウの前に一人の少女が立っていました。
(グレイって、こういう服が似合う女の子が好きなんだよね)
射手姿のナビーシャのように袖丈が無いが、森木に溶け込むのが目的の色合いだった彼女のとは違って、華麗で可憐んな彩り。
そんなサンドレスを見ながら、アビーシアはゆっくりと溜め息を吐きました。
(やっぱり、高いよね)
値札がはありませんでしたが、それぐらいは分かります。
(ん~。貯めてきたお小遣いで足りると思うけど……)
もし、買えたとしても、今の背丈では似合いません。
せめて、あと数年は待たないと駄目です。
(衝動的に買っちゃ駄目ッ! 我慢しなきゃ!!)
アビーシアは憂鬱な表情で、そっと、踵を返しました。
(こんな事で悩むのも、あんな目を向けられたから……)
グレックに向けられた熱い眼差しを思い出して、つい顔を赤らめます。
(けど、まさか、未来の私を好きになられちゃうなんて……。私は自分の将来を知りたかっただけなのに……)
同時に、今の自分が向けられている――手間のかかる妹を見守るような暖かい眼差しも思い出して、|未来の自分に嫉妬を募らせました。
そして、胸元のペンダントの東西南北に伸びている出っ張りに突き刺さんとばかりに、手の内側を刺激されて――。
「痛ッ」
無意識に強く握っていた手を開くと、アビーシアは羅針盤をじっと見つめます。
(でも、もしも、これが無かったら、ノエルが……)
自分が想像してしまった惨劇を追い払おうと、彼女は必死に頭を振りました。
「そうよ! 今と未来。どっちも私は私ッ! 今の私の魅力で振り向かせてやるんだから!!」
そう大声で叫びたくなるも、場所はお昼を迎える直前で、人通りの激しい街中。
だから、拳を握ると、心の中だけで、思いっきり、自分の思いを叫びました。
「はい。お嬢ちゃんも」
そんな時、突然、眼前に出された一組のチケット。
そこには半裸の男三人が、二人半程の大きさの牛と向き合った絵が描かれていました。
顔をあげたアビーシアの前に居たのは――。
口から長い舌を出して、髪の代わりに蛇の鱗が頭を覆っているスキンヘッドの男性。
山羊の特徴的な捻じ曲がった角が生えている以外は、普通の男性と変わらない姿の男性。
顔全周を黄金色の毛で覆った獅子顔の男性。
手提げ看板を片手にした三人の獣人達でした。
「荒野から捕まえてきた牛と戦うんだ」
「俺達、トリオ・ザ・キメラを応援に来てくれよ」
彼らはそう言うと、道行く人達にチケットを渡すべく、散開しました。
アビーシアはもらったチケットに目をやるも――思わず、可愛い唸り声をあげてしまいそうになる程に、聞きなれない用語ばかり。
だから、プロレスラー三人が巨牛と戦う事ぐらいしか、内容を理解出来ませんでした。
(グレイの出てる大会って、プロレスの人と当る可能性もあるのかな?)
アビーシアはグレックと彼らが戦っている様子を想像しようとするも、話には聞いた事があっても、実際にプロレスを見た事はありません。
その為、何か分からないうちに、グレックが彼ら三人を倒してしまう光景しか思い浮かびませんでした。
(うん! 誘ってみよう。そして、未来のじゃない!! 今の私の魅力で、グレイを振り向かせてやるんだ!)
アビーシアがそう決意をした時でした。
「アビー。こんな所で何をやっているんだ?」
「ひゃん」
突然、その思い人に声をかけられ、可愛らしい悲鳴をあげると――そぉーっと、恥ずかしそうな顔をしながら、アビーシアは振り向きました。
「おっ! パーカーしか着る気が無いんだと思ってたけど、こういう袖無しも着る気があったんだな」
グレックはアビーシアの後ろを。
服飾店のショーウィンドウの端に飾られていたトレイル・ベストに目をやりながら、半ば馬鹿にするように声で問いかけます。
「か、関係ないよ。グレイにはさ」
「おいおい。関係ないって事はないだろ。似合うと思うぜ」
思わぬ言葉に喜色を浮かべて、気づいた時には、チケットを握っていた手に力を入れてしまっていました。
(それってさ。私の服を気にしてくれてるの?)
グレックが口を開くのと、アビーシアがそう訊ねようとしたのはほぼ同時でした。
「アビー。それは?」
「あ! こ、これ? 今週末から、中央広場にサーカス団が来るでしょ」
初代町長の家名をとったコルバート広場というのが正式名称ですが――街の中心にあるという事で、中央広場と呼ぶ人の方が多いのです。
「そこでやる興行の一つなんだって」
受け取ったチケットの皺を直しながら、グレックは読み進めていきます。
「ふーん。ハンディマッチか」
(それ、意味を聞きたかったんだよね)
アビーシアは好奇心に目を輝かせながら、問いかけます。
「ねぇ。グレイ。如何いう試合なの?」
「ええっとだな」
グレイは腕を組み、難しい顔をしながら、話を続けます。
「例えばさ。俺とアビーが走って、ゴールするまでの早さを競ったら、十回中七回は俺が勝つよな?」
「ふん。私の足はこれから伸びるんですぅー」
アビーシアは顔をむすっとさせながら、返事をしました。
「怒るなよ。例え話なんだからさ」
「それで? 本題は何なの?」
「もしも、アビーが走る距離が百メートルで、俺の走る距離が百五十メートルだったら……どうなる?」
「私が圧勝するけど、それって、ずるだよ」
「百三十メートルだったら?」
今度はアビーシアが腕を組み、難しい顔をしながら、ゆっくりと口を開きます。
「勝て……。うーん。勝てる……かな」
そうは言うも、自信無げなアビーシアを見て、グレックが苦笑しました。
「どっちが勝ってもおかしくない試合環境を作るのが、ハンディマッチなんだ」
「ふーん」
「けど、野牛相手に三人で勝負か。かなり強い人達が出るんだな」
「私が付き添ってあげてもいいよ。一緒に行ってくれるような相手がいないならさ」
アビーシアは小馬鹿にするような、意地悪な笑みを浮かべながら、そう尋ねました。
「お守りをやってやるよ。アビー」
グレックも毎度の如く、そう返事をしてくれるはずでした。
けど、何時までたっても、返事は返ってきません。
(グレイ?)
何かを考える仕草をしているのを見て、アビーシアの表情は曇ります。
(レスラーの戦い方を見れるのは勉強になるけど、かなり変則的だよな……。そうだ。コーチの言っていた人に隣で解説をしてもらえれば)
グレックは初対面の相手に、会って直ぐの頼み事をする無作法に抵抗を感じるも、少なくない誘惑に駆られていました。
(いや、駄目だ! 駄目!! 何を考えてるんだよ! ペアチケットを貰ったのはアビーだろ!!)
グレックは自己嫌悪で唇を噛むと、頭を乱暴に振りました。
「あのさ……。他に誘いたい人がいるなら」
それは消え入りそうな声でした。
「任せな。何時もみたいに、お守りをやってやるよ。アビー」
故にグレックはアビーシアが何と言ったのか? どころか――話しかけられた事にさえ、気づかずに返事をしていました。
(分かってるよ。ナビーシャを探し出して、一緒に行きたいんだよね。気を使ってくれなくて、いいのに……)
それでも――嬉しい。
そう思えたから、アビーシアは元気よく返事をします。
「それはこっちの台詞だよ。グレイ」
** § ** § ** § **
それから何事もなく平穏な数日が過ぎる中、大規模な災害時の避難用地でもある為、縦横どちらも三百メートル程の真四角な形に整地された中央広場。
そこに大小様々、彩り豊かなテントが全体で円を作る形に張られていきます。
占い等の一対一の興行向けのテントと、狭苦しく感じないには十人程が限界だろう中規模なテント。
それらが外周部に散らばり、一際大きな関係者専用のテントが中央に。
東西には背高のっぽで、とにかく目立つ――休憩所を兼ねた待ち合わせ場所用のテントが一つずつ。
南側には迷子預かり施設、北側には簡易な救護設備を備えたテントが張られました。
其々が子供と母親、白衣を着た人を描いた旗を掲げ、ついにサーカス開幕の日を迎えました。
母パティに施してもらった淡いメイクに、いつものパーカーではなく――祖父母が仕舞っていた母の若い頃のワンピースと、キュロット・スカートで、美少年から美少女の姿へと変わったアビーシア。
彼女は昨日、決めていた待ち合わせ時間の少し前に、東側の背高のっぽなテントを訪れるも、グレックの姿はありませんでした。
(おめかしで遅刻しそうって焦ったけど、あいつの方が遅刻してるじゃん)
心の中で、そんな愚痴を零しながら、その可愛らしい姿には似合わない不機嫌顔であたりを見回します。
しかし、何時までたっても、現れません。
「あいつ、間違って反対側に行ってるのかな」
愚痴を実際に口にする事で、気持ちを整理しようとしても、おしゃれを見せる相手がいなかった不満は収まりませんでした。
美少女らしくない雑な足どりで、テントとテントの間を蛇行しながら、抜けて行く途中、とあるテントの陰でグレックを見つけるも――。
綺麗で、弓矢を握った時のナビーシャ以上に肌を露出し、特有のボディーラインを殊更に強調した女性と楽しげに話していたのだから、当然の如く、アビーシアの顔は歪みました。
何よ! 約束をすっぽかしておいて、デレデレして!!
後ろから、そう怒鳴って、振り向いたところを一発引っぱたいてやろうと、そぉっと近づくも――。
二人が小さな子供達といる事。
その誰もが不安げな顔をしているのを見て、そのテントが迷子の預かり施設だと気づきます。
「このお兄ちゃんを倒せた子供には、素敵なお菓子をあげるわよ」
女性の合図で、グレックは腰を深く落とし、子供達が掴みかかりやすい体勢に。
但し、足を踏ん張りやすい体勢をとりました。
「さぁ! こい!!」
パパン。
手を打ち鳴らし、挑発的する声に、子供が一人、また一人と掴みかかります。
けれど、グレックは頑張り続けて一向に倒れません。
「お前達! 勇気はないのか!?」
グレックが『遊び』に参加しない子供達に対し、挑発めいた手招きと共に声をかけると、彼らも一人、また一人と走り出しました。
「みんな! 頑張って!!」
女性の声援を合図としたように、子供達が一斉に掴みかかり、グレッグも負けじと気合の叫びをあげます。
「うぉぉぉッ! ま、待った!! く、くすぐったいぞ!」
けれど、不意にバランスが崩れた際に背中にもよじ登られてしまいます。
そして、くすぐり攻撃の連続に、本当に苦しそうな声を出しながら、遂に片膝をつく事に。
「ま、負けたぁぁぁ」
グレックがそう宣言するや、巻き起こる子供達の大歓声。
隣にいる者同士で手を叩き合う音も響きます。
「さぁ! 記念品のお菓子をあげるわ」
子供達の様子を汗だくになりながらも、己が役目をやりきったと言いたげに爽やかな笑みで眺める。
そんなグレックにアビーシアが声をかけます。
「お疲れ」
「アビー……。アビーだよな?」
不安げな声を出したグレックの目はむすっとしたアビーシアの顔を捉え、彼の目が下った後、あらためて上に戻ると――。
(正直、自分でも、着馴れない格好をしていると思うけど……。だからって、その言い方は無いんじゃない?)
何かを言いたそうにしたアビーシアの不満に溢れる顔がありました。
(あれ、何で、アビーとナビーシャさんが重なって見えたんだ?)
グレックは釈然としない様子で、頭を掻きながら立ち上がり、言い難そうに口を開き――。
「アビー」
「うん」
アビーシアは機嫌を治した様子で微笑みます。
「ここにいるべきピエロが、トイレで席を外しているらしくてさ。悪いな」
(そういう優しいところが、私がグレイを好きな理由の一つだからね)
アビーシアは言葉として伝えたいのを我慢して、気にしないで――と微笑みで伝えました。